誰にも醜聞があります。たとえそれが、事実であろうが、なかろうが(笑)。
ここでは最近の「韓国の醜聞」を集めてみました。
韓国の歴史(に)は、昔から今まで、いつも人の命よりも上に君臨するものがありました。
それは、権力だったり、思想だったり、チェミョン(体面、面子)だったりします。
権力は子どもたちに「勝ちか負けか」だけを教え、何でも序列をつける社会を作りました。思想は子どもたちに「自分と違う意見を許してはいけない」と教え、極端な左右葛藤の社会を作りました。チェミョンは子どもたちに「虚栄を守る」(こと)だけを教え、嘘をつく社会を作りました。
権利を持つ者には同じ分の義務があるということを、自分の考えと違う人たちが存在するという単純な事実を、恥ずかしくても嘘をついてはいけないという真の誇りを、大人たちは子どもたちに教えませんでした。
そんな社会雰囲気の中、「反省」を求めること自体、無理かもしれませんね。
:P.190 シンシアリー「韓国人による沈韓論」扶桑社2014年9月22日初版第3刷発行
なんとまた格調の高い韓国人シンシアリーの言葉か。
日本人の私がいくら言葉を尽しても言い切れない「韓国の現状」を、韓国人が格調高く言い切っています。
みごとなものです。そしてこのような立派な韓国人の考えが韓国での主流たりえないところに重要な意義がある、と言えます。
中国でも孔子の時代から
「本には立派な言葉」が並んでいますが、実社会ではあり得なかった「政権にヨイショする」言葉ばかりだったのですね(笑)。中国社会は、このころから既に、「みかけ倒し」「メンツだけを重んじる」疑惑の社会だったのです。
そして今でもなおかつ、中国はもちろんのこと、その影響をもろに受けた韓国でも、「みかけ倒し」「メンツだけを重んじる」社会は続き、これに反するいかなる意見も、無視されるか、抹殺されます。
孔子の言葉は「格調高い」というよりも、むしろ「現状を維持するための立派な言葉」というべきでしょうか。
現在の日本でも
- 大手の通信社や新聞社が伝えることにこそ真実がある
- 公式の政府声明が、その国の多数派の意見である
- ものごとの上辺だけをみて判断する(メンツ重視)
とする「実直にしてかわいそうな」人が見られますが、こういうところに、中国ではあり得なかった、そして日本でも危ない「言論の自由の大切さ」があります。
シンシアリーの話に戻りますが
私のような外国人が言うのならいいとしても、言論の自由がない韓国で、韓国人シンシアリーがそこまで言って大丈夫かな、と時折心配するほど「韓国紙を元にして現実を伝える」のです。
これが、まるで「韓国の恥部を暴露」するように見えてしまい、「擬似民主主義」国家である韓国にも「少しだけ存在するらしい言論の自由」が感じられ、なぜかほっとします。
この「韓国の現実を述べる」成功の秘訣は、「韓国人が日本語で発信する」ところにあるのでしょうか。
格調高いと言えば、こちらをご紹介するのを忘れてはいけないようです。金正日時代の北朝鮮で主体思想なるものを編み出した黄長燁(ファン・ジャンヨプ 1923-2010)です。
黄長燁(ファン・ジャンヨプ)は1997年韓国へ亡命〔中国北京経由〕。金正日筆頭の側近が家族友人まで捨てて亡命したことに対して、北朝鮮のスパイではないかと批判する人が多いようですが、私は相当な決意をもって良心から亡命したのではないかと考えています。
ほとんど知られることがなかった北朝鮮の内側がわかると期待されたからです。
しかし、黄長燁(ファン・ジャンヨプ)に逃げられた北朝鮮・金正日の作戦は巧妙でした。
金泳三(1927-2015 大統領在任1993-1998)
金大中(1925-2009 大統領在任1998-2003)
盧武鉉(1946-2009 大統領在任2003-2008)
李明博(1941- 大統領在任2008-2013)
朴槿恵(1952- 大統領在任2013-2018予定)
ご存じの通り
黄が北朝鮮から韓国へ亡命(1997年)したのは金泳三の末期、ちょうど金大中~盧武鉉という親北左翼政権の時代でした。どうもあやしい時代でしたね(笑)。
しかし「左翼政権時代に黄が亡命した」は事実ではなく、真逆だったようです。
金正日(キム・ジョンイル 1942-2011)は、亡命した黄に何を暴露されるかわからない、と極端に恐れました。
金正日は、黄に北朝鮮の内幕を暴露させないために、「軟化」を演出し、その南北対話のためには韓国への亡命者「黄」が邪魔だと思わせる作戦に出たのです。
事実、雪どけブームにふさわしくないと洗脳された韓国為政者や韓国人たちは、黄を軟禁状態にして監視し続け、黄は2010年失意のまま世を去りました。
金正日が保身のため、韓国に親北政権を続けるように誘導し、実際にまんまと金を巻き上げたあと、黄の死亡(2010)と時を同じくして金正日も世を去りました(2011)。
その前後から元の南北対立に戻ったことを考えると、真逆の意味がお分かりになるのでは、と思いました。
そして今の
戦後最悪かとも思われる南北対立に至り、少し前までは北朝鮮を見放したかにみえた中国が、韓国との関係が深化しないことに業を煮やし、再び北朝鮮に近づきつつあるのでは、とされる現実の世界に至ります。
上記をまとめて一言で言えば
側近中の側近だった黄長燁が亡命して内幕を暴露されるのを恐れた金正日が、ありもしない軟化作戦をあみだして、10年程度の短期間ではありましたが巧みに韓国を太陽政策へ誘導し、南北対話のためには黄長燁が邪魔だとして「干した」あと、役目終了とばかり、その二人(黄長燁・金正日)ともこの世を去り、元の南北対立に戻った
こういうことだろうと考えています。
黄長燁を「裏切り者」とすることは簡単ですが
そのままだと、北朝鮮金正日や韓国擬似左翼政権者たちの主張そのもの
のように私には思われるのです。
最後に「格調高い」黄長燁のことをつづった本からの引用をしましょう。
黄元書記は、日本統治時代の少し古風で格調の高い日本語を話す。若いころから教壇に立ち、朝鮮労働党中央の学者の最高位として、金日成の理論書記として語り続けてきたのであるから語ることのプロである。
語るプロは質疑のプロでもあった。質問の立て方は難しかった。何をどう聞けば、われわれが知るべきことを黄氏から引き出すことができるのか、インタビューはその格闘だった。
それに黄氏は、学者として品位を重んじるので下世話な話は大嫌いときている。山ほどあるエピソードより一筋の真理を語る傾向が強い。信念の人であるから頑固でもある。
金正日の私生活をしつこく聞いたら、プイとして「きょうは終わりにしましょう」と機嫌が悪くなって往生することもあった。: P.205-207 黄長燁(ファン・ジャンヨプ)「金正日を告発する」久保田るり子訳・産経新聞出版
さてさて、皆様はどう思われますか。