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韓日間の「国家競争力・信用等級」逆転は相当部分が「錯視効果」だ

2021-09-07 19:44:11 | 日記

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韓日間の「国家競争力・信用等級」逆転は相当部分が「錯視効果」だ

=韓国経済の「時限爆弾」

韓国がIMD(国際経営開発研究所: International Institute for Management Development)の国際競争力ランキングが始まって以来、30年経って初めて、日本を上回ったと韓国メディアが一斉に報道した。

 

2020年基準の韓国の国家競争力ランキングは23位となった。日本は34位だ。

25年前の1995年に韓国が26位で、日本が4位であったものが、ついに今日に至って、逆転に成功したと、韓国人の多くが喜んだ。

IMDの国家競争力ランキングは、1989年からスイスの国際経営開発研究所(IMD)がOECD加盟国および新興国などを対象に国家ごとの競争力を分析した後、発表する資料だ。

 

経済性、政府の効率性、企業の効率性、インフラなどの4つの側面から、様々な項目を評価する。

評価比重の60%は、国際機構などの外部から入手した客観的データ(統計など)を根拠に構成される。

評価比重の40%はアンケート調査を実施して得た回答内容を反映する。

すなわち、当該分野の数多の関係者らに対してアンケートを送って回収された回答を40%も反映するのだ。

万が一、企業の効率に関する内容であれば、多くの企業の最高経営者らに対してアンケートを示して、例えば、企業が効率的に運営されていると考えれば6点、そうでなければ1点にチェックするようにさせるやり方などで実施される。

従って、評価の相当部分は主観的であるほかないという限界を有する。

日本の国家競争力ランキングが低く出て来るほかないのは、数値上に表れる財務の健全性(政府負債の比率)の所為だ。

IMDは各国の政府負債の状態を相当な比重で評価に反映するようだ。


この点はIMDが各国政府の負債をGDP比で60%以下へと低くするのに必要な所要年数などを計算した「各国政府負債ストレステスト」と言う資料を別途発表する程、政府負債の方に神経を使っていることだけを見ても分かる。

30年前の1991年の日本のGDPに対する政府負債の比率は38%と非常に良好だった。

そして当時の日本の国家競争力ランキングはトップレベル(1995年に4位)を維持した。日本の良好な政府負債の比率が評価に相当部分反映された結果と見られる。

ところがその後、日本が景気浮揚に積極的に乗り出すと同時に、政府負債の比率は2000年に100%を突破し、2010年に200%を経て、2020年には266%を記録するようになった。

日本は現在、世界最高水準の政府負債比率を記録している最中だ。
長文です。 詳細はこちら https://news.yahoo.co.jp/articles/3682f023b9ab3e99b39f9571063d45be97349846



そもそも日本と比較すること自体が問題だが、いつ破綻しても不思議の無い韓国とでは、

GDP規模も政府資産も国民資産も、産業数を含め、国家維持そのものが大きく違う。

記事にもあるが、IMDによる日本の国家競争力は、政府負債比率の増加にそのまま連動し、ランキングが下振れしれたと解釈するべきだろう。

また政府負債の90%以上を自国民(日本国民)が保有する状態だという点と、円貨と言う国際通用貨幣(をいつでも発行可能だという点が評価に十分に反映されたとしたら、日本のランキングははるかに違うことになる。

問題は韓国で、負債比率を詳細にじっくり観察すれば危険な水準。

国際金融協会が2020年9月末基準で公開した「グローバル負債モニタリング」資料によれば、韓国は「家計負債比率」が非常に深刻な状態とした。

GDP比で100.6%だ。この時の米国の家計負債比率は81.2%、中国は59.8%、ユーロ圏は60.5%。家計負債比率の分野で韓国が世界一位を占めた。

さらに政府負債は深刻だ。国家予算の過半が外責となる。

政府資産に乏しく、自国銀行の貧弱さで、国債で対応できるレベルの国ではない。


中村哲医師の功績をたたえて制作された肖像画が、イスラム主義勢力タリバンの指示で塗り潰されたことがわかった

2021-09-07 19:09:55 | 日記

 

中村哲医師の肖像塗りつぶし「独立」の文字が…タリバン指示、「英雄を排除」

肖像画はタリバンの指示で塗り潰された(6日、カブールで)

 

 【テヘラン=水野翔太】

アフガニスタンの首都カブール中心部で5日、武装勢力の銃撃により死亡した民間活動団体(NGO)「ペシャワール会」の中村哲医師の功績をたたえて制作された肖像画が、イスラム主義勢力タリバンの指示で塗り潰されたことがわかった。

 2019年に死亡した中村氏は、アフガンで農業用水路整備など人道支援に取り組んだ。

肖像画は200人超の有志らが制作したもので、タリバンは今回、併記されていた詩とともに白く塗りつぶし、「独立」を祝う文言を黒字で記した。

 タリバンは旧政権下で、バーミヤン遺跡で仏像を破壊するなど徹底して偶像崇拝を禁止した。

8月15日のカブール制圧後、女性が写った美容サロンなどの看板を撤去し、元国王らの壁画なども消している。

タリバンは人物画や肖像写真が偶像崇拝につながるとして禁じ、イスラム統治の復活を印象づける狙いとみられる。

 肖像画制作に関わった芸術普及団体「アートローズ」のオメイド・シャリフィ代表は本紙の取材に、「英雄を排除しようとしている」とタリバンを批判した。


在日母国修学生の奮闘と軌跡

2021-09-07 18:26:56 | 日記

 


在日母国修学生の奮闘と軌跡

本国投資協会奨学生のライフストーリー
日付: 2021年08月15日 00時00分
 

韓日の架け橋として生きる在日同胞の中には、母国留学の経験がある人も多い。

マージナル・マン(境界人)の枠を超え、両国をつなぐブリッジとして生きる彼らの役割は大きい。

社会に進出した20~30代の元在日同胞母国修学生らはどのように暮らしているのだろうか。

韓日両国でそれぞれの道を切り拓いているエネルギッシュな在日の若者たちを訪ねた。(ソウル=李民晧)

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「陶芸家は自己を覚醒させた天職」
朴盛克(弘益大 陶芸ガラス科卒業)

朴盛克氏(パク・ソングク、1981年1月生まれ)は陶芸家だ。

島根県出身の在日同胞3世である盛克氏は、韓国陶芸の本場として有名な京畿道利川で暮らしている。

近年は陶磁器の制作で休む間もないほど忙しい。

世界を旅する中、磁石に吸い寄せられるかのように韓国へとやってきた盛克氏。

国立中央博物館で韓国の伝統陶磁器「粉青沙器」を見た瞬間、「これを人間が作ったとは」と驚嘆。

陶芸家への一歩を踏み出した。本国投資協会第1号の奨学生でもある盛克氏の暮らしを覗いてみよう。

 
―なぜ韓国に?
 
「幼少期は島根県で過ごしました。高校卒業後に上京し、東京で美容専門学校に通いました。
 
しかし、そこは自分の居場所ではなかったようです。コツコツ貯めた幾ばくかのお金を持ち、海外へと旅立ちました。
 
1年3カ月間、バックパックでインドやチベット、中国などアジア各地を回りました。
 
その頃はまだ、特に韓国に対する思いはありませんでした。しかし韓国のパスポートを所持し、朴盛克という本名を使うことで『私は日本人ではない』と気づかされたんです。
 
パスポートのページを追加するため、ミャンマーの韓国大使館に立ち寄って英語で尋ねたところ、大使館の職員が『韓国人だから韓国語を勉強してみてはどうか』と日本語で話しかけてくれたのです。
 
頭をガツンと殴られた気がしました。それが韓国に来るきっかけとなった出来事でした

―どのような経緯で陶芸家の道に?

「韓国で語学学校に通っていた当時、国立中央博物館を訪ねました。
昔の韓国人が作った遺物が並ぶ中、粉青沙器の前で足が止まりました。
 
衝撃でもあり、感動でもありました。これほど美しいものを人間が作ったということに、驚きを隠せませんでした。
 
その足で仁寺洞にある古美術品店に立ち寄り、陶芸を学ぶならどの大学に行けばいいか尋ねると、店主が弘益大学の陶芸科を薦めてくれました。
その時は必死だったのでなんとも思いませんでしたが、後で冷静になって考えてみるとなぜ古美術品店で聞いたのかなど無鉄砲さが笑えてきます」

―大学入試の際、実技試験はどのようにパスしましたか。

「入試前に美術教室に通いました。1カ月ほど通い、実技試験を受けて合格したんです。
そして更なるスキルアップを目指し、毎日作業室で過ごしました。
 
徹夜して、朝は目をこすりながらまた作業に取り掛かる。大学4年間はずっとそんな感じでした。
 
そういう生活を続けた末、3年生の時に奨学金を受給し、4年生の頃は公募展にも出品して賞を頂きました。
今でも後輩たちに会うと『先輩は学校に住んでいたよね』と言われます」

―入賞した作品はどのようなものでしたか。

「世界を旅しながら感じた思いを作品で表現したかったんです。
ミャンマーを旅行中、3週間ほど瞑想修行をしながら突如こんな考えが浮かびました。
『人は欲のために悩み、その悩みを解き放つことが難しい。それを作品として表現できないか』―。
 
その時思いついたのが『ろくろで断面をつくり、それらを人間に見立てて塔のように重ねる』という案でした。
私の思いと経験を作品に込めることができて嬉しかったし、入賞できてより嬉しかったです」

―芸術家の道は空腹への道ともいわれますが、経済的な苦労はありませんでしたか?

「陶芸だけで食べていけるようになったのは数年前からです。それまでは経済的に厳しい状況でした。
その間はアルバイトをしながら先輩の作品作りを手伝ったりしていましたが。
 
これが続いたら飢え死にする、と思ったこともありました。打って出ることが出来ず”守り”が精一杯の状態でした。
 
その状況を耐え抜き、最近では打って出る余裕も生まれました。
私が焼いた陶磁器の器やテーブルウェアがソウルの美術館に展示された他、商品として百貨店にも納品しています」

―利川に完全に定着したのですか。

「自宅を兼ねた工房に住んでいます。陶磁器を焼く窯をはじめ、作業設備を全て兼ね備えた私の憩いの場ですね。
今は私一人ではありません。妻と3歳になる娘がいるからです。
妻はフリーマーケットの隣のブースで出店していたことが縁となりました。
私は陶磁器を売り、妻は螺旋漆器を販売していました。
互いに心が通じ合い、家族になりました。
最近では作品を作り、商品を納品する傍ら育児もするという、本当に休む間もなく忙しい日々を過ごしています」

―今後の計画、将来の朴盛克の姿について。

「常に実験し、今していることとは違う新しいことに向き合っていきたいです。
失敗したり道に迷ったりした時は、陶芸を始めるきっかけとなった博物館での衝撃を思い出し、何をしたくて韓国で陶芸をしているのか初心を忘れずに作品と向き合っていきたいです。
『これを人間が作ったとは。しかも韓国人が作ったとは』と驚かずにはいられなかった当時の思いが常に胸にあります。
 
最近では『韓紙(韓国の伝統的な紙)』のように柔らかくて軽い陶磁器を作っています。
 
形が波のように複雑に曲がった皿やカップ、急須などです。次は重くて大きなものに挑戦したいと思います。
 
作品作りと経済活動を両立するのは簡単ではありませんが、それでも私は作家として生きていきたい。
新しい挑戦と実験を武器に、作品で私だけの世界をつくりたいと考えています。それでこそ『私の意味』があるのではないでしょうか」

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「私がデザインした服を着る日が」
金加奈(梨花女子大 繊維ファッション学科卒業)


金加奈さん(キム・カナ、1995年5月生まれ)は現在、就職活動中だ。
 
東京出身の在日4世である加奈さんは、梨花女子大の繊維ファッション学科を卒業した。
 
LAのファッション専門企業でインターンをしていた頃、3人のデザイナーからスカウトを受けたほど、ずば抜けたファッション感覚を持つ。
 
今後は、自分がデザインした服を世に送り出したいという加奈さんのストーリーを紹介する。

 
 
 
―母国修学を決めたきっかけについて。

「子どもの頃は朝鮮学校に通い、早くから韓国語を学びました。幼い頃から日本以外の違う国で暮らしたいという気持ちが強かったです。米国かな、中国かな―、そんなことを漠然と考えていた時、母国・韓国に行ってみようという思いに至りました。
 
母国修学の動機は、高1の頃、観光でソウルを訪れた時だったと思います。景福宮や明洞などの観光スポットを回った後、梨花女子大と延世大キャンパスを訪ねたんです。当時はまだ、”ここだったら通いたいかも”という漠然とした思いでした」

―ファッション学科を志望した動機は。

「インターナショナル高校に通い、世界各国の文化に接する機会の多い環境にありました。
 
そのため、外の文化に対する拒否感がなく、必ず日本に留まって暮らすといった考えもほとんどありませんでした。
 
関心のある分野はファッションと服。日本にある四年生大学には衣類学科が設置されている大学は見つかりませんでした。
でも、韓国にはあったんです。梨花女子大でした。それでファッション学科を志望しました」

―キャンパスの思い出は。

「ファッション学科は机に向かって学ぶ他の学科とは異なり、実技に比重を置いたカリキュラムが中心でした。
 
仲間と一緒に行うプログラムが多く、そのため友達とも仲良くなりました。友達とは他大学のイベントを観に行ったり、男子学生たちと合コンをしたり、済州道や江原道など韓国各地を旅行したりしました。楽しいキャンパスライフでしたね」

―韓国に住み始めた頃、韓国への適応は簡単ではなかったと思います。

「正直、2年生の頃までは韓国語があまり理解できずに苦労しました。
新入生の頃は講義の半分以上、ちんぷんかんぷんでした。教授の講義を録音して解読するという作業を行っていました。
 
また、課題が多かったことも大変でした。課題の一つ一つが全て成績に繋がるので、ストレスも多かったです。それでも何とか乗り越えてきました」

―韓国と日本の生活では何が違いますか。

「一番驚いたのは、韓国人のスピード感でした。日本ではよくせっかちだと言われていましたが、韓国では全くそうではなかったんです。
日本にいる時よりスピーディーに話し、行動しないといけない気がしました。
自分の思いを早く人に伝えないと不都合が起きることを実感しましたね。そんな風に”パリパリ(早く早く)”日々を過ごしていたら、いつの間にか強くなっていたような気がします。 

―在日ならではのエピソードは。

「現地の方々は在日同胞に対する認識が殆どありませんでした。
私を日本人だと思っていた人も多く、在日同胞4世だと言っても理解できない友達もいました。
 
なぜ国籍が日本ではなく韓国なのかという質問も受けましたね。
 
そういえば、在日韓国人ならではのエピソードがあります。入学したばかりの頃、
『韓国語作文』という講義を受講したのですが、国籍が韓国だったため韓国人クラスに配置されました。
 
そこで担当教授に『ずっと外国で暮らしていました。外国人クラスに配置してください』と申し出ました。
 
しかし、国籍条項があったことでそれは叶いませんでした。
 
やむを得ず、ネイティブスピーカーたちと韓国語対決をすることになりました。
結果的に、その講義ではB+を頂きました。頑張ったと思いませんか? おかげで韓国語の実力が一気に上がったことを思い出しました(笑)」

―ご自身のファッション感覚について。また、韓日両国のファッションの違いは。
 
「産業デザイン、衣装デザインはトレンドの移り変わりが早いという特徴があります。
 
日々の服選びは、その瞬間の選択と調合です。私が服好きであることが理由かは分かりませんが、似合うデザインをよく見つけると評価されています。
 
LAのファッション企業でインターンシップをしていた時は、3人のデザイナーが私を巡りスカウト合戦をしていました。
 
立場的に誰か1人を選ぶことはできないので、3人それぞれのアシスタントになりました(笑)。
 
韓日両国のファッション感覚を比較するならば、韓国人は色の多様性には劣るものの、服をオシャレにこざっぱり着こなす印象を受けます。ファッションの多様性や独特さといった面では日本人がより優勢だと思います」

―現在の生活と今後の計画について。

「大学卒業後に一度日本に戻り、現在はソウルで暮らしています。就職において、昨年のコロナ禍で面接までたどり着かないケースもありました。
 
最近は起業している知人の手伝いをしながら就職準備とポートフォリオの作成をしています。
私が得意な仕事をみつけたいです。しばらくは企業やショッピングモールで服を販売することになると思いますが、将来的には私がデザインした服を多くの人が着る日が来ると信じています」

 

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「ウイルス研究の第一線で働きたい」
趙顕太(高麗大 生命工学科卒業)


趙顯太氏(チョ・ヒョンテ、1995年5月生まれ)は現在、大阪大学医学研究科で実験プロジェクトに参加している。

 

顯太氏は年初に高麗大学生命工学部を卒業した在日3世で、本コースを終えて大学院に進学する予定だ。

 

将来は「ウイルス研究者」として、世界を翻弄した新型コロナ類のウイルス研究に携わりたいとの抱負をもつ。

 

 

―母国修学を決めた動機は。
 
 
 
「在日同胞なので生活基盤がある日本で暮らすのは当たり前かもしれません。
しかし一方で、本当の韓国文化を体験したいという気持ちが強くなりました。
 
比較的韓国語を使用する家庭だったことに加え、小学校5~6年の頃は大阪南港の金剛学園(現KIS)に、スクールバスで通っていました。
本来は日本の大学への進学を目指していました。
 
日本の高校に通っていたので、韓国の大学に行くことは正直、想像もしていませんでした。
両親と相談し、日本でも韓国の大学に志願できる方法があるということを知ったので、挑戦してみようと決心しました」

―修学準備はどのように。

「家で普段から韓国語を使っていたので、聞き取りと会話には不自由しませんでした。
 
問題は読み書きでした。そのため韓国語能力試験(TOPIK)を受験することにしました。
 
やはり目標を具体化することが韓国語力を高める秘訣だと思ったからです。
 
韓国語スクールにも通い、実力が徐々についてきたことを実感しました」 

―専攻が生命工学ですが、難しくありませんでしたか。

「母国生活は右往左往の連続でした。
2月末に実施する大学新入生のオリエンテーションにも参加できず、受講申請の方法も分からず混乱続きでした。
 
何より授業のレベルが高かったことに苦労しましたね。日本にいた頃は韓国語さえできれば良いと思っていましたが、実際の授業では英語を基本としていました。
 
生命工学は自然科学系列であり、専門用語の多くが英語だからです。汗だくになりながら必死で授業についていった記憶が鮮明に残っています」 

―大学生活、キャンパスの思い出を挙げると。

「楽しいことばかりでした。2年生から水泳サークルに入りましたが、土曜日ごとに先輩後輩たちと一緒に泳ぎ、ご飯を食べて酒を飲むという生活でした。楽しかったです。小さい頃から水泳が好きでしたが、韓国で泳ぎを生かすことができて嬉しかったです。
 
心底衝撃だったのは、大城里遊園地(京畿道南楊州)のMT(合宿、Membership Trainingの略)で飲んだ『どんぶり酒』でした。
 
焼酎とビール、ポカリスエット、牛乳、辛ラーメンの汁を混ぜて作った奇想天外なチャンポン酒。不思議なのは、『罰ゲーム』としてチームで分け合って飲むといつの間にか友情が芽生えたことです。
どんぶり酒は日本では想像もつかない韓国式の大学文化でしたが、私には思い出の一ページになりました」

―現在の生活は。

「卒業後に韓国の大学院に進学し、韓国企業に就職することも考えましたが、たまたま大阪大学で実験ステップ募集の案内を見つけました。
 
高麗大学は実験よりも知識の錬磨を重視する傾向が強かったんです。それで、韓国とは違う環境で実験経験を積むこともチャンスだと思いました。
 
実際、大阪大学での実験を通して、一つずつ新しいことを学んでいます。社会で即戦力となるような実習を行うため、机上の勉強だけでは分からない、ということをよく感じています」 

―新型コロナウイルスの見方、今後の計画について。
ウイルスは昔から人類と共生してきたもので、根絶は不可能です
新型コロナウイルスもインフルエンザのような流行型ウイルスになるはずです。
 
ただし、ウイルスの遺伝子構造がRNA系列である特性上、変異が活発になされるため、現在流通しているワクチンが効かなくなる可能性もあります。
 
今後も、こうした事態に対応できるワクチン開発を続けていく必要があるのです。
 
私も、できればバイオ分野のウイルス研究に従事したいです。来年は日本で大学院に進学し、その後は大学や企業で研究開発分野の仕事をしたいと考えています」 

―母国修学を控えた後輩たちにアドバイスを。

「韓国語さえ勉強しておけばOKだと思っていましたが、実際は英語が非常に重要でした。
高麗大の場合、卒業時点でTOEIC750点(文系は700点)を取得し、成績表を提出しなければいけません。
 
母国修学の準備に際し、英語も勉強しておくと良いかと思います。韓国では、在日同胞や在外国民について知らない人が意外と多いです。
 
そのため、教授や友達にはあらかじめ『私は在日同胞であり、分からないことが沢山あります。
 
色々教えてください』と自分の立ち位置をアピールしておく必要があります。
 
言わなければ相手は分からないからです。韓国には気持ちの良い人が多く、きっと快く受け入れてもらえるでしょう。そうすれば、大学生活は楽しいものになるはずです」

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※インタビュー対象は、在日韓国人本国投資協会(金和男会長)の奨学生から選定した。投資協会は2009年、主力事業として在日同胞の次世代育成を掲げ、国内の大学に通う在日同胞らに毎年奨学金を支給している。これまでに輩出した投資協会奨学生は約200人に達する。


【コラム】韓国、2025年にOECD非基軸通貨国で3位の負債大国に

2021-09-07 16:21:40 | 日記

 

【コラム】韓国、2025年にOECD非基軸通貨国で3位の負債大国に

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.02.16 12:02
 
最近潜在的大統領選挙候補者ごとに新型コロナウイルスによって経済的影響を受けた階層に対する支援策を吐き出している。
ところが互いに支援方式にともなう論争をしながら突然に企画財政部が金を使おうとしていないとして激しく追い詰めている。
企画財政部が遂行するさまざまな機能のひとつが財政を守ることだ。
倉庫番に対し倉庫を守っていることをひどく叱りつけるのだから、いくら政治が「甲」であり行政が「乙」だとしても世にこれほどの横暴はない。

企画財政部は財政では最高の専門家集団だ。年間予算558兆ウォンがどのように使われるのか手に取るようにする人たちだ。
さらには最近の公務員は分からず屋でなく政務的感覚が劣ってもいない。
彼らが大規模財政拡張に懸念示すのはそれだけの理由があってだろう。多くの経済学者もやはり同じだ。国民に詳細に説明したい気持ちはやまやまだろう。
残念ながら財政は用語が見慣れない上にすぐには理解し難く、十分に説明する機会がない。
ここでは国民が国の負債に対して知っておくべき最小限の基本事実関係だけでも整理する。
天文学的な規模なので自分のことではないと感じるかもしれないが、財政は結局私たちの税金であるためだ。

1.国の債務(D1)か一般政府負債(D2)か

一部政界関係者の討論を見ると、韓国の国の負債は昨年末基準44.2%で、経済協力開発機構(OECD)平均の3分の1にすぎないと主張する。事実だろうか。
 
この時に話す44.2%は国の債務、D1を指す。D1は中央政府と地方政府の債務を加えた値だ。これに対しOECDや国際通貨基金(IMF)で国同士の健全性比較のために活用する基準(GFS-PDS)はD1に非営利公共機関負債を加えた一般政府負債で、これをD2という。
すなわち他の国と比較する時はD1ではなく、D2基準で比較しなければならない。
昨年末基準でD2推定値は48.41%だ。この数値とOECD平均を比較しなければならない。

2.単純平均か、加重平均か、中間値か

果たして韓国の国の負債はOECD平均の3分の1水準だろうか。
韓国の負債比率が低いという時も比較する数値としてOECD平均負債比率130%をいう。
ところがこれは各国の一般政府負債(D2)をGDPに基づき加重平均した値だ。
 
OECD加盟国のうち経済規模が最も大きい米国の負債比率が131.18%、日本が266.18%と最も高い方のため加重平均は高くなるほかない。
国同士の単純平均は79.69%とはるかに低い。事実単純平均さえも的確な尺度として使うには問題がある。
 
37カ国の国の負債分布は正規分布ではなく右側に尾が長いカイ二乗分布に近い。こうした場合、中心値の尺度では中間値を使わなくてはならないが、
この値は63.68%だ。この中間値と韓国の一般政府負債比率との差は15.27ポイントにすぎない。

3.基軸通貨国か、非基軸通貨国か

韓国の国の負債を話す時に論争の種のひとつが基軸通貨国と水平比較ができるのかということだ。
外国為替市場で認められる基軸通貨は米ドル、ユーロ、日本円、英国ポンド、カナダ・ドル、スイス・フラン、豪ドル、ニュージーランド・ドルの8通貨だ。

OECD加盟37カ国のうち基軸通貨を使う国は23カ国で全加盟国の62%がこれに該当する。
 
単純平均を比較すると基軸通貨国の負債比率は95.77%だが非基軸通貨国は53.27%にすぎない。
 
非基軸通貨国が国の負債をはるかに保守的に管理しているという点がわかる。非基軸通貨国平均と韓国の負債比率48.41%の格差はわずか4.86ポイントにすぎない。
 
 
 
 
4.負債規模より増加速度が問題

企画財政部や学界で最も懸念するのが、負債増加速度がとても速いということだ。どの程度だろうか。
 
2015年から2020年までの負債比率上昇幅を見ると、韓国は7.63ポイントでOECD平均の9.87ポイントに比べ低い。
 
問題は2020年から2025年までの今後の上昇幅の場合、韓国は16.55ポイントで、OECDで2番目に高い上昇率を示すと予想する点だ。
 
これに伴い2025年には韓国の国の負債(D2)は64.96%で、非基軸通貨国の中ではイスラエルとフィンランドの次に国の負債比率が高い国となる。

長期見通しはさらに暗鬱だ。
 
企画財政部は国家財政法第7条に基づき5年ごとに向こう40年間の長期財政見通しを国会に提出することになっている。
 
昨年提出された見通しを見ると、20年後には国の負債比率が90%を上回ることになる。一般政府負債基準(D2)では100%を超えるだろう。

5.赤字性債務か、金融性債務か

国の負債(D1)は赤字性債務と金融性債務に分けられる。赤字性債務は債務を償還する時に税金を財源として返さなければならない債務をいう。
 
これに対し金融性債務は対応する資産があり別途の財源調達なく独自に返せる債務だ。

国の負債が高くても別に問題ではないという側の主張のひとつが、金融性負債が多いので問題にならないというものだ。事実だろうか。
 
2012年までだけでも赤字性債務より金融性債務が多かった。
 
そのうち2012年から赤字性債務の割合が金融性債務より高くなり、昨年にはその割合が60%を上回った。
 
政府が提出した2020~2024年の国家財政運用計画評価によると、赤字性債務は急速に増加し2024年にはその割合が68%に達し、GDP比でも40%に達する。
 
すなわち今後税金を集めて返さなければならない債務が急激に高まるということだ。今後債務比率も高まるが、債務の質も急激に悪化するのだ。

6.引当負債まで含めばさらに深刻

公務員・軍人年金引当負債は今後政府が支給しなければならない未来の年金の現在の価値だ。
 
財務諸表上は負債だが国の負債を計算する時は除外される。これを引き当てるための基金が形成されているためだ。
 
問題はこれらの財政が悪化する点だ。
 
しかも政府は国民年金も実質的に最終責任を負わなければならない。例えば国民年金の場合、2050年中盤以降に基金が枯渇してからは賦課式に転換しなくてはならない。

人口規模と分布が一定ならばドイツで見るように問題にならないが、韓国の場合、人口減少によりこのままでは保険料が現行の9%から30%台に上昇することになる。
 
したがって年金改革が至急だが、だれも猫の首に鈴を付けられずにいる。
このような形で時間だけ過ぎれば結局後世代の租税負担能力だけ損なわれ、このほかの国の負債償還もそれだけ困難に直面することになる。

7.具体的な償還計画がない

財政は危機の時に放出し好況の時に引き締める。すなわち景気に反対に対応しなければならない。
したがって現在のように景気低迷状況で財政を拡張することに反対する経済学者はいないだろう。
問題はこれをどのように償還するのかに対する具体的議論が抜けている点だ。

最近ドイツのメルケル首相は、昨年の赤字予算が避けられなかった点と2023年から負債を返していくという償還計画を率直に説明し理解を求めた。
コロナ以前に59.53%にすぎなかったドイツの負債比率は昨年73.28%に急増した。
メルケル首相は2025年までにこの数値を59.52%に戻すという具体的な償還計画を明らかにし、連邦政府と地方政府ともに骨を削る努力をすべきだと述べた。こうしたことが真の指導者の姿ではないだろうか。

これまで韓国の国の負債に対しいくつか重要なファクトをチェックした。このような事情をあまねく考慮すれば韓国の国の負債状況は決して安心できない状況だ。

アン・ドンヒョン/ソウル大経済学部教授