嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

ひとりの穴

2006年02月01日 22時31分33秒 | 駄文(詩とは呼べない)
君はひとりだよ

穴が空いている人間は

その穴を、ひとりの穴だと知ってる

だからその穴を 誰かの心で埋めようとする

でも、穴を開けた人間は

穴を塞ぐことができる

もっと求めればいい

もっと欲しがればいい

盗まれたと思うなら

奪い返せばいい

でも

たぶん

たぶんね

真犯人は

いつも君の側にいる

構造的欠陥、構造欠陥

2006年02月01日 17時19分22秒 | 駄文(詩とは呼べない)
構造主義の欠陥は「予見的である」の一言に尽きる。

これは不安型社会を引き起こし、だんだんとチャレンジ精神がなくなっていく。
例の構造物には欠陥があったのだろうか?
多分、そうではない。
構造物というものは必ず欠陥を抱えている
それは「壊れる」という欠陥でもあるが
「壊れるかもしれない」という欠陥の方が深刻だ。
何故か?
「人が壊れたら葬式をする」
社会システムになんの問題もない。
人間らしく悲しんでいるフリをすればいいだろうよ。
また「今日」が始まり、「明日」は始まらない。
だが、「人が死ぬかもしれない社会」は大問題なのだ。
「戦争は政治的手段」という考え方があるように
「テロが予防され、鎮圧される」ように
構造的不安はカオスの中にあってカオスを嫌う。
「人が死ぬかもしれない」
という状態を嫌う思想に、我々はかなり洗脳されているのではないか?
人が死ぬことに、なんの問題があるのだろうか。
特に、自分が死ぬことになんの問題があるのか。
僕が死ぬと人間の尊厳が脅かされる?
馬鹿馬鹿しい。
一人の死なんて黙殺される社会だろ?
僕が死んで、自分の「明日」が亡くなったことに気付くヤツが何人いる?
おまえらは数字の違う「今日」を生きるつもりだろう?
僕が死んで無くなるのは僕の未来じゃない。
「僕の記憶した過去」と「おまえらの未来の可能性」が亡くなるんだよ。
ざまあみろ。



ボクワザマアミレナイ

言文不一致に苦しんでいた。

2006年02月01日 12時22分50秒 | Weblog
「コンプをしょって始めよう」

や、つまり。
自分の普段気になっているわだかまり
いらいら感を消すことなく
それを少し調べてみようかな、と。

1日くらい前から
不思議なことに色々な事がほどけ始めた
ずっと悩んでいたのだけれど
何故か突然色々な事がわかりはじめた。
妙に頭がスッキリして
「ああ、そうか、そうだったのか。」
と得心のいくことが急に増えた。
この現象がバイオリズムによる脳の働き方の問題か
あるいは意図的に過去に向かって投げかけた波紋の返り血か
詳しいことはよくわからないが
まぁ、以前よりだいぶ頭はスッキリしてるように思います。

迷いがほとんど生じなくなった。
判断にかかる時間が飛躍的に短縮されています。
いいのかわるいのかしらん。
自分ではほとんど制御できない領域。
物事が簡単に割り切れてしまうということは
もちろん残酷な一面もあるだろうけれど
以前は何年も何年も悩みながら行っていたことが
素早く割り切れるようになったのなら
それはしばらくその状態を楽しんでみようと思うのだ。

で、ずっと気になっていた問題の、ヒントが見つかったので
メモとしての意味も込めて
ここにつらつらと書いておきます。
誰かが参考にしてくれれば嬉しいですが
まぁ多分何の役にも立たないでしょう。

金が無いので仕事せねば、
という問題が頭をかかげているので職業について調べていました。
そして速記という珍しい仕事があることに気付いた。

そもそも僕はぐねぐねと悩んで迷って考えている最中に
どうしてもその考えていることに書いていく速度が追いつきません。
タイピング速度はわりと平均的な速さで打てていると思うのですが
どうしても思考の方が速いのと、
そもそもどの言葉も自分の今のありようを示すものとしては
不適切な表現であるというイライラ感がありました。

そこで速記という仕事について調べていたら
どうやら速記符号というのを使って簡略化して記しているらしいのですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9F%E8%A8%98%E8%80%85
(ここを参照してねぃ)

で、その速記符号の種類の違いについて調べていたところ
様々な符号には、改良の歴史がある。
辿っていくと日本では田鎖綱紀という人が始めたらしい、と。

どうも日本では書き言葉と話し言葉はそれぞれが全く違うものだったらしく、
明治時代に言文一致運動というのがあって百年くらいかけて統一されたらしいのです。

この「言文一致運動」という単語は以前「わど」から聞いていたのですが
(わどさんちはココ→ http://blog.goo.ne.jp/wordblow/
単に標準語で日本を統一する政治戦略かと思ってスルーしてました。

僕は1978年生まれで、既に言文一致されている国語教育を受けていて
全くと言っていいほどに気付いていなかったのですが
方言という要素を省いたとしても、そもそも日本では話し言葉と書き言葉というのは
まるっきり違うものだったようなのです。

僕は京都の生まれですが 幼少の頃は東京に住んでいて
会話によってほとんどの言葉を憶えました。
ですからどうしても僕にとって言葉というのは
「話し言葉」としての性質が強いようです。
昔から読書をしない子供だったので「書き言葉」というものが
いまいちどういうものかわかっていません。

いつも心情をうまく吐露できないのは
僕が嘘吐きであるとか、言葉は心を超えないという
そのことなのかと思ってましたが
どうやらそれとは違う原因の一つが見つかりました。

とはいえ、複合的な要因の一つに過ぎないのでしょうけれど。

じゃぁ読書して読解力を高め、「書き言葉」とやらを勉強すればいいのかというと
話はそれほど単純ではありません。

インターネットにおいて2chをはじめ、AA(アスキーアート)や顔文字、
氏ね、といった誤表現の表現化などが起きていますが
そもそもは自分の思う気持ちをなんとか記号化して伝えたい、
という苦肉の策であることは変わっていないでしょう。

絵を描く、音楽を作曲する、といった別の表現方法へ走る道もありますが
ある意味でそれは「用意された道」です。
僕の望むところではありません。

そもそも僕は芸術よりも技術への関心の方が高い人間なので
わりとどうでも良かったりします。

それよりも気になるのは言文一致運動とやらが終わったかに見えて
じつは統一できてねーじゃん!という事がゆゆしき事態であるように思います。
僕にとって何よりも困るのは、
意図的に作られた書き言葉では「呼吸の個性」が全く表現できていないことです。

「呼吸が合う」という言葉があるように、
呼吸というのは何かを伝える上でとても重要な要素であると思います。

なんでかっつーと呼吸というのは人間にとっての基本的な周波数であるからで。
心臓の鼓動と同じくらい大事な要素だと思っています。

ただの句読点ではそれぞれの個人のうちに潜む、
本人すらも意識していない呼吸のリズムがほとんど伝わりません。

だから僕はもうちょい自分勝手な「はにゃ語」を模索することと思います。
別に決意ではなくて単なる予想なんですが。
予感は特に無いです。

今あるのは「なるほど感」くらいです。
はにゃ語でいうと「なる、ほど。」ですね。
ダチからパクった流行語で言うと「にゃるにゃるー。」
書き言葉で言うと「納得」ってのが一番近いのかな?

完全を求めるより前に、近似値を模索する方が先かもしれない。
接するよりも前に、察することが求められているように。

味のさしすせそ みたいに はにゃ語のにゃにぃにゅにぇにょ でも吐くかねぃ?
もちつきみたいにさー!

ほぃでゎ~。

ほどいてほどいて、そしてやっぱり結ぶのか。

2006年02月01日 11時22分36秒 | 駄文(詩とは呼べない)
ほどいてほどいて、そしてやっぱり結ぶのか。


原因を解明するために次々と糸をほどいていくと
こんがらがった糸を束ねていた結び目(問題)が解けていくかわりに
結び目が引っ張っていた力もほどける
そして許されてしまうと途端にやる気が無くなる。

だから僕は時々思う。
コンプレックスをいちいち克服する必要はない
ただ、常にコンプレックスを表面に出し続けるのも
周りの人が痛いだろう。

職人的な拘りは何かを洗練するかもしれないが
何の生産性も無い拘りは人の首を真綿で締め付けるだけかもしれない
だが、何の生産性も無い事というのは
はたして世の中にどれくらいあるのだろう
全てが消費に見えるということは
全てを生産だと考える事が出来るということでもある

僕が洗練しているものはなんだろう
僕が生み出しているものはなんだろう

僕が洗練したいのはエゴだ
そして僕のコンプレックスは欲望だ
エゴと欲望の違いはなんなのか

じつはよくわからないけれど
多分エゴは自分に都合の良いもので
欲望はほっといても発生するものだろう

エゴを削り出すという事は意志の原石の形を整えることか?
それとも取り出すことそのものに意味があるのか?
これもよくわからない。

もっと不思議なことをいうと
欲望を全て克服したいと思うエゴがある。

食欲も性欲も睡眠欲も邪魔だ。
欲望がある限り僕は自分の思い通りにならない。
そして僕は自分に意志があるのかどうか確かめたい。

一人の人間が一つの世界に忠実に生きられるのかどうか知りたい。

次々と多次元化していく意識の階層を
神にプログラムされた命令を
全部破棄して壊してやりたい。

僕はこの世界が嫌いだ
僕は不自由な物理法則が大嫌いだ
もっと夢を見ていたい
全てが共有され、そしてたゆたうように。

宛先を見失った友への手紙

2006年02月01日 00時05分36秒 | 自分への教訓
詳細はよくわからないけれど
おおまかにはわかったよ。

君の中では僕は美化された思い出なんだな。
それが虚像であろうと実体のあやふやな影であろうと
もう君の中では終わった記憶なんだな。

「どんなに足掻いても本音でぶつかっても他人を知りえることも
自分が理解されることも決してない」

君のその言葉を、僕は憶えておかなければならないのかな?
それとも、忘れようとしなければならないのかな。

おかしな話だ。
足掻いてるのは明らかに俺の方じゃないか。
「もういいじゃないか」
という君の言葉から、僕は諦めのようなものを感じるけど
最後まで喧嘩する気力も無いなら
それは確かにどうしようもないのかもな。
俺にはまだ、よくわからないのだけどな。

本音でぶつかっても…か。
君が本音でぶつかってるところ、
俺は過去に見たことがあるけれど…

「俺の世界はもうとっくに終わってんだよ!!」
と叫んで誰かを壊しかねないような勢いだったな。

あの言葉…そういう意味なんだな。

君は過去と決別したんだ。
そして自分を終わらせる事で
他者はただの他人になっちまったんだ。

だから記憶を美化したままで今を生きてる…のか。

君は大人になったんだ。
君は世界を諦めながら、大人になっていくんだ。
だから僕はずっと大人になれないんだな。
こうやって、君が大人になった分、
僕が子供に還っていくんだな。

俺のこと、忘れてもいい
もう思い出さなくてもいい

だけど多分、君は僕を忘れられないよ。
記憶を美化した分だけ、深く深く刻まれて。
君は僕を忘れない。

僕はどうなんだろう。
僕は君を忘れるのかな
違うな、僕にとって、君はまだ道しるべなんだ。

君の進んだ道に、×の看板を立てて、
僕は新しい道を探そう。

気が狂いそうなほど考えて、子供のままで死んでいくよ。

血で塗った十字架を見るたびに

僕は君のことを思い出そう

深く打ち込んだ杭を見るたびに

僕は僕の罪を思い出そう

理解なんて必要ないさ

僕に必要なのは ほんのわずかな可能性だけだ。