日本と世界

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評価の高い将官 山本五十六海軍大将

2020-10-24 13:50:05 | 日記

評価の高い将官

2016年01月10日13:15  人物(陸軍/海軍) 写真あり

「陸の三馬鹿」と言われた陸軍将官を3名紹介しましたが、逆に非常に評価の高い将官もおられます。
今回は、アメリカで評価の高い山本 五十六海軍大将 / 宮崎 繁三郎 陸軍中将 / 木村 昌福 海軍中将
/ 吉川潔(きっかわ きよし)中佐 / 今村 均陸軍大将の5名をご紹介します。
日本の戦争記録 ]

▼山本五十六海軍大将
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山本五十六記念館」 山本五十六YouTube
連合艦隊司令長官としてハワイ真珠湾攻撃などで有名な山本五十六(いそろく)大将だが、日本海軍の中で評価の高い軍人の1人である。日本海軍の教育(江田島海軍兵学校)は決して単純な好戦的なものではなかった。
サイレント・ネイビー(沈黙の海軍)という言葉がある様に、「大言壮語せず、国を守る時は充分に任務を果たすという意味である」日本の国力を冷静に分析し、戦争回避を第一に考え、外交努力に徹するという考えを日独伊三国同盟まで貫いた海軍山本五十六。
日本陸軍はドイツ、海軍はイギリスをモデルにして作られた事はよく知られている。海軍は当時最強海軍国、イギリスを範にとって建設された。
イギリス人の理想であるジェントルマンシップが最も重んじられ、海軍兵
学校の教育は英国紳士を養成することを主眼としていた。 軍服の着こなしも野暮ったくてはいけないとやかましく言われ、外国の停泊地で恥をかかない様、ダンスや洋食のマナーまでが教えられた。
しかし英国紳士はあくまでもイギリスの風土に存在するもので、日本海軍に無理矢理存在させようとする事が日本海軍の為になったかどうかは疑問が残るが、海軍将校のスマートな格好は少年達の憧れであった事も事実である。
日本海軍とはこの英国流に官僚主義が加わった存在である。
山本に関しては有名な軍人であるのであえて生い立ちなどはここでは書かない事とする。
太平洋戦争中、山本は前線視察の為、バラレ島日本軍基地へ向かう途中、事前に情報を掴んだアメリカ軍P-38によって
ブーゲンビル島上空で撃墜され戦死した。2015.山本機墜落現場YouTube
▼ブーゲンビル島のジャングルに墜落した山本五十六搭乗機(海軍一式陸上攻撃機)
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山本五十六長官機撃墜事件の護衛戦闘機隊は204空のゼロ戦隊6機だった。
[ 第1小隊 ]1番機・森崎武中尉/2番機・辻野上豊光1飛曹/3番機・杉田庄一飛兵長
[ 第2小隊 ]1番機・日高義巳上飛曹/2番機・岡崎靖2飛曹/3番機・柳谷謙治飛兵長
昭和18年4月18日午前09時35分
一式陸上攻撃機2機、護衛零戦6機に対し、待ち伏せしていた米軍のP38戦闘機が攻撃。
山本機撃墜の特命を帯びた攻撃隊4機(ランフィア大尉指揮)と上空直掩隊12機(ミッチェル少佐指揮)だ。
午前07時45~50分、一式陸攻1番機(山本長官機)は火炎に包まれジャングルに突っ込む。
一式陸攻2番機(宇垣纏中将機)は燃えながら、モイラ岬附近の海上に不時着水転覆。宇垣纏中将は一命をとりとめた。

山本長官機の墜落現場第一発見者は、第6師団歩兵第23連隊歩兵砲中隊第1小隊長 浜砂盈栄少尉(はますなみつよし)
1番機は燃えながら降下角度5~7度でジャングルに突入し、約1000メートル突進して不時着。
山本長官は座席と共に機外に放り出されており、左エンジンの下に、軍刀を握りしめて股間に立て、斜め右前方にのめる様に静に倒れていたという。
山本長官の左斜め前方約3メートルの場所に軍医長・高田六郎少将がうつぶせになって山本長官の方へはい寄った形跡を残して絶命していたという。
しかも他の遺体は黒焦げで蛆虫だらけなのに、この2人の遺体だけが焼けずに残り、蛆虫も極めて少なかったという。
この事から、「山本長官と高田軍医長は不時着直後は生きていたのではないか」という説が出た。
山本五十六搭乗機の護衛についた6機の零戦は大任を果しえず、その重責を負い次々に南の空へ消えていった・・・。

▼山本が訪れる予定だった日本軍バラレ基地。指揮所・テント張兵舎・ゼロ戦21型が写っている。
 1943年末以降補給が断たれ無力化されたが、連合軍は上陸せず、終戦まで日本軍が維持した。
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▲飛行場建設は1942年末から始まり「シンガポールの戦い」で捕虜になった多数のイギリス軍捕虜が 使役され、多くが死亡した。元々無人島だった島は約1年間陸海軍航空機の前線基地として活動した。
 現在は無人島に戻っているが、戦後放置された日本軍機が多く残り、英国人捕虜の慰霊碑もある。
 現在はバラライ島(Ballalae Island)と呼ばれ、ソロモン航空の定期便が発着している。

この事件は、アメリカ側が山本の後を引き継げる優秀な人材は兵学校卒業順(ハンモックナンバー順/卒業席次順←要は成績順)の海軍にはいない。と確信して山本機撃墜を実行した程である。
山本が戦死した後の連合艦隊司令長官の人選は官僚主義の典型である。
太平洋戦争開戦直前の事、当時の連合艦隊司令長官である山本は、これからの作戦遂行の為には、自分が陣頭で突撃する形で行うべきだと考え、当時の海軍大臣の米内光政を連合艦隊司令長官、そして、山本五十六第一艦隊司令長官という草案を作り、航空本部長の井上成美に見せた事もあった。
「長門」「大和」には山本宛に大量の手紙が届いたが私信の返信が1日30通に及ぶ時もあったという。
しかし戦死した部下にはその家族に自筆で手紙を書き、場合によっては自ら墓参に訪れることもあった。
戦死した部下の氏名を手帳に認め、その手帳を常に携行していた。手帳には万葉集、明治天皇、大正天皇、昭和天皇の詩歌や山本の自作詩が書かれており、戦死者への賛美と死への決意で満ちていたという。
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▲ラバウル東海軍飛行場(昭和18年4月「い」号作戦の際に撮影されたとされる)
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▼▲ラバウル東飛行場。
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▼言わずと知れた当時史上最大の戦艦「大和」
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山本は南方ではパパイヤを好み、「大和」の冷蔵庫にはパパイヤが山のように保存されていたという。
戦艦大和ホテルにこもって最前線に出ようとしない無能な幹部という声も聞かれるが、アメリカとの戦争に最後まで反対し続けた事、当時の常識を覆す航空機を主とした真珠湾攻撃等、山本でなければ出来なかった事は多くある。
しかし敗戦した事で山本が立案した作戦等は批判されても仕方の無い部分もある。
「アメリカと戦っても勝てない」と開戦前から言い続けていた本人が指揮をとってハワイ作戦を実行し、自分の予想通りに敗退を重ねる日本軍に対してどう思っていたのか・・・・無念だったであろう。
勝算の無い戦争はこちらから仕掛けるものでは無い。どうしても有事になった場合、相手に攻撃の一手を先に撃たせ、
正当防衛として宣戦布告するしか他は無いだろう。それが戦争終結後に戦いの理由として大きく効いてくるからだ。
戦争とは勝たねば「悪者」になってしまうという事は現代の日本人が一番良く知っているはずである。
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▲前線視察でラバウルを訪れ、航空隊基地で出撃するゼロ戦(零戦)を見送る山本五十六司令長官
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▲ラバウル航空基地で出撃前の隊員に敬礼する山本五十六司令長官と、整備を受ける海軍ゼロ戦と花吹山。
戦艦「武蔵」で勤務した蝦名賢造少尉(連合艦隊司令部通信士官)は山本の敬礼の美しさに感激したという。
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▲ラバウル航空基地から出撃直前のゼロ戦22型、隊員達は山本長官の激励を喜んだという。
Admiral Yamamoto AssassinationYouTube
山本五十六名言集
『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ』
(実際にやってみせる。やり方を言って聞かせて、褒める。)
『話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず』
(話し合って、相手の言葉に耳を傾け、相手を認めて、仕事を任せることによって人を育てる。
『やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず』
(やっている姿を感謝で見守って、信頼する)

他、『博打をしないような男はろくなものじゃない』という言葉も残し、博打好きだった一面もある。
また、女好きもあって新橋の芸者「梅龍」と名乗る愛人・河合千代子をかこっていた。
1884年(明治17年)4月4日~1943年(昭和18年)4月18日享年59歳

「保守の火絶やさぬ」安倍氏に熱視線 自民「創生日本」再始動へ

2020-10-24 13:16:38 | 日記

「保守の火絶やさぬ」安倍氏に熱視線 自民「創生日本」再始動へ

派閥横断型の創生日本は、平成24年の総裁選で安倍氏の勝利を後押しした。

首相退任を機に本格的な活動再開を目指す動きが浮上。東京都内のホテルで開かれる25日の会合には、加藤勝信官房長官や下村博文政調会長、古屋圭司元国家公安委員長、稲田朋美前幹事長代行ら約20人が出席する予定。

安倍氏が講師役を務める勉強会の開催など、今後の活動方針についても話し合われる見通しだ。

創生日本の前身は、第1次安倍内閣が退陣した19年に中川昭一元財務相が立ち上げた「真・保守政策研究会」で、21年の中川氏死去に伴い安倍氏が会長に就任した。

その後、現在の名称に変わり、運動方針に「戦後レジームからの脱却」などを掲げて安倍氏の再起を支援した。

再始動について、ある幹部は「菅義偉首相は国家観を示す前にデジタル庁設置などの政策をアラカルトに打ち出す傾向があるので、党内で国家観を重視した活動も必要になる」と指摘。

「保守の火を絶やさないためにも安倍氏との活動を再開したい」と語る。

安倍氏に対しては、党内の別の保守系グループも連携を模索している。

年内にも慰労会を計画している「保守の会」の幹部は「安倍氏は保守の精神的な支柱だ。

首相辞任後も本領を発揮してもらいたい」と期待を寄せる。

「護る会」も27日に開く創立1周年を記念した懇親会に安倍氏を招待している。


韓米連合司解体を目論んだ文在寅の挫折

2020-10-24 12:19:10 | 日記

韓米連合司解体を目論んだ文在寅の挫折

米国が軍事・経済で親中政権を圧迫
日付: 2020年10月21日 00時00分
統一日報

 米・中共の文明の戦争が激化する中、中国共産党(中共)が人民日報を通じて台湾に事実上の最後通牒を発した。

習近平は人民解放軍に戦争準備を指示。

台湾海峡で戦争機運が高まっている。

韓半島でも中共が支える金正恩が、核ミサイル固守はもちろん、在来軍備の強化を宣言、イランなどと連携した。

それでも文在寅集団は、米・中共間の中立を強調、綱渡りを試みている。

この状況で先週、韓米間の安保と経済分野の高官級協議が開催されたが、破裂音だけ聞こえてきた。

文在寅は、安保上の深刻な危機中でも、韓米同盟の葛藤が韓国国民の注目を引かないように、世論操作と工作政治に没頭する。

文在寅集団は、巨大な不正・腐敗事件を覆うために、法と常識では到底容認できない破廉恥な悪態を犯している。

文在寅は、韓・日・中首脳会議を年内に開催し、親中路線で習近平を助けようと意図する。

韓・日首脳との格にも合わない上、習近平との権力闘争に敗れ実権のない国務院総理の李克強に会うことに、一体何の意味があるだろうか。

文在寅集団に対する米国の圧迫が強まった。

先週の14日(米国時間)、ワシントンで韓米国防長官が出席した韓米安保協議会(SCM)が開催された。

今回の会談は、開始前から韓米間で緊張が流れていた。

韓米SCMの前に、合同参謀議長などによる両国の高位級軍事委員会(MCM)が開かれたが、この会議に出席した元仁哲合同参謀議長が訪米前の8日、韓国国会の国政監査で「(韓米)両国が戦時作戦権の転換時点を決めれば、(これまでの)条件付きから、時間(時限)を基準に戦作権が転換されるものと考えている」と発言したからだ。

これは、韓米間の戦作権の転換は、北側の非核化はもちろん、諸条件を満たした状況で推進すると合意したことを完全無視、覆す発言であり、国内外から激しい批判と反発を呼んだ。

専門家らは、「韓国は米・中共間で中立を維持しようと綱渡りをするな」と警告した。

結局、韓米国防長官が出席したSCMは、戦作権の転換は、両国間の合意条件を満たしてから行うということを再確認したが、共同記者会見もなく終了した。

マーク・エスパー米国防長官は、防衛費分担金協定の空白が準備態勢に悪影響を及ぼしていると指摘した。

会談後の共同声明では、2008年以来含まれてきた在韓米軍の規模を維持するという文言が消えた。

米下院アダム・スミス軍事委員長ら民主党議員は、在韓米軍が現水準を維持することを促す書簡を9日、国防長官に送っただけに、アダム・スミス軍事委員長は16日、「在韓米軍の現水準維持」のないSCM声明に失望と懸念を表明した。

一方14日、映像会議で開催された第5回韓米ハイレベル経済協議会(SED、韓国外交部第2次官とキス・クラーク米国務省経済担当次官が出席)で、韓国に対し華為技術(ファーウェイ)など中国の通信会社製品を使用しないよう要求した。

40人の代表団を同席させたこの会議で、米国側は「クリーンネットワーク」推進の正当性を説明し、韓国の参加を求めたという。

クリーンネットワークは5Gネットワークやモバイルのアプリなどの情報技術(IT)分野で中国企業を排除するプロジェクトで、現在30以上の国と通信会社が加入している。

米国務省は、ファーウェイ社との取引中止を宣言した韓国のSKテレコムとKTを「クリーン移動通信社」のリストに入れ、ファーウェイの機器を使用しているLGユープラスは、リストから外した。

ロバート・ストレイヤー国務省サイバー国際通信情報担当副次官補は去る7月、「LGユープラスのような企業が、”信じられない供給者”から”信頼できる供給者”へと変わることを促す」と言った。

米政府高官が韓国に反中前線への参加を迂回的に要求したことはあるが、両者の公式会談で、このように述べたのは初めてだ。

すでに韓国民の4分の3が反中なのに、文政権は「検討が必要」「民間が決める問題」と即答を避けている。

マーシャル・ビリングスリー米軍縮担当大統領特使は13日(米国時間)、「アジアの友人と同盟国は、中国の攻撃を抑制し、自国の国家安保を強化することについて、かなり関心がある」と述べた。


英国際貿易相、2021年にTPP加盟申請の意向示す

2020-10-24 12:06:16 | 日記

英国際貿易相、2021年にTPP加盟申請の意向示す

産経

英国のトラス国際貿易相=1日、ロンドン(AP)
英国のトラス国際貿易相=1日、ロンドン(AP)

 ロイター通信によると、トラス氏は14日、英議会で、「来年早々にTPP加盟を正式に申請できることを望んでいる」と表明。「(加盟によって)英国の輸出企業を急成長している地域に進出させられる」と説明した。

 英政府は1月末の欧州連合(EU)離脱で独自の通商政策が可能になり、TPP加盟の可能性を模索。

今月9日、同国の貿易担当幹部が日本など参加11カ国の首席交渉官と初めて協議したと発表するなど、加盟に向けた準備を進めている。

 英国は今月11日、日本と経済連携協定(EPA)の締結で大筋合意。TPPを牽引する日本との大筋合意は「戦略的に英国のTPP加盟に向けた重要な一歩」(トラス氏)になるとみられている。

 TPPには、英連邦に加盟するカナダ、オーストラリアなど英国と関係の深い国に加え、今後の経済成長が期待できる東南アジアの国々が参加しており、加盟は貿易のパートナーを多様化できる利点がある。

英国の4~6月期の国内総生産(GDP)は世界主要国・地域の中で最も落ち込みが大きく、TPP加盟で経済を再建させたい考えだ。


韓国、「愕然」中国の朝

2020-10-24 11:43:12 | 日記
勝又壽良のワールドビュー
@oGxbAl74XtEQ0Fw
好評を頂いている「勝又壽良の経済時評」の姉妹版。勝又壽良が日々の世界経済ニュースをより平易に、かつ鋭くタイムリーに解説します。中国、韓国、日本、米国など世界の経済時評を、時宜に合わせ取り上げます。

韓国、「愕然」中国の朝

10月23日は、中国が朝鮮戦争に人民解放軍を参戦させて70年になる。

習近平国家主席は、この70周年記念式典で突然声を荒げた。

「今日の世界では一方主義、保護主義、極端な利己主義は通用しない。脅迫、封鎖、圧迫も通用しない。勝手に行う覇権行動も通用しない。通用しないだけでなくそれは行き詰まりの死路だ」。

名指しはしないが、米国にむけた非難であることは明らか。

北京の人民大会堂に集まった数千人の出席者は一斉に拍手を行った。『朝鮮日報』(10月24日付)が報じた。

習近平演説では、戦場という地獄の底に突き落とした韓国に対して、一言の言及もなかった。

これが中国の本心である。

文大統領は、米韓同盟にひび割れをもたらしながら、中国へ秋波を送っているにもかかわらずこの結果である。

中国にとっての韓国は、駒の一つである。文政権は、その中国のご機嫌伺いで心を砕いている。何とも不思議な光景である。

『朝鮮日報』(10月24日付)は、「北の南侵を支援しておいて『平和守護』のため戦ったと主張する習近平主席」と題する社説を掲載した。

中国の習近平・国家主席は23日、中国による6・25(朝鮮)戦争参戦70周年記念演説で「中国人民支援軍は平和守護、侵略反対の価値を掲げて鴨緑江を渡った」とした上で「北朝鮮と手を取り合い、偉大な勝利を勝ち取った」と主張した。

「韓半島情勢を安定させ、アジアと世界平和を守った」との考えも示した。

北朝鮮による南侵を支援し、韓半島を血に染めておきながら、「平和守護」という言葉を使ったのだ。

中国は70年前、韓国軍に対してはじめて勝利した日(10月25日)を「抗米援朝(米国に対抗し北朝鮮を支援する)記念日」としている。

(1)「習主席は6・25を内戦、10・25を抗米援朝として区別した。6・25は中国と関係なく、抗米援朝は米国の侵略に対抗した「正義の戦争」と主張しているのだ。

しかし6・25は金日成(キム・イルソン)主席が毛沢東から軍事支援の約束を取り付けたことで起こった戦争だ。

6・25直前に中国が北朝鮮に送った朝鮮人2個師団は南侵時の主力部隊だった。中国による6・25の責任は明確であるにもかかわらず、一切知らぬふりを通している」

6月25日の朝鮮戦争勃発は、中国が朝鮮人部隊2個師団によって38度線を突破させた。

これが、真実の歴史である。

それにも関わらず、10月23日に初めて中国軍を送った記念日にすり替えている。噓八白が中国式とはいえ、平然と歴史を改ざんしているのだ。

(2)「『抗米』と主張しているが、国連軍兵士らが中国の地を踏んだことはない。

6・25で戦死した韓国軍は14万人だ。

当時、毛沢東は「偽軍(韓国軍)から最初に打撃せよ」と命じた。

韓国軍を「弱点」と考えていたのだ。

6・25の英雄だった故ペク・ソンヨプ将軍は「中共軍と戦った期間がほぼ全て」と語っていた。

戦争の最大の被害者は韓国であるにもかかわらず、習主席はこれに言及しなかった。

「抗米援朝」という言葉そのものに韓国という存在はない」

中国の本心は、「抗米援朝」である。

米国に対抗して北朝鮮を支援したという意味だ。戦場にされた韓国へは一切の言及もない冷たさだ。

その中国が現在、米韓同盟から韓国を引離そうと真剣になっている。

韓国が、中国にとってはただの駒扱いである。

文政権は、それが分らず「親中朝・反日米」を基本スタンスにしている。歯がゆいほどの「おバカさん」に映るのだ。

(3)「米中衝突が激しくなる中、習主席は米国に対し「覇権行為は行き詰まりの死路」とした上で「強力な軍隊建設」を強調し、北朝鮮に対しては「血で戦闘的友情を結んだ」と述べた。

今、中国では「抗米援朝」を持ち上げる放送やイベントが相次いでいる。

金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長も中国軍戦死者の墓を参拝した。

ところが韓国の安全保障において堡塁となっている韓米同盟は徐々に崩壊している。駐米大使からして同盟の弱体化に荷担するような現状だ。70年前の悲劇が思い起こされる」

 文政権が今も「親中朝」であるのは、1980年代の学生運動時代の残滓を清算できずにいる結果である。

つまり、「大人」になりきれない集団であることを示している。この「輩」が反日を叫んでいる。シーラカンスのような存在であろう。