サリドマイドを開発したグリューネンタールは米国でサリドマイドを販売するためにグラクソスミスクラインの前身であるスミスクライン・アンド・フレンチに接触した。
1956年から1957年にかけて、スミスクライン・アンド・フレンチはマウスの実験と875人の女性への治験を行い、販売しないことを決定している。
1962年にスミスクライン・アンド・フレンチの社長は、治験の間に先天性欠損を認めなかったと証言したが、規制機関の報告書には、1958年8月に生まれた新生児1人の奇形が治験に関連していたことが記載されており、おそらくもう1人の犠牲者がいたということであった。
グリューネンタールは、サリドマイドを撤回した1961年まで、サリドマイドと先天性欠損の関係を知らされていないと主張している。
スミスクライン・アンド・フレンチが販売しない決定をした後、サノフィーの前身であるリチャードソン・メリル社が米国においてFDAの承認を待たずに、250万錠を配布している。2万人の患者が服用したと考えられており、米国のサリドマイド被害は喧伝されている人数をはるかに上回ると推測されている。
サリドマイドが世界の市場から撤回された後、チャードソン・メリル社が配布した医師への記録を残しておらず、サリドマイドは米国で回収されずに使用されたことも問題になっている。