お茶の大和 ティータイム

大地からの贈り物“お茶”で素敵なティータイム

私的なこと(父母)

2005年07月21日 | 茶話(さわ)

父親

小学校2年のとき、どうしても買いたいものがあって、お金を盗みました。夜、父が帰ってきて、「今日買った物を出しなさい」「お金はどうした」と問われて、「友達から借りた」と言ってしまいました。お金を盗んだことを知っていた父は、正座をさせ「嘘をつく子は・・・」と、説教が始まった。『男は、人前で泣くものではない』と、日ごろ言われていたので、泣きたいのを我慢して、父を睨み返していました。すると、脇差を持ってきて、「死ね」と膝元に置いたのです。ガタガタ震え始めた私の襟首を捕まえて、「死ねぬなら・・・」と、首筋に脇差を当ててきた。(刃先がどちらを向いていたか分からない)泣くしかないと思った瞬間、涙が止まらなくなってしまい・・・・。(当時おやじの三角目というと有名で、たいていの人が竦んでしまう迫力がありました)

中学入学のとき、写真を撮ってくれて、「お前は、昔で言う元服の年を迎えた。これからは自由にしてよい。ただし自分でしたことは自分で責任を取れ。それが出来なければ、ぶん殴る。いいな」「はい」「よし、遊んでこい」

それ以来、叱られた記憶が無い。

26歳のとき、癌で父を亡くしました。白骨になった父を見て、 
「無常、父白骨と化すか」と、紙に書いて仏壇に供えました。

母親

「南無阿弥陀仏」と唱えれば、必ず極楽浄土へ、と信じていた母は、私が反論すると、鬼の形相をして怒り始めました。その母が92歳で他界するとき、病院で看護婦さんたちから評判のいいおばあちゃんになっていました。けんかばかりしていた私は、内心『あのおふくろがね~?』と思いながら、「忙しくて毎日来られないが、寂しくないかい?」と聞くと
「早く極楽浄土に連れてってくれないかね~?」というので、
色紙に「無心とは、一心なり 一心に南無阿弥陀仏と唱えれば、未来 極楽浄土」と書いて枕元において帰りました。後日看護婦さんたちが「あんなこと書いて大丈夫ですか?」と聞くので、「信じるものは救われます」なんて言ってしまいました。

後にお坊さんから聞いたのですが、「ナムアミダブツ」とは、ナムは尊敬を表す挨拶語、アは否定、ミータは量で《仏の教え(智恵)は計り知れないほどありがたい》と訳せるそうです。

間違って信じていても、信じて他界した母は幸せだったと思います。

ちなみに、父は明治29年生まれ、母は39年生まれで、両親にとって、私は孫のような子供でした。明治の親の強さと信念と烈しさを感じます。