来年が僕の卒業した大学の創立40周年という事で、その記念誌に昨年亡くなった先生の、思い出話を載せることになりました。
その原稿に使う写真を捜していたら、学生時代の集合写真が出てきました。ネガはもうカビが出ています。場所は福岡空港の送迎デッキ、写っている飛行機はDC8だと思います。
多分これは3年生の時なので正確には33年前になるのでしょうか?
この時は大宰府の観世音寺で録音実習があり、その後福岡空港に移動したのですが、僕は寝坊をして、みんなの乗ったバスに乗れず、後から電車で追いかけたことを覚えています。(今でも大して変わらない生活だな・・・?)
普通だと、この次の年に学生生活は終わってしまうのですが、僕の場合この後2年間大学に行き、さらに卒業後15年経ってから外国語学校(朝鮮語)に通い始め、今は英会話の初級クラス、何だかんだ現在までずっと学生証(学生症?)を持った生活をしています。
僕は高校まで学校が大嫌いでした。なのになぜ学校に行くかというと、良く分からないのですが、やはり面白いからだと思います。
まったく違う学生生活があったのです。いじめや登校拒否が問題になっていますが、僕は教育という意識の本質が間違っているような気がします。
「今の核家族化した世の中で、同世代・同年齢を集めた教育が、教育として意味があることなのか?」と言う疑問が、今日テレビを見ていて沸いてきました。
「小学校からコミュニケーションを取る事が苦手で、中学に行かなかった21歳の青年が、60歳くらいの人やアフガニスタン人の通う夜間中学に行って、やっと自分に自信がついてきた」と言った内容だったのですが、今の僕も似たような学生生活なのです。
中国人の女の子と机を並べ(少しずれているけど・・・)、年下の先生に分かっているか念を押され、帰りは10歳くらい上の定年後のオジサン(試験の時トイレで3回も顔を合わせた!)と、高校一年の慶応ボーイの3人連れ・・・。
こういう勉強の仕方もあるのです。この方が面白いのです。世界が広がって行くと言う実感があります。
そう言えば社会に出てからも、僕は高校を卒業していない夢を何回も見ました。大学は多少時間がかかったものの、ちゃんと卒業したのですが・・・。