しかし、元々その予兆はあった。
 
北朝鮮の指導者には、常に「会議を指導なされた」だとか「人民を指導なされた」、「軍隊を指導なされた」の「指導なされた」の定型句が使われた。
 
指導者が全てを「指導する国」だからだ。
 
この「指導なされた」の表現が、今年5月から使われなくなった。
 
「参加なされた」や「司会なされた」の表現に変わったのだ。これでは指導者といえど、多くの幹部の一人にすぎない。
 
このため「人が変わったのではないか?」、「唯一指導体制をやめたのではないか?」との臆測が飛んでいた。
 
そうした中での今回の演説は、まさにこの臆測を裏付けたものだった。
 
それまで国民を指導するだけの存在が、突然、国民思いの指導者に変身したのだ。
 
演説は「口パク」と言っても、声は出しているようでマイクが拾わないだけのようだった。
 
演説最後の「偉大なわが人民万歳」の部分は、声と口が合わなかった。
平壌で行われたマスゲームの鑑賞に訪れた金正恩朝鮮労働党委員長(右から3人目)。2020年10月12日付の労働新聞が掲載した(コリアメディア提供・共同)
平壌で行われたマスゲームの鑑賞に訪れた金正恩朝鮮労働党委員長(右から3人目)。2020年10月12日付の労働新聞が掲載した(コリアメディア提供・共同)
映像は、原稿を懸命に読み上げる金委員長の姿を映し出した。
 
読み上げている場所を指で確認しながら、放送に懸命に合わせていた。
 
もちろん、「口パク」が悪いわけではない。むしろ内容が重要だ。
 
演説の途中で言い間違えるのを恐れて、事前録音にしたのだろう。
 
偉大な指導者が言い間違えるわけにはいかないからだ。
 
そしてこの金委員長の演説は、多くの秘密の意図を隠している。
 
まず式典の費用を削減し、映像で効果を上げようとした。
 
式典は異例の深夜の午前0時から行われ、以前のような全面中継はなかった。
 
テレビでおよそ2時間にわたる75周年式典の「記録映像」を流した。
 
都合の悪い部分をカットし、国民にアピールする場面を強調している。