EUは、日本から見て遠くにある地域ですが、EU関連の諸問題点が、私たち日本人に何かを考えさせます。
加盟問題、財政問題、除名問題、域内の対立問題、難民問題、テロ対策があり、そして新しく離脱問題が加わりました。
EUでは、イスラム教に対する姿勢が
- 寛容から
- 不寛容へ
移りつつあり、現在レベル2.の初期段階かと思われます。
もともとEU成功の秘訣は、キリスト教の派閥間対立を抑えられたこと、宗教色をできるだけ控える寛容さにあったと思います。
ただしシリアの治安悪化→空爆→難民発生→難民がEUへ押し寄せ、結局非寛容のイスラム教徒を寛容に受け入れてきたのが、過激派のせいもあり、非寛容に変わりつつあるのです。
EUでは、中国共産党に対する姿勢が
- 寛容から
- 不寛容へ
中国が
朝鮮半島の両国と国交を樹立後に、両国を手玉に取り一生懸命にあおって中国共産党存続に役立てようとしてきましたが、どうやらあきらめかけ、海洋への進出とともにアメリカとの対立も激しくなり、いよいよEUへ重点を移そうとしてきました。韓国もまたそれに歩調をあわせます。中国・韓国がEUへ重点をおこうとしていたのです。
これは一方的なものではなく、中国・韓国の日米との不和を見て取った遠方EUからの接近でもありました。しかしEUには、ロシア不信と同様に根強い中国不信があるため、そう簡単には受け入れられないといった状況でした。
そんな時に起ったのが
- 昨年からの難民問題とテロの対策
- そして今年2016年6月に起ったイギリスのEU離脱決意
特に後者は「EUの結束」を支持してきた中国には、大きな痛手でした。
表面的にはEU強調を願っていたかに見える中国ですが、それは世を忍ぶ仮の姿だったと言えます。
独裁国家というものは「多国間の協議を避ける」のが原則で「2カ国間協議」を得意としています。
中国は、透明性からしてTPPに参加できる資格さえなく、主導した北朝鮮関連の6カ国協議も頓挫(とんざ)したままであることなどから、これは納得していただきやすいかと思います。
とにかく中国の「異論を許さない体質」は、多国間協議には向いていませんが、2カ国間協議になれば、偽造の笑顔で威嚇するという得意のパターンに持ち込めるのでした。
よってEU全体ではなく、EUを離脱した国、今のところイギリスだけですが、これらと単独で交渉する方が中国としては「性(しょう)にあっている」のです。
しかし中国が、アジアで思い通りに進まないからと言って難問を抱えたヨーロッパで成功しようとしても、それは難しいだろうと多くの人が考えるのも、当然でした。
そうこうしているうちに、体力がもたなくなり、中国共産党は滅びてしまうのでしょう。
アジア 10億人
中東・北アフリカ 3億人
アフリカ南部 2億人
=======================
合計 15億人
中国の人口は公称13億人
しかし戸籍に入れられない秘密の人口まで含めると、15億人と見ておくのが妥当なところです。
とすると人口5億人のEUが
- イスラム圏〔イスラム教支配下の人〕15億人
- 中国圏〔中国共産党支配下の人たち〕15億人
をどう見ているかに、注目しなければならないでしょう。
これまで寛容だったEUが
不寛容で知られる「イスラム教と中国共産党」をどう扱うか、見ものです。
EUが、これからもイスラム教に寛容であり続けるとは限りませんが、同様にEUは、いつまでも中国に寛容であるとも限りません。
ここに「選択の悩み」があります。
自分の意志を、「尊重すること」と「尊重し過ぎること」の問題です。
「西洋型民主主義」を発展させてきたヨーロッパでした。たしかに当初、中国を遠ざけてはいましたが、近年中国へ接近し始めています。それはなぜなのか。
わかりやすく言えば
- 選択肢のなかから自分で判断する合理性
- 独裁政治で選択の余地なく他人が決める不合理
- 自分の判断結果が失敗した時の自分に対するやり場のない不満
- 他人の判断に従う場合の精神的利点
に気づき始めたのです。
「どちらがいいか」ではなく、どちらか一方でもだめで、共にある程度は必要なのでしょう。その「程度」に問題があるとも言えます。
これは見方によっては
- 自由と規律
- アジアと欧米
などと対比されました。わかりやすい例をあげてみました。
EUからISへ参加する人が増えた
すべてを自分で決めなければならない煩わしさが極限に達すると、人は自ら規制を求めるほうに魅力を感じてしまうようです。
いくら選択肢がたくさんあり、何をどう判断し努力しても、結果がうまく行かない場合、それらはすべて「みせかけ」に過ぎず、やり場のない自暴自棄へ走る危険があります。
自分で決めたことが不首尾に終わったときの罪悪感もこれに拍車をかけ、自ら規制を求めるほうに魅力を感じてしまうというのです。
外から見たら「恵まれた」環境にあるはずのEUの若者がなぜ自ら進んでISの束縛を求めるのだろうか、と疑問があるかも知れませんが、これで納得できますね。
外から見たISと、内部のISでは大きく違い、その醜悪さに気がついた時はもう遅いのでした。
アメリカでで銃乱射事件が多すぎる
各人が銃を携帯しなければ自分を守れないと信じて防衛のために持ち歩いていたはずの銃でしたが、何らかの理由で自分が自暴自棄になり、自衛のはずだった銃が他人を攻撃する道具となり(銃乱射事件)、それが余りにも多すぎるアメリカ社会なのです。「アメリカの病巣」と言ってしまえば簡単ですが、現実はもっと複雑なんですね。
アメリカに限らずロシア・韓国・日本でも、「自殺願望」「殺されたい症候群」が原因で犯罪に走ることがあるようです。
これらすべてとは言えないかも知れませんが、自分の判断に委ねられたにもかかわらず、結果が思わしくないと自分の判断力に疑問が生じたためではないか、と考えるとわかりやすくなろうかと思います。
これらについては、次が参考になるかと思います。
- シーナ・アイエンガー著「選択の科学」〔清水勝彦〕
- 選択をしやすくするには〔シーナ・アイエンガー〕
よりわかりやすくまとめるならば
- 自分で判断することの、「心地よさ」と「困難さ」。
- 自分で判断しきれないほどの難問の場合、他者に判断を委ねる余地があるかどうか〔他人の場合「難問」ではないかも知れないので〕
ということでしょうか。
「中国のような極端な弾圧社会」も許せませんが、かと言って、「ISで束縛されたいとしてEUを脱出する人が多い社会」もまた許せませんね。
私はこう考えるのですが、皆様はどう思われますか。