「ぐうたら ・フォト日記」

「ぐうたら」を生活信条とする、ぐうたらなフォト日記です。時々『写真の無い・フォト日記』にもなります。

音楽付いて来ました。

2006年12月11日 | 音楽
 今日は英会話の授業があります。午後1番で建設会社の技研に行くのですが、腰が痛くて(膝が治ってきたのに!)歩き廻るには不安があります。
 あまりひどくなったら授業を休んで帰って来ようと思ったのですが、仕事が早く済んだし、根がまじめな性格(これが欠点である事は認識しています)なので、やはり行くことにしました。
 
 学校の手前のカフェで予習をして出かけると、校舎の入り口の『アフリカの歌唱文化を語り、歌う』と書いた立て看板が目に付きました。
 「お!、アフリカ?、あ!、今日・・・、6時10分開演!」、授業は6時に終わります。
 さらに進むと、女の子がチラシを配っています。「北館ホールってどこ?」と聞くと、「この先です。ぜひ来てください!」と言うので「うん!」と答えて行くことにしました。
 でも教室に入ってチラシをよく読むと「アフリカ」ではなく「アメリカ」と書いてあります。

 「ありゃ~、英語以前の問題だな・・・!?」と我ながらあきれていると、いつもと違う陽気な先生が入ってきました。なんでもポール先生はオーストラリアに帰ったのだそうです。(誰か苛めたのでしょうか?)
 その先生は始めてなので、みんな緊張気味です。先生は何やら色々聞いてくるのですが、いきなり聞かれても僕の英語力ではまだ付いて行けません。そのうち「英語の歌で一番好きなのは何?」という質問が出てきました。

 誰も答えないので、仕方無しに(?)「イエスタデイ」と答えると、「誰の歌?」、「ビートルズ!」、と一応会話は進んで行きます。
 そのうち、音楽には"Lyrics","Tune","Melody"が云々・・・、と言った話になり、「イエスタデイのハミングは出来るか?」、と聞きます。
 
 僕は「ハミングで歌っても面白くないと」思い、「"Lyrics"と言うのは、"Words"のことか?」と聞くと、「そうだ!」と言うので、ついに出ました。 『アメリカの歌唱文化』は日本にも息づいているぞ~!(イギリスか?)、"Yesterday all my troubles seemed so far away~"、でも、ちょっと間違っていました・・・!?

 肝心のコンサートですが、立派な中ホールに、ぱらぱらの観客、「もったいないな~!」と思いつつ、でも1960年代の話が出たり、二人とも子供の頃はカントリーやブルーグラスで育ったそうで、アメリカを感じさせる良いコンサートでした。
 最後のクリスマスソングでも、「お~、ホーリーナイト」と言う僕の大好きな曲を、初めて生のソプラノ歌手で聞いたのですが、こみ上げて来る物がありました。

 そう言えば、腰の痛みも忘れていました。久しぶりにコンサートを聞き、生の音楽に感動すると言う感覚が、僕も含め希薄になってきている気がしました。HAOの使命はは大きいですよ!>ODA-SAN
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歌を歌って来ました!

2006年12月10日 | 音楽
 久しぶりに、東京セパラム合唱団(韓国語で歌を歌う合唱団)の練習に行きました。4ヶ月ぶりくらいです。田月仙(チョン・ウォルソン)先生はその間、チェコで、CDの録音をしたり、自伝的な作品「海峡のアリア」が、第13回小学館ノンフィクション大賞優秀賞(大賞なし)を受賞したり、大活躍だったようです。
 その作品が、12月16日小学館より出版されるそうですので、韓国に興味のある人はぜひ読んでみて下さい。

 さて、練習後、新宿職安通りに繰り出し、韓国料理をつつきながら親交を暖めたのですが、その際兼ねてから疑問に思っていた、在日の人の国籍について質問してみました。

 先生のお話によると、植民地時代に日本に来た朝鮮の人は、戦前は日本国籍だったそうです。それが第2次大戦後、便宜上朝鮮籍となり、1948年朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)誕生後、北と関係を持つ人は北朝鮮籍を取り、韓国籍を選んだ人は韓国籍となり、何も手続きをしなかった人はそのままの朝鮮籍で居るという、すなわち3つの国籍があるのだそうです。日本に帰化した人も居るので、4つになると言う事でしょうか?、その辺の事も上述の本に書いてあるそうです。

 来年の2月28日には新宿文化センターで「国際交流チャリティーコンサート」(¥3000)があり、田月仙先生と共にセパラム合唱団も出演しますので、よろしくお願いいたします。
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失業者卒業!

2006年12月05日 | フォト日記
 ハローワークへ行くのも今日が最後です。「さあ!、大手を振って仕事が出来るぞ!」と言う訳で、帰り道の川崎の市立図書館で建築の本を立ち読み(ここは何故か椅子がありません)、借りようと思ったのですが、すでに県立図書館で3冊も借りているので、ここではジャズのCDを3巻借りました。(何じゃそりゃ!?)

 いよいよ本格的に仕事を始めなければならないと思い、川崎駅近くの床屋で散髪を済ませました。リクルート体制で、以前から仕事上お付き合いのあった、大学の先輩を訪ねようと思ったのです。
 しかし、知り合いの芝田文乃さんの写真展が最終日なので、とにかく新宿に向かう事にしました。
 新宿と言うと東京オペラシティのギャラリーで建築家、伊東豊雄の展覧会をやっています。日曜日にテレビで紹介されているのを、何気なく見たのですが、面白そうなので、これもついでに行くことにしました。

 となると必然的にリクルートは二の次になってしまいます。言い換えれば、既存のレールを進むか、新たな道を切り開くかの大きな岐路に立たされて居たのですが、必然的に(?)『新たな道』を選ぶことになってしまいました。

 ここ2年ほど建築と関わった仕事が多く、知識欲のベクトルもそっちの方向に向いています。もともとこの分野には興味があって、コルビジェやメーリニコフの展覧会のカタログもあります。

 しかし恥ずかしながら、伊東豊雄という建築家を僕は知りませんでした。でも僕はテレビで見た瞬間に、『面白いなぁ!』と思ったのです。それは、「建築が建築家の手をはなれ、アイデアさえあれば誰でも(例えば僕のような人間でも)建物が建てられるのでは!」と言った気にさせる面白さです。構造計算を人に頼めば、後はセンスさえあれば・・・?

 まあ、建物を造るかどうかはともかく、僕は、何時も面白そうな方向に行ったからこそ、いままで生きて来られた訳で、このまま行くしかないかな?、と言うのが今日の結論です。

 落語の故林屋彦六師匠が言っていました。『人間、勉強してりゃ怖いものはございません』

(でも最近、英会話のポール先生が「ヤスアキがwake upとget upの違いを質問しているんだけど、誰か日本語で説明してくれ!」と言っていたのが気になるな・・・?)

とまたまた夢のような事を、ツリーを見ながら考えていると、携帯に電話が入りました。以前からのお客さんからペンディングになっていた仕事が復活したとの話です。

 クリスマスツリーの下、結局「既存のレール」でのスタートになりました。まあ、今までの仕事を踏まえた上で、さらに飛躍しなければ、この厳しい競争社会では生きて行けないと言うことでしょう。そういう意味では理想的な再スタートになりました。人間関係は大事にしなければいけません!
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久しぶりの散歩

2006年12月02日 | フォト日記
 膝を痛めて以来長い距離を歩いていなかったのですが、良いお天気に誘われて、川崎駅まで歩いて見ることにしました。
 南武線の踏切を渡り、大通りに出る手前に小さな標識が立っていました。

 下を見ると『古市場村道標解説文』とQRコードが貼ってあります。携帯で読み取って見ろと言う事でしょうか・・・?、「しからば読んでやろう!」と接写モードにしてインターネットに繋げようとしたのですが、メガネがないのでどうやってよいか分かりません。(情けない!)取りあえず写して先に進みました。

 歩道が落葉で埋まっています。少し遠回りになるのですが、多摩川沿いに歩いて行こうと遊歩道を進んで行くと、御幸公園に出ました。夕日にイチョウの葉が照らされてきれいです。
 「カメラを持って来るんだったな・・・!」と思っても後の祭り、仕方無しに携帯のカメラで撮りました。

 公園内の野球場を一回りして国道1号線に出ます。多摩川橋が見えました。「川を渡って蒲田に出るかな・・・?」と言う訳で、予定を変更。
 多摩川を渡り、中古車センターのサンタののぼりを横目に、矢口の渡しでコーヒーブレイク、ここで電車に乗ってしまいましたが、何とか散歩は出来るようになったみたいです。

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師走となりました。

2006年12月01日 | フォト日記
 何時の間にか12月です。去年の冬は心身ともに寒かったような気がするのですが、今年は暖かい冬です。

 夜の街を歩いていても、寒さはあまり感じません。そのせいか街を行く人達にも、師走と言った雰囲気は感じないのですが、これも地球温暖化現象の影響でしょうか・・・?

 テレビで、「ALWAYS 三丁目の夕日」と言う映画をやっていました。昭和30年代の東京タワー建設中の下町の風情を描いた映画ですが、あの頃の冬はとても寒く、そして暗かったような気がします。(でも、人の心は暖かかったのかな?)
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30年の時

2006年12月01日 | フォト日記
 来年が僕の卒業した大学の創立40周年という事で、その記念誌に昨年亡くなった先生の、思い出話を載せることになりました。
 その原稿に使う写真を捜していたら、学生時代の集合写真が出てきました。ネガはもうカビが出ています。場所は福岡空港の送迎デッキ、写っている飛行機はDC8だと思います。

 多分これは3年生の時なので正確には33年前になるのでしょうか?
 この時は大宰府の観世音寺で録音実習があり、その後福岡空港に移動したのですが、僕は寝坊をして、みんなの乗ったバスに乗れず、後から電車で追いかけたことを覚えています。(今でも大して変わらない生活だな・・・?)

 普通だと、この次の年に学生生活は終わってしまうのですが、僕の場合この後2年間大学に行き、さらに卒業後15年経ってから外国語学校(朝鮮語)に通い始め、今は英会話の初級クラス、何だかんだ現在までずっと学生証(学生症?)を持った生活をしています。

 僕は高校まで学校が大嫌いでした。なのになぜ学校に行くかというと、良く分からないのですが、やはり面白いからだと思います。

 まったく違う学生生活があったのです。いじめや登校拒否が問題になっていますが、僕は教育という意識の本質が間違っているような気がします。
 「今の核家族化した世の中で、同世代・同年齢を集めた教育が、教育として意味があることなのか?」と言う疑問が、今日テレビを見ていて沸いてきました。

 「小学校からコミュニケーションを取る事が苦手で、中学に行かなかった21歳の青年が、60歳くらいの人やアフガニスタン人の通う夜間中学に行って、やっと自分に自信がついてきた」と言った内容だったのですが、今の僕も似たような学生生活なのです。
 
 中国人の女の子と机を並べ(少しずれているけど・・・)、年下の先生に分かっているか念を押され、帰りは10歳くらい上の定年後のオジサン(試験の時トイレで3回も顔を合わせた!)と、高校一年の慶応ボーイの3人連れ・・・。
 こういう勉強の仕方もあるのです。この方が面白いのです。世界が広がって行くと言う実感があります。

 そう言えば社会に出てからも、僕は高校を卒業していない夢を何回も見ました。大学は多少時間がかかったものの、ちゃんと卒業したのですが・・・。

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