なかなか難しいのが「外国語を日本語に移す」作業です。翻訳は「創造」とされることさえあります。
大切なのは
- 本国人がどう言っているか(言い方の揺れや地域語も加味)
- 日本人にどう聞こえるか
- 日本語の表記方法の問題
でしょうか。
韓国語で、いつも話題になるのが「釜山・ビビンバ」の日本語表記です。
語頭の「濁音」が見られないという韓国語の特徴からすれば
- 金大中(キム・デジュン)・・・・・・これは語頭ではないので通常らしい。
- 「がんばります」:語頭ゆえ「カンバリマス」になり日韓の違いが。
実際に
発音記号でも「p/b」と似た記号を使っていますが、語頭に「b」が使われることはなさそうです。
よって「釜山」の発音は語頭の濁音を避けるならば「ブサン」ではなくて「プサン」らしい。
また日本語の「ビビンバ」は韓国語ではありえないようで「ピ*ン*」になりそうです。「ピ」「ビ」だけに絞れば
- ピピンパ
- ピピンバ
- ピビンパ・・・・・・これが有力か
- ピビンバ・・・・・・これもあり得るか
などが考えられます。
韓国語「まぜごはん」は日本語で「ビビンバ」ですが、韓国人は上記から
ピビムパブ
と発音しているのかも知れません。日本語ではとても言いにくいため、かってに「ビビンバ」と言い替えているのでしょうか。
さてこのようなハングルの特徴は次の通りです。
- それまで中国の属国にあまんじていた朝鮮半島では、自国語(朝鮮語)を記述する文字がなかったようです。しかし助詞のような言葉でさえ漢字を使わざるを得なかった「漢字」ばかりの「漢語」に疑問をもったのは自然なことで、その結果「音を表わすだけの表音文字」の「ハングル」が誕生したというわけです。
- 私見では、ハングル混じりの漢語が朝鮮語の記述に適していると思うのですが、そうはならなかったようです。ハングルだけというまるで小学校低学年のような「さいた、さいた、さくらが、さいた」のような言語体系になってしまうことが心配で、平易には違いありませんが、「ハングル」だけでは抽象的な思考に向いているとは言えないのかも知れません。ただし欧米語のアルファベットと同じように、これらの組み合わせて将来(100年後)どうなるか分かりませんが・・・・・・。
- 日本語の場合、まず「50文字」ほどの「かな/カナ」がありこれらは単に音を表わすだけの表音文字であって意味はありませんが、このほかに意味のある漢字があり主に抽象的な言葉を記述しています。日本語は「かな・カナ混じりの漢字」という欠点を補い合う仕組みで成り立っているのです。
- ハングルの場合、単純に日本語と比較は出来ませんが、組み立てている部品ごとに発音が決められていて、それさえ理解できれば、この組み合わせで「すべて」の発音を記述できる、というハングルは比較的わかりやすい言語でした。しかし1446年に発案されたものの、漢語にすっかりはまってしまっていた事大主義的な保守層(旧両班たち)がこれを「未熟な言語」だとして激しく反発し、ハングルを使って暴政を批判する張り紙があったことから、部分的には使用されていたらしいのですが、ハングルを禁止する方向へ走り、ハングルは広く普及せずにそのまま放置されたようです。
- その後、ハングルが復活しましたが、最近では逆に「すべての漢字を禁止」した北朝鮮もあれば、一時期「ハングルまじり漢字」を使っていた韓国でも「ハングルだけで漢字を禁止」したため研究者の中でかつての文献を読めない人が出てきて問題になり、最近では初等教育でも一部の「漢字」が復活したようです。
- さて前政権の文物をすべて破棄するという中国そっくりの歴史をかかえており、すべて前政権を否定することしかできない(前大統領が例外なく不幸な老後「暗殺・逮捕・死刑・自殺」を送る)韓国で、ちゃんと過去の文献を読める研究者が現れるかどうか、見ものですね。言語に断絶があると「儒教で過去を大切にしている」と言いながら、前政権を完全否定したり過去の文献さえ読めなくなるという事態に陥ってしまっているのです。不可解ですね。
- 禁止しなかった日本でさえ、文体や用語が変わりつつあるため、そのままでは1000年前の文献を読めないことは確かですが、注釈さえあれば今の日本人でも1000年前の文献を読めるのですが、「国が漢字の使用を禁止」する朝鮮半島とは、まったく意味が異なってくるでしょう。
つまり
漢語だけ→ハングル発明→ハングル禁止→部分的に使用→ハングル復活(禁止を緩和)→再び漢字禁止
その後
- ハングルだけで漢字は禁止(北朝鮮のみ)
- ハングル中心で一部漢字復活(韓国のみ)
などの変遷があったもようです。
いいも悪いも、こういうふうに二極化するのが朝鮮族で、もうこれだけは止められません。
この「やめられない」特徴によって、研究者でさえ言語の断絶があり、ますます孤立化が進むのでしょうか。
関係がないかも知れませんが、ノーベル平和賞という言語に関係がない政治的な分野でしかそこの在住者に縁がないのでしょうか。
こういったハングルの歴史から、私たち日本人は何かを学べるはずです。
ノーベル賞受賞者(Wikipedia:2017/10/22 現在)
中華民国
李政道 (当時大陸時代の中華民国)物理学賞1957年
楊振寧 (当時大陸時代の中華民国)物理学賞1957年
李遠哲 (当時日本統治時代の台湾)化学賞1986年
中華人民共和国
劉暁波 平和賞2010年
莫言 文学賞2012年
屠・ゆうゆう 生理学・医学賞2015年
大韓民国
金大中 平和賞2000年
台湾の場合、よき大陸時代の名残が残っているようです。
中国共産党の場合
2015年の生理学・医学賞が例外で、多分に政治的な臭いがする平和賞や文学賞など、合計で3人とは、13億からしてあまりにも少ない印象ですが、これも中国共産党の弾圧の結果とみるべきでしょう。
尤もうぬぼれ国家の中国としては「基準に問題がある」として、独自の不可解な孔子平和賞なるものを設けているという話ですが・・・・・・。
孔子平和賞パンフレットにはノーベル賞を非難する文章が書かれている:Wikipedia
韓国
これも多分に政治的とされる平和賞の1人だけ(金大中)で、しかもこの人の受賞の結果、ずっと韓国は北朝鮮にだまされ続けてきて、今の文在寅大統領もその延長上にある左翼政権ですから、先が思いやられます。
さてさて、皆様はどう思われますか。