2017衆議院選挙の投票まであと1週間となりました。
選挙前のフェイク・ニュース(ニセニュース・思い込みニュースなど)にご注意されますように。また、そう主張する人にもご注意を(大笑)。
選挙が近づくと、特にある政党が分裂する場合などもそうですが
かなりひんぱんに偽装ニュースが見られます。「偽装」と聞けば、本家は中国・朝鮮半島ですが・・・・・・。
好き勝手に相手を非難する言葉のひとつが「野合」です。
日本以外では、自分の意向に従わない勢力に対して「何でも反対」というのが中国・朝鮮半島でしたね。
日本内では、それが「野合」でした。どういうのが「野合」なんでしょう。
- 「共闘・野合」すると、必ず後日「内輪もめ」が起り、結局「共闘・野合が分裂を招く」のです。
- 「選別・排除」すると、必ず「全員合流させるべきだ」とする主張があり、結局「選別・排除が分裂を招く」のです。選別・排除しようとすることが分裂とも言えますが。
政党はどちらに転んでも「分裂する」運命にある
と言えます。どちらも自分に有利なことしか述べておらず、すべてフェイクニュースだからです。
また「選別・排除」の踏み絵の場合にも、2通りあります。
▲(1)踏み絵時に、従来通りの主張をする
▲(2)踏み絵時に、従来の主張を変え、新しく主張する
普通は(2)が「変節・野合」とされます。
しかし議員になった当初、本来の自分を偽って出馬し組織にヨイショして当選したのであり、その後になって変節したとしても本来の自分に戻っただけ、と主張しても、多分まったく考慮されないでしょう。
変節はいけないとするのですが、政治家の変節は常にあることで、これをいかにごまかすかが腕の見せ所です。
言い替えると
(1)が「変節・野合」かも知れず
(2)が「変節・野合」かも知れない。
「変節などという政治哲学」よりも、飲食店同様に「その人を信じる」という日本の傾向からすれば、「選挙民をだましたのではないか」という攻撃に対しては、きっと「丁寧に説明した」とかわすことでしょう。
選別をしないのが野合? 選別をするのが野合?
どちらにしても、自分にとって不都合な相手を「野合」と批判するものです。まるで「野合」がいけないことだと思っているかのように・・・・・・。
政治家は、「好き勝手に何かを言う」ものであり、別の表現をすれば「柔軟性と多様性がある」のです。
尤もそんな政治家を毛嫌いする人がいますが、自分のことを棚に上げて政治家だけに身持ちの良さを要求するのはいかがかと思われます(笑)。
おもしろいですね
「野合」を非難する人自身が「野合」そのものの生き方をしてきたとは。
これは、なかなか難しいところで
- 変節しない人が自分に正直かと言えば、そうとも言えません。
- 変節した人が自分に不正直かと言えば、そうとも言えません。
政党にも候補者にも
車のハンドルと同じで、ある程度の「あそび」が必要です。
有権者が自分のことを棚に上げておき「他者(政治家)にだけ正義を求める」ものではない、と私は思います。
「遊び(中間)が存在しない」社会は、韓族・漢族に特有で・・・・・・
♪ 二極化で 何でもわかると 思う野暮 ♪
これは、多様性がない、許容性がない、ことからよく分ります。
ところでヨーロッパのどこかの国でみられたようですが
勤め人が立候補して落選した時、元の職場に戻ることが法律で保証されているとのこと。
ドイツなんかは、公務員でもサラリーマンでも、(選挙に)立候補すれば休職扱いになる。落選したら、さっと元へ戻れるし、当選したら4年間休職で、その次やめるか落選すればまた元へ戻れるという法律をもっている。:P.108 武村正義 武村正義+田中秀征共著「さきがけの志」東洋経済新報社
日本でも「法案」はあったらしいのですが廃案になったらしく、まだ数少ない企業でのそれぞれの事情で一部認められているに過ぎないようです。
いろいろ問題はあろうかと思いますが、落選後に怪しげな金儲けに走らないことや、誰でも気楽に立候補出来るという点で、重要かも知れません。
18歳まで投票権を下げるのは結構なことですが、このような選挙にまつわる処遇を法で規定することのほうが、もっと重要ではないかと愚考する次第です。
さてさて、皆様はどう思われますか。