「コンプをしょって始めよう」
や、つまり。
自分の普段気になっているわだかまり
いらいら感を消すことなく
それを少し調べてみようかな、と。
1日くらい前から
不思議なことに色々な事がほどけ始めた
ずっと悩んでいたのだけれど
何故か突然色々な事がわかりはじめた。
妙に頭がスッキリして
「ああ、そうか、そうだったのか。」
と得心のいくことが急に増えた。
この現象がバイオリズムによる脳の働き方の問題か
あるいは意図的に過去に向かって投げかけた波紋の返り血か
詳しいことはよくわからないが
まぁ、以前よりだいぶ頭はスッキリしてるように思います。
迷いがほとんど生じなくなった。
判断にかかる時間が飛躍的に短縮されています。
いいのかわるいのかしらん。
自分ではほとんど制御できない領域。
物事が簡単に割り切れてしまうということは
もちろん残酷な一面もあるだろうけれど
以前は何年も何年も悩みながら行っていたことが
素早く割り切れるようになったのなら
それはしばらくその状態を楽しんでみようと思うのだ。
で、ずっと気になっていた問題の、ヒントが見つかったので
メモとしての意味も込めて
ここにつらつらと書いておきます。
誰かが参考にしてくれれば嬉しいですが
まぁ多分何の役にも立たないでしょう。
金が無いので仕事せねば、
という問題が頭をかかげているので職業について調べていました。
そして速記という珍しい仕事があることに気付いた。
そもそも僕はぐねぐねと悩んで迷って考えている最中に
どうしてもその考えていることに書いていく速度が追いつきません。
タイピング速度はわりと平均的な速さで打てていると思うのですが
どうしても思考の方が速いのと、
そもそもどの言葉も自分の今のありようを示すものとしては
不適切な表現であるというイライラ感がありました。
そこで速記という仕事について調べていたら
どうやら速記符号というのを使って簡略化して記しているらしいのですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9F%E8%A8%98%E8%80%85
(ここを参照してねぃ)
で、その速記符号の種類の違いについて調べていたところ
様々な符号には、改良の歴史がある。
辿っていくと日本では田鎖綱紀という人が始めたらしい、と。
どうも日本では書き言葉と話し言葉はそれぞれが全く違うものだったらしく、
明治時代に言文一致運動というのがあって百年くらいかけて統一されたらしいのです。
この「言文一致運動」という単語は以前「わど」から聞いていたのですが
(わどさんちはココ→
http://blog.goo.ne.jp/wordblow/ )
単に標準語で日本を統一する政治戦略かと思ってスルーしてました。
僕は1978年生まれで、既に言文一致されている国語教育を受けていて
全くと言っていいほどに気付いていなかったのですが
方言という要素を省いたとしても、そもそも日本では話し言葉と書き言葉というのは
まるっきり違うものだったようなのです。
僕は京都の生まれですが 幼少の頃は東京に住んでいて
会話によってほとんどの言葉を憶えました。
ですからどうしても僕にとって言葉というのは
「話し言葉」としての性質が強いようです。
昔から読書をしない子供だったので「書き言葉」というものが
いまいちどういうものかわかっていません。
いつも心情をうまく吐露できないのは
僕が嘘吐きであるとか、言葉は心を超えないという
そのことなのかと思ってましたが
どうやらそれとは違う原因の一つが見つかりました。
とはいえ、複合的な要因の一つに過ぎないのでしょうけれど。
じゃぁ読書して読解力を高め、「書き言葉」とやらを勉強すればいいのかというと
話はそれほど単純ではありません。
インターネットにおいて2chをはじめ、AA(アスキーアート)や顔文字、
氏ね、といった誤表現の表現化などが起きていますが
そもそもは自分の思う気持ちをなんとか記号化して伝えたい、
という苦肉の策であることは変わっていないでしょう。
絵を描く、音楽を作曲する、といった別の表現方法へ走る道もありますが
ある意味でそれは「用意された道」です。
僕の望むところではありません。
そもそも僕は芸術よりも技術への関心の方が高い人間なので
わりとどうでも良かったりします。
それよりも気になるのは言文一致運動とやらが終わったかに見えて
じつは統一できてねーじゃん!という事がゆゆしき事態であるように思います。
僕にとって何よりも困るのは、
意図的に作られた書き言葉では「呼吸の個性」が全く表現できていないことです。
「呼吸が合う」という言葉があるように、
呼吸というのは何かを伝える上でとても重要な要素であると思います。
なんでかっつーと呼吸というのは人間にとっての基本的な周波数であるからで。
心臓の鼓動と同じくらい大事な要素だと思っています。
ただの句読点ではそれぞれの個人のうちに潜む、
本人すらも意識していない呼吸のリズムがほとんど伝わりません。
だから僕はもうちょい自分勝手な「はにゃ語」を模索することと思います。
別に決意ではなくて単なる予想なんですが。
予感は特に無いです。
今あるのは「なるほど感」くらいです。
はにゃ語でいうと「なる、ほど。」ですね。
ダチからパクった流行語で言うと「にゃるにゃるー。」
書き言葉で言うと「納得」ってのが一番近いのかな?
完全を求めるより前に、近似値を模索する方が先かもしれない。
接するよりも前に、察することが求められているように。
味のさしすせそ みたいに はにゃ語のにゃにぃにゅにぇにょ でも吐くかねぃ?
もちつきみたいにさー!
ほぃでゎ~。