「愛の不時着」の大ヒットで、再び韓流がブームという。主演のヒョンビンが卒業した中央大学校演劇映画学部は名門中の名門であり、芸能界にも高学歴を求める韓国という国の象徴とされる。そんな学歴社会でありながら、教育理念は「平等」と「公平」という韓国。その矛盾が生み出しているものに、親から子への「教育虐待」がある。その実態とは——。
*本稿は、春木育美『韓国社会の現在 超少子化、貧困・孤立化、デジタル化』(中公新書)の一部を再編集したものです。
■169校の演劇映画学科が支える「演技力」
国際比較でみると、韓国社会は大卒の高学歴者の多さで際立つ。2018年度版『図表で見る教育OECDインディケータ』によれば、若年層(25〜34歳)で大卒以上の高学歴者の割合がもっとも多い国は韓国がトップ(70%)で、日本(60%)を上回った。両国はOECD平均(44.3%)と比べてもはるかに高い。
韓国の高等教育課程は、大別して4年制の大学課程と、実践的な職業技術教育を行う2〜3年制の専門大学課程に分かれている。4年制以上の学科の大学を韓国語では「大学校」と呼び、学校名に「大学」とだけ付いているのは専門大学である。
韓国の大学には、日本にはみられない特色がある。演劇映画学科の存在である。1959年に中央大学校に初めて設置され、90年代後半から新設ラッシュとなった。
2019年現在、111校の4年制大学、58校の専門大学、合計169校もの大学に演劇映画学科が設置されている(教育省「教育統計主要指数」2019年)。4年制の一般大学だけでも約6割に、演劇映画学科があるのだ。韓国の俳優の演技力や演劇のレベルの高さは、大学で演技の専門教育を受けた人材の層の厚さが背景にある。
演劇映画学科が多いことは、進路選択の幅を広げる役割を果たしているが、同時に役者といえども高い学歴が求められる社会であることを示している。
■高校入試廃止、名門校解体という荒技
日本と同様に天然資源に乏しい韓国は、人的資源を拠り所としている。ところが人材育成につぎ込める国家予算には限りがある。それならどうするのか。少数のエリートに集中投資する「早期英才教育」と「選択と集中」が、韓国の人材育成の戦略方針である。
たとえば、韓国ではスポーツは選ばれし者がするものであり、早いうちからスポーツ選手を目指す生徒は、全国に設置された体育中学、体育高校に進学する。競技の裾野を拡大して、広く才能を育てようという長期的な視点には立っていない。優れた才能や資質を持つ生徒を早期に選抜し、世界レベルまで水準を上げるために猛烈な英才教育を行う、短期集中育成方式である。
こうした早期英才教育は、国家の命運を握るとして重視する科学技術分野でも同様である。韓国政府は1983年に初の科学高校を設立して以降、科学技術分野の人材育成のため全国に科学高校を設置してきた。現時点で20校、すべて国公立だ。
他方で韓国の教育理念は、先述したエリート教育とは相反するが、「平等」「公平」であることを何よりも重視してきた。そのため、政府は1974年に高校標準化制度を導入した。一部の地域を除き高校入試を廃止し、受験名門高校を一気に解体するという荒技を講じたのだ。学校間の水準格差を埋めることで、教育機会を公平にしようとする政策であった。
■科学英才高校、英才学級、英才教育院
生徒は学力に関係なく、地域ごとに編成された学区内にある高校に進学するよう、機械的に割り振られる。かつての名門校は名前だけが残り、各高校は学力差がある生徒を指導しなければならなくなった。
この結果、全国の高校の学習指導は中間層の学力にあわせたものとなり、トップレベルの生徒の意欲減退や学力低下が問題となった。そこで考え出されたのが、科学高校のような英才教育機関を別途設置し、トップレベルの英才だけを集めて教育するというシステムである。
2000年には「英才教育振興法」を制定し、エリート教育をさらに強化した科学英才高校を6校、新設した。また、英才児として選抜された小学生、中学生、高校生が放課後や週末、夏休みなどに特別教育を受ける「英才学級」や「英才教育院」も全国に設置した。こうした英才教育にかかる費用はすべて無料で、税金による負担である。特定の生徒に特別な恩恵を与えることの是非が問われたことはない。
科学英才高校は、科学の神童の早期教育が目的であり、中学1年生から受験が可能である。生徒は寄宿舎で共同生活を送る。高度な専門教育を行い、専門教科の単位は大学の単位としても認定される。
■外国語高校から医学部、理系学部へ
科学高校のほかにも、外国語のエキスパートを育成するという目的で設置した外国語高校、エリート養成を目的に企業の創業者が私財を投じた自律型私立高校などの特殊高校がある。これらの学校には、独自の入試による選抜が許可されている。
自律型私立高校は、政府からの補助金が支給されないかわりに、独自の教育カリキュラムや学生選抜が許可された学校である。パステル乳業(当時)の創業者が設立した「民族史観高校」やハナ金融グループが設立した「ハナ高校」があり、教育過程の多様化を通じて人的資源の国際競争力を高めるという名目で、2010年以降の李明博政権期に一気に増えた。
1996年に設立された民族史観高校は、国語と歴史以外はすべて英語で授業が行われ、毎年米国の名門大学に数十人の合格者を出すスーパーエリート校である。
外国語高校や自律型私立高校に所属する生徒は、高校生全体の0.1%に満たないにもかかわらず、韓国トップのソウル大学校合格者の約4割を独占している。外国語高校から医学部や理系学部に進学する生徒も多く、外国語のエリート養成という本来の趣旨と乖離(かいり)したスーパー進学校と化している。
わが子をこれらのエリート校へ入学させたいと夢見る親は多いが、合格するには家庭の文化資本や経済力がものをいい、ソウル大学校に合格するよりも難関だといわれている。99.9%の人びとにとって、望んでも手が届かない別世界の学校でもある。
■曹国前法相がSNSで繰り返した台詞
こうした特殊なエリート校が高校の序列化を形成していると批判し「すべて廃校にすべきだ」と強く主張してきたのが、前法相の曹国(チョ・グク)ソウル大学教授やソウル市教育監(教育委員会の長)のチョ・ヒヨンらである。声を高めてそう叫んできた彼らも、自分の子どもを外国語高校に進学させていたことがのちに明らかになった。人びとを苛立たせたのは、社会正義や公平を叫びながらも、他人の子と自分の子は違うという、偽善的な言動不一致だった。
韓国には「小川から竜が生まれる」ということわざがある。貧しい家庭から名門大学に進学するという意味で使われることが多い。曹国前法相が自著やSNSで繰り返し説いた有名な台詞がある。「皆がみな小川の竜になる必要はない。ミミズでもカエルでもメダカでも幸せに暮らすことができるのが、よい小川だ」というものだ。
どの人も尊重される社会を理想とする名言のようにも聞こえるが、優れた才と環境に恵まれた少数のエリートが平凡な人びとを治めるという、儒教的な序列社会を肯定する発想である。
文在寅政権は2019年に、高校の序列化を解消するとして、外国語高校や自律型私立高校の認定を取り消し、25年から一般高校に転換すると発表した。学校側や一部の保護者から強い反発が起きているが、順調に進めばこれらのエリート校は全廃されることになる。
■過度な期待が裏切られ、子どもを攻撃
韓国には「教育虐待」という言葉がある。親が過度な期待を子どもに抱き、思い通りの結果が出ない場合に子どもを攻撃する、という意味で使われる。子どもの受忍限度を超えて勉強させるのも教育虐待である。
親本人は子どもの将来を思い必死なだけに、わが子を虐待しているという意識は低い。殴る蹴るといった身体的虐待より、暴言を吐くといった心理的虐待の方が多いとされる。
この話を韓国の子育て中の親と話すと、「自分も子どもの頃からそうやってきた。だからいまがある」と、自分に重ね合わせて当然視する人が多い。「のびのびさせてやりたいが、わが子が競争社会で落伍者になる姿は見たくない」と諦念する親もいる。「現状の教育システムから逃れるには、海外移住か移民しかない」と実際に脱出を試みる親もいる。
韓国人の海外移民のピークは1980〜90年代で、それ以降はむしろ減少傾向にあるが、2000年代以降の海外移民は、「子どもの教育のため」が一貫してもっとも大きな理由として挙げられている。
■銀行から借金をしてでも留学させる
教育は、階層上昇または維持のためにもっとも重要な手段でもある。それだけにすべての面で優先され、家族関係に負の影響があろうとも子どものために耐える、という価値観が内面化されている。
銀行から借金をして子どもを海外留学させる、月給の半分以上を子どもの塾代に支出するなど、過度な教育投資をするのは、まさにこのような信念による。
1980年代から90年代にかけて、地方からソウルの高校に進学させるため母子で上京し、父親は仕送りするという離散家族は珍しくなかった。2000年代以降は、早期留学させるために妻子を海外に送り出す父親や、実家に子どもを預け、都心で共働きをして子どもの教育費を稼ぐ週末家族が続出した。
ここでは、家族離散による子どもへの負の影響は顧みられていない。教育費をかけることが子どもの幸せにつながると信じて疑わない学歴信仰が、家族のありようまでも規定しているのだ。
教育費に糸目をつけない富裕層の多くは、子どもを中学や高校から海外の有名私立校に留学させる。早い子は13歳から親元を離れることになる。
■名門寄宿学校卒の娘がとった行動は
ある富裕層の家庭の話である。英国の名門ボーディングスクール(全寮制の寄宿学校)に通い、現地で大学入学後に一時帰国した娘は、母親が救急車で搬送され緊急入院したと連絡がきても、クラブで朝まで踊り明かした。その後も一度も見舞いに行かなかった。
周囲から親不孝をなじられた娘は「13歳から外国に送り出され、ひとりで耐えてきた。具合が悪いときもつらいときも、そばに母親はいなかった。育児放棄した親への情なんてない」と言い放った。
こうした韓国の教育システムと比べると、日本の場合、小学校から大学の各段階で、入学試験という選別システムがあるが、韓国にはこれがない。日本では高校受験の段階で、子どもの学力について親はある程度見極めがつくことが少なくない。これに対し韓国では、一部の例外を除き一般的には大学受験しか選別試験がなく、親子ともに挫折経験を経ていない。そのため親は子どもに過剰な期待を抱き、天井知らずの教育投資をしがちだ。子どもたちへの「努力すればできる」という期待ボルテージも上がり続ける。
子どもの数が少なくなったことで、祖父母世代からの期待圧力も強まる一方だ。現代の韓国では、受験に重要なのは「母親の情報力と父親の無関心、祖父母の経済力」といわれている。
■親と子が過ごす時間は1日わずか48分
韓国では出生率の低下に歯止めがかからずにいる。若い世代が出産を忌避する心理的要因に、生育過程で経験した教育虐待が潜んでいる可能性も否定できない。
韓国の子どもは、学校の成績や経済水準よりも、両親との良好な関係に幸せを見出しているという調査結果がある。2019年版『東亜年鑑』によれば、父親や母親との関係が良好な子どもは8割が生活に満足していたが、そうでない場合は生活の満足度が5割以下だった。「幸福の条件として、親との間の密接でよい関係を子どもは欲している」という分析が付されていた。
子どもはいつか巣立つ。子どもが親を欲してくれる時間は、親が思うよりもずっと短い。保健福祉省の報告書「2018年児童実態調査」によると、韓国の子どもは物質的には満たされているが、社会関係(余暇、友人・家族との時間など)の欠乏感が大きかった。韓国の子どもが両親と一緒に過ごす時間は一日わずか48分で、調査対象となったOECD加盟国の35カ国中、最下位だった。ちなみに、OECD加盟国の平均時間は一日150分だった。
子どもがどんなに親を求めていても、韓国の親が子どもと過ごしている時間は、先進諸国平均の3分の1にも満たないのである。
子育ては、やり直しがきかない。韓国の高齢者に人生で後悔していることは何か訊いた調査では、子どもとのコミュニケーションが少なかったことを挙げる人が多かった(KDB大宇証券「2014シニア老後準備実態調査報告書」)。
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春木 育美(はるき・いくみ)
早稲田大学韓国学研究所 招聘研究員
1967年生まれ。韓国延世大学大学院修士課程修了、同志社大学大学院社会学研究科博士課程修了(博士・社会学)。東洋英和女学院大学准教授、東京大学非常勤講師、米国アメリカン大学客員研究員などを経て、早稲田大学韓国学研究所招聘研究員、(公財)日韓文化交流基金執行理事。著書に『現代韓国と女性』(新幹社、2006年)、編著『現代韓国の家族政策』(行路社、2010年)、『韓国の少子高齢化と格差社会』(慶應義塾大学出版会、2011年)。共著に『知りたくなる韓国』(有斐閣、2019年)などがある。
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(早稲田大学韓国学研究所 招聘研究員 春木 育美)