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反日に逃げこんだ「文政権」の悲哀…歴代最強「安倍政権」に歯が立たず

2020-10-01 17:59:33 | 日記
反日に逃げこんだ「文政権」の悲哀…歴代最強「安倍政権」に歯が立たず

2020/09/10 05:59

デイリー新潮

反日に逃げこんだ「文政権」の悲哀…歴代最強「安倍政権」に歯が立たず

過去最悪と評される日韓関係

(デイリー新潮)


官房副長官、官房長官として拉致問題などに注力した経験

韓国の大統領は選挙時の人気投票で、実績はほぼ関係ない。再選はなく5年間君臨した後は政界に関与しない。

そもそも刑務所行きがほとんどだから関与したくてもできない事情はあるのだが……。

文在寅大統領は1年間、盧武鉉政権の青瓦台(大統領府)の民情首席を務め、12年から4年間国会議員を経験したのみ。

歴代最長を誇った安倍晋三首相と渡りあえるだけの経験も政策企画力もなく、結果として「反日」に依拠する他なかったのである。

安倍晋三首相の辞任を受け、韓国の政府やメディアが後継者に注目している。

韓国や米国など大統領制を採用する国は、国民が直接大統領を選出するが、日本や英国、スウェーデンなど議院内閣制を採用する国は、国会議員選挙で国民の支持を得た政党の代表が首相になる。

安倍晋三は2001年、第2次森喜朗内閣に続いて、小泉純一郎内閣でも内閣官房副長官に就任した。

安倍副長官は02年、小泉首相の電撃的な北朝鮮訪問に随行。小泉首相が金正日総書記と行った首脳会談に「安易な妥協をするべきではない」という毅然とした態度で臨んだ。

日本人拉致問題は日本が納得できない決着となり、安倍副長官は北朝鮮に対する経済制裁を主張した。

2003年、小泉首相は内閣改造に合わせて、拉致問題への対応で人気が高まった安倍晋三を自民党幹事長に起用する。

翌04年、小泉首相がふたたび北朝鮮を訪問し、5人の拉致被害者の帰国を実現させた。

北朝鮮は蓮池薫さん夫妻や曽我ひとみさん、地村保志さんをふたたび北朝鮮に戻す条件で、日本への帰国を認めたが、安倍幹事長は頑なに拒絶して5人を北朝鮮に戻さなかった。

それから安倍晋三は、2005年10月に発足した第3次小泉改造内閣に内閣官房長官として入閣し、5年半に渡る小泉純一郎内閣を支えた。

退任後にことごとく本人か身内が逮捕・起訴される韓国大統領

06年9月、安倍氏は小泉首相の後継に選ばれて、史上初の戦後生まれの首相となった。

安倍首相は就任直後に中国と韓国を訪問し、冷えこんでいた日中・日韓関係の改善を目指し、一方、核実験を行った北朝鮮に対する制裁を主張。

国際的な経済制裁となる「北朝鮮の核実験実施に対する国連制裁決議」を推進し、先進国首脳会議で「北朝鮮による日本人拉致問題」の解決を議長総括決議に盛り込ませたが、持病の潰瘍性大腸炎が悪化して、2007年9月、首相を辞任した。

日本では過去に例外がないわけではないが、第1党の党首が基本的には首相になる。国民は各党の代表と公約を見て国会議員を選出する。

与党の代表は、国務大臣や内閣官房長官などの主要ポストを歴任し、その実績から政治のプロである国会議員によって選出されることがほとんどだ。

首相に就任する前からさまざまな政策課題に取り組み、退任後も国会議員として、政治に関与することがほとんどだ。

議院内閣制には弊害もある。例えば、選挙を経ずに国民の審判を受けない首相が誕生することがあることだ。

国民の審判を受けていない第1安倍内閣は、小泉内閣を踏襲したが、90年代には国民が知らない政権が次々と誕生し、民主党政権時代の菅直人と野田佳彦も国民が選んだ首相ではなかった。

一方、直接選挙で選ばれる大統領は、国会等の監視は限られ、絶対的な権限を持つ。

国民が直接選ぶことができる反面、選挙時点の人気投票に陥りやすく経験や実績が考慮されるとは限らない。韓国の大統領は1期制で再任がなく、退任後は政治に関与しない。

大統領として君臨する5年間は権限をふるって国と国民に責任を負うが、就任前と退任後は権限もなければ責任も負わない。

韓国の大統領は、退任後にことごとく本人か身内が逮捕・起訴されており、そもそも関与できないのだが。

文在寅大統領も人気投票で選ばれた。

朴槿恵を弾劾するエースとして人気を得た

 
大統領に就任する半年前の16年12月まで、大統領戦を賑わす候補者の1人に過ぎないと見られていた。

野党は文在寅が大統領選に立候補して、左派票が分かれることを警戒した。

文在寅は2016年10月から韓国内で吹き荒れた朴槿恵前大統領の退陣を求めるろうそく集会で前面に立ち、朴槿恵を弾劾するエースとして人気を得た。

退任後は自分の言いなりになる後継者を立てたいようだが、後継候補の曹国は不正疑惑で逮捕され、朴元淳前ソウル市長はセクハラ疑惑で自殺した。

失政が続く文政権は支持層が離れており、左派政権が継続する可能性は薄らいでいる。

さて、安倍晋三は、2012年、首相に返り咲く。当時、野党だった自民党総裁選挙で石破茂を破って総裁に選出。その後、同年12月の衆議院議員総選挙で自民党が圧勝し、首相となった。

2012年の総選挙は民主党に対する批判票が安倍自民党を後押しした。

国民は2011年に起きた東日本大震災と福島原発事故に対する民主党政権の対応に不満を持っていた。

また民主党の重鎮だった小沢一郎の離脱も大きい。

地元を襲った東日本大震災後の菅直人政権に不満を持った小沢一郎は菅おろしを主導し、民主党執行部は小沢の党員資格を停止した。

当時、小沢一郎は資産管理団体である陸山会を巡る疑惑で起訴されており、総選挙直前の12年11月に無罪が確定したが、選挙戦で力を発揮できなかった。

国民は期待というより民主党よりマシだろうという思いで安倍自民に投票したが、安倍内閣はアベノミクスと呼ばれる経済政策を行って、道半ばではあるが、低迷していた経済浮上のきっかけとなる部分もあった。

またインバウンドにも取り組み、600万人から800万人で推移していた訪日観光客は2016年に2000万人を突破し、今年は新型コロナウイルスがなければ4000万人に倍増すると見込まれた。

ほかにも皇室典範の見直しや様々な構造改革に取り組んだが、憲法改正は実現できなかった。

平昌五輪の開会式、ホワイト国排除で露呈した外交センスの欠如

外交面では小泉内閣や第1次安倍内閣と同様、日米関係を強固にした。また、悪化が続いていた中国や韓国との関係改善に取り組んだ。

日中関係は良好になり、朴政権下の韓国と慰安婦問題で合意し、延期となっていたGSOMIAを締結した。

一方、北朝鮮との交流を進めたい文在寅政権には容赦しない。18年2月、安倍首相は平昌五輪の開会式に出席した。韓国と関係が深い日米中露から出席した唯一人の首脳だった。

韓国との良好な関係づくりを目的に出席を決めたが、文在寅大統領はこともあろうに北朝鮮の高官を招待し、大統領主催の食事会で日米代表と同じテーブルに着座させた。

安倍首相は開会式の前、米国から出席するペンス副大統領と面談し、北朝鮮代表を徹底的に無視した。

イラクが使用した兵器から日本製部品が見つかり、韓国メディアがずさんな韓国の輸出管理を報じた直後の19年7月、日本政府は輸出管理を見直し、翌8月、韓国をいわゆるホワイト国リストから除外した。

文政権は18年10月のいわゆる徴用工裁判への報復であり、WTO違反だと批判して日本製品不買運動を後押しした。

そもそも深刻な打撃となる報復を受けること自体、政権の未熟さが疑われるのだが。

安倍政権は、輸出管理制度の見直しをキャッチオール規制だと述べている。

日本は2002年、キャッチオール規制を導入した。

大量破壊兵器及び通常兵器の開発等に使われる可能性のある貨物の輸出や技術の提供。これらを行う前に、経済産業省の許可を要する制度である。

キャッチオール規制を導入した当時、安倍晋三首相は内閣官房副長官だった。

通常兵器及び関連汎用品・技術の輸出管理に関するワッセナー・アレンジメントが設立し、日本がキャッチオール規制の導入を進めたとき、麻生太郎副総理兼財務相は経済企画庁長官や経済財政政策担当相を歴任していた。

日韓関係が過去最悪となっている原因が安倍政権にあると勘違い

また、日本政府が韓国をホワイト国リストに追加した2004年、麻生太郎は総務相として、安倍晋三は与党幹事長として政策に関わっていた。

他方、文在寅大統領は2002年12月から1年間、盧武鉉政権の青瓦台(大統領府)の民情首席を務め、12年から4年間国会議員を経験しただけで、政策に関与した経験は皆無に等しい。

韓国もワッセナー・アレンジメントの加盟国だが、文在寅大統領はもとより、政権の誰一人として関与していない。

輸出管理の導入を目の当たりにした日本の首相や副総理と文書でしか知ることができない文政権の差は歴然で、そもそも政治経験が希薄な文政権が経験豊富な安倍晋三政権にかなうはずがない。

安倍首相が辞意を表明した8月28日、日韓関係が過去最悪となっている原因が安倍政権にあると勘違いしている韓国の政府やメディアは、日韓関係の改善に繋がると期待した。

しかし、後継が安倍政権を踏襲する可能性が大きくなり、変化はないという観測が広がった。


議院内閣制を採用する日本は、国政選挙を経ずに就任する首相の政策変更は基本的に許されない。

総選挙まで安倍政権を踏襲するのは基本だが、そもそも日韓の関係悪化を招いたのは文在寅政権であり、文在寅が変わらないうちは、日韓関係は変化しないだろう。(文中敬称略)

佐々木和義

広告プランナー兼ライター。商業写真・映像制作会社を経て広告会社に転職し、プランナー兼コピーライターとなる。韓国に進出する食品会社の立上げを請け負い、2009年に渡韓。日本企業のアイデンティティや日本文化を正しく伝える必要性を感じ、2012年、日系専門広告制作会社を設立し、現在に至る。日系企業の韓国ビジネスをサポートする傍ら日本人の視点でソウル市に改善提案を行っている。韓国ソウル市在住。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年9月10日 掲載