嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

存在理由についてのメモ

2006年02月03日 07時37分04秒 | 駄文(詩とは呼べない)
存在理由を「存在の理由」として考えずに
もっと分解してから思索に入るといいように思う。

ぞんじること(知っている、思う)
あること
ことわり
そのままおこること

これら四つを全て別の方向性だと考え、
それぞれの世界が統合され、結実する世界があるとしたら、
それはなんなのか考えたらわかりやすいのではないでしょうか?

それと、わからないってのは
理解できない
分けることができない
結論がでない
判断ができない
というような意味以外にも
もっと超越的な、外部世界への予感じみたものがあるように思います。
時々わからないを「ワカラナイ」とカタカナで書いて
「わからない」と区別する人がいるのも僕はなんとなくうなづけます。

科学の限界があって
知ることの限度があったとしても、
抽象化のイメージやアイディアに限度があるとは思いません。
僕の生命活動に限度があるとしても、です。

何故なら決断せぬ限り結論は出ないし
意志がない限り迷いは底なしだし
広がることも
閉じることも
決別することも

原点の開き直りで説明可能であるとも、
証明できているとも思えないからです。

納得するなら「ああ、そうか、なるほど。」
証明できれば「スッキリした!」
けど、そんなことでは終わらない
人は終われない。

今の僕にわかるのは、人は「人間」であろうとする可能性が高い、
ということになるでしょうか。
もし人は「人」として落ち着いてしまっているのなら
それは自閉的であると同時に永遠に近い抽象化概念であり
既に実感として満足し、問いを立てない状態になると思います。