ICUROK!!

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夏の山祇

2024年08月04日 19時18分40秒 | 音楽

苗場の山にKRAFTWERKがやってきた。

というわけで、フジロックから早くも一週間が経過。記憶が薄れぬ前にKRAFTWERKを中心とした個人的記録を残しておく。

当日はギリギリまでFIELD OF HEAVENにいたので完全出遅れ。20:30頃に現場入りすると既に祭壇のセッティングが始まっている。大慌てで可能な限り前方中央へ向かい陣取り。ちなみに、セッティングしていたのはラルフ以外の御三方であったことに後々気づく。ヘニングが短パン姿など、皆さんの貴重な夏の装いを拝ませていただいたわけだ。

ピクセルマンが投影され、例の電子音が会場に流れ始めると先ず喝采。そして、御馴染み“Meine Damen und Herren~”の式辞が流れ、ドイツ発テクノ界重鎮の鷹揚かつ洗練されたマイスター精神の手際の良さで、ほぼ定刻通り21:10に演奏開始。当日突貫で書き留めたクソ備忘録は誤記も多いが恥を忍んでこちらにも貼っておく。

伝統芸能の如きNumbersからの入りはやはり痺れる。事前のセッティングでチェックしきれていなかったのか、投影された映像が全体的に右下にずれて「8」が見切れるトラブルにニンマリしたファンも多かったはず。その場でしれっと中央に映像位置を補正する神の手をしかと拝見。今回嬉しかったのは現地で沢山のKRAFTWERKファンたちと「イチ、ニ、サン、シ」の合いの手を入れることができたこと。Bunkamuraの時は合いの手を入れられる雰囲気では無かったのでフェスという場に感謝。Computer Worldへの繋ぎもやっぱり盛り上がる。欲を言えばフェス仕様は(毎々言っている気もするが)90年代初頭あたりの過激なビート組んだパターンなんかお願いしたいところ。

Homecomputerでとにかく驚いたのは重低音。KRAFTWERKのライブでここまで鬼のような音圧は初めてで圧倒されてしまった。空気がビシビシ震えて、ここで死ぬんかとおもった。この日、音圧で殺されかけたのは他にもあって、順番は前後するが、The Man MachineとTEEがえげつなかった。PAが設定間違えたんじゃないかというレベルでドイツの爺さんに殺されかけた。ビートに骨までガタガタにされそうな、そんな勢い。

Spacelabは苗場会場への軟着陸で盛り上がる。この曲とアウトバーンはラルフ御大のもっさりした手弾きシンセが味わい深い。アウトバーンはフェス仕様の短縮版なのでやはりフルでやっていただきたい。さあ、もう一度単独公演をやるんだっ!

モデルはやはり人気曲なのか「1,2,3,4」のカウントで周囲の外国人オーディエンスも一様に沸く。安定した演奏を下支えするヘニングは毎度ドヤ顔に見えてしまう。

さて、モデルの後は話題になったアレ。昨年亡くなった教授こと坂本龍一氏へのメッセージと戦メリ演奏。
ラルフが発した「私たちは永遠の友達です」って言葉。そして、1981年来日からの絆とNO NUKES 2012における日本語歌詞の監修に至るまでの話をしたうえで、追悼演奏に突入されたら泣くしかない。過去にソニックマニアでは闘病中の教授に対して「早い回復をお祈りします」とのメッセージを添えていたこともあって、もしかしたら今回も何らかのアクションを起こすのだろうかとおもっていたが、まさかここまでとは……。戦メリのピアノの旋律にパッド系の音色を重ねるラルフ。まるで教授と一緒に音を確かめながら弾いているような、そんな心の通った演奏だった。(思い返しても目頭じんわり。)

ここから続けてRadioactivity。上の方のクソ備忘録にある(前が見えねえ)はデカい客に視界を遮られたのではなく、涙で前が見えねえの意。色々な思いが重なって横にいたベテランファンの方と一緒にぐじゃぐじゃに泣いていた。
ところで、ネットの掃き溜めで一部熱心に噴き上がっている連中がいたことに敢えて触れておく。あの手合いは例えばコカイン瀧がピエール使用で逮捕された時なんかもそうだが、とりたてて興味の無いものに対して全く関係ない第三者に対してすらも表層的な印象から攻撃的な言動を取りがちで本当に恥を知って欲しい。加えて電気を使うなという暴論なんかももうたくさんだし、くだらない“煽り”や“炎上”などという観念は10年前のインターネットに置いてきてくれないか。これは元々そういう曲だし、彼らの思想は明確な反原発という前提を理解することで話は御仕舞なのだ。各時代、各場所で被害にあわれた方々に彼らが思いを寄せていないわけがないじゃないの。

さて、気を取り直してフランスのチャリメドレー。クソ備忘録の(見えてきた)は涙がようやく引っ込んできたの意。Tour de France 1983は後半歌詞が飛んでたっぽい箇所があってシーケンサーから無情に鳴り響く“つどふぉん♪つどふぉん♪”にニヤつく。2003へのつなぎでワイヤーフレームタイツが映像と連動して光るところはめちゃくちゃ格好良くて印象的。

TEEは(あぶつぐえぐい)と書いたが正確にはMetal on Metalか。上述の通り音圧により殺されかけたので本当によく無事に下山できたとおもう。

最近の彼らの動向を追っていなかったけどThe Robotsは映像変わってたよね……?ラルフがボコーダーでちゃんと歌ってくれるバージョンだったし、ボコーダーの音色も良くて大好き。でもやっぱり本物のロボット連れてきて欲しいので、さあ、もう一度単独公演をやるんだっ!

Pocket Calculator~電卓は大勢のファンと一緒に大合唱できて最高。先のNumbers同様、Bunkamuraでは叶わなかったファンたちの合唱でドイツの客人を精一杯もてなすことができたとおもう。しかし、今回の演奏はこちらもPAの問題なのか電卓のボタン押したときのSEが鳴っていない(正確には音がめっちゃ小さい)トラブルが発生。人差し指構えていたのにそりゃないよ旦那!やり直し!やり直し!さあ、もう一度単独公演をやるんだっ!

最後は短めのBoing Boom Tschakから直接Musique Non Stopに繋ぐ。もう、そんなに別れを急がなくてもいいじゃない!Techno Popもやってよ!さあ、もう一度単独公演をやるんだっ!
などと、心ざわつかせながら締めの一曲を見届ける。メンバーソロパートではいつものように父のような眼差しで他メンバーを見守るラルフ御大が愛おしい。ラルフソロパートはボコーダーも入っていたっぽいけど最近はこんなアレンジなのか。
「Good night!Auf Wiedersehen!」で退場し、即座に「クラフトワークかっこよかったですね~」などと総合司会(?)の登場で一気に夢から醒める。時刻は22:40。何とパンクチュアル。アンコールないのかー!?「Sayonara!」言って欲しかったよー!さあ、もう一度単独公演をやるんだっ!(しつこい)


さて、ここからは今回のKRAFTWERK公演に関連する旅の思い出のようなものをいくつか書き残しておく。
当日私が陣取っていた付近には円安の影響か知らんが外国人がとても多かった。中国系の方々のグループは何言っているかわからないが身長の低い人を前に入れてあげるなど凄く優しかったり、一々盛り上がるところが一緒だったり、個人的に中国語かじっておけばよかったと少し後悔した。音楽で繋がる世界の同志たち素敵。
そして、もう一つ特筆すべきは、人間解体のコスプレをした人が二名いて、よくぞこの夏山にその格好でと感心してしまった。しかも、そのうち一名はなんと高校二年生の男の子という衝撃。なんでもお父さんの影響とのこと。何という英才教育かしら。終演後に近くにいた濃いめのベテランファンの人と良かったですねー、泣いちゃいましたーなどと言葉を交わしつつ、コスプレの子ともハイタッチしてお別れした。本当に温かくて良い時間だったなと、しみじみしながら、オアシスゾーンで遅めの夕飯をかき込んで色んなことが報われたような気がした。

翌日はせっかく新潟に来たのだからということで、興奮でろくすっぽ寝れず疲労困憊の身体に鞭打ちながら新潟競馬場まで大移動。以前より現地観戦したかったアイビスサマーダッシュが丁度よいタイミングで開催されるためだ。まあ、結果はお察しの通り、新潟駅からのバス代すら稼げない惨めな状況で、大雨の中うなだれて新潟駅まで引き返す羽目に。
しかし困ったことに、負けても謎の達成感に背中を押され、寿司でも食おうかと駅周辺を探索。Google先生に訊きながら手ごろなお店を見つけ、いざ入店するやいなや、TEEのTシャツを着た“パイセン”がカウンターに陣取っていらっしゃるではないか!
リー・リンチェイと香田晋を足して割ったような店主にパイセンの横の席へ案内される。先ずはビールで喉を潤してから思い切ってパイセンに声を掛ける。そこからはフジロック反省会と音楽談義ということで“リー・田晋”に途中で注意を受けるほど大盛り上がり(スンマセン)。パイセンと同行されていたお姉様もこれまた趣味趣向が一緒。KRAFTWERKは勿論、YMO、プラスチックスなんでもござれ。一番驚いたのは、私が初めて行った2019年のフジロックはThe Cureと平沢進が目当てだったという話をした途端、お姉様が一気に食いついて来て「私も平沢進大好きなんです!ファンの人に初めて会いました!」と涙目になりかけながら突然の馬骨同志発見という超展開。お姉様は戸川純の大ファンだそうで、3月のバースデーライブやら諸々そちら方面の話も存分にさせていただいた。細野晴臣御大やSketch Showの話とかもできて共通言語があるって本当に素晴らしいなあと、しみじみ。パイセン組と意気投合した結果、地元にしか出回っていない大洋酒造というところの美味しい地酒を教えていただき、「これ食べなよ」ってお寿司も一貫ご馳走になってしまった。Twitterにも書いたように、もう二度とお会いすることはないんだろうけど、たとえ一時でも人との繋がりっていいよなあと、いいよなおじさんの物真似をしながら感無量で帰路に就いたのであった。


家に帰って荷物を整理し、パチモンみたいなデザインの“MAKE THEIR CRAFT WORK”シャツをタンスに仕舞いつつ、デュッセルドルフ方面に向かって柏手を打つ。

さあ、もう一度単独公演をやるんだっ!

そう念じて、夏の山に現れた神々に対し深々と頭を下げるのだった。