への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

オオカンザクラ 満開です

2022年03月18日 | 

名古屋で一番早く咲く桜が満開を迎えました

地元放送局が夕方のニュースで、競って寒桜の満開を伝えていました。

こりゃ、見に行かんといかんな

 

ということで、やって来ました名古屋市東区

山吹小学校近くの駐車場に車を止め、桜並木の市道に出てみると、

おっ! 桜のトンネル、満開だ!

ソメイヨシノとも違う淡紅色のこの桜、オオカンザクラといいます。

 

このあたり、地下鉄の高岳(たかおか)から名鉄瀬戸線の尼ケ坂駅まで、南北1.4㎞にわたって市道に桜が植えてあります(赤線)。

 

先に進むと、桜並木はずっと続いていました。このまま桜を見ながら、高岳駅まで南下することにしました。

 

見上げると、

一重咲きの、小さな、かわいい花

 

高岳駅まで来ました。道を反対側に渡ると、濃い紅紫色の桜がありました。

プレートには、カンヒザクラの文字。

 

望遠でのぞくと、

釣り鐘状の小さな花です。

 

ここから北上して行きました。

 

面白い桜を見つけました。

幹から咲いている!

 

このあたりで、鳥の鳴き声が。

目を凝らしましたが、花が密で、鳥は確認できませんでした。

 

文化のみち二葉館」にやって来ました。

これは川上貞奴が大正時代に住んでいた和洋折衷の建物を移築復元したものです。庭には濃いピンクの桜。近づいてよく見ると、

オオカンザクラとも、カンヒザクラとも違います。

 

望遠でのぞくと、

まるで、芝桜ようでした。

 

さらに北上し、地元のお嬢様学校・金城学院高校にやって来ました。

白壁の校舎に淡紅色の桜、上品な雰囲気を醸し出していました。

 

こうしてこの日、への次郎の花見シーズンが始まりました。

これから、忙しくなるぞ!

                                        


木曽海道六拾九次之内 落合

2022年03月10日 | 宿場町

江戸から京都までの中山道を描いた「木曽海道六拾九次之内」は、歌川広重渓斎英泉による浮世絵です。

 

岐阜県中津川市にある寅さんのロケ地に行った日、ちょっと足を伸ばして、広重が描いた落合宿の付近を見てきました。

 

中山道を妻籠宿馬籠宿と通ってくると、やがて道は下り坂となって美濃の国に入ります。道は、険しい山道の木曽路から、平坦な美濃路へと変わっていきます。下り坂をおりてくると、落合川があり、そこにが架かっていました。この橋を渡ると、道は落合宿に入って行きます。

 

では、浮世絵木曽海道六拾九次之内 落合」を見てみましょう。

こちらが馬籠宿の方向。下の川が落合川。右奥が落合宿。季節は新緑の時期でしょうか。

落合川に架かった橋を渡っているのは、大名行列の一行でしょう。一行は落合宿を通って、いよいよ木曽路に入ろうとしています。背後に見える青い山は、方向はちょっと違いますが恵那山でしょう。

 

この浮世絵、このあたりから描いたものでしょうか。

手前の道は、馬籠宿からおりてきた中山道です。道なりにおりていくと、橋があります。橋の下を流れている川が落合川。落合川を渡った中山道(オレンジ線)は左に進み、やがて竹藪の向こうあたりにあった落合宿(青い〇)に入って行きます。

 

この後、落合宿に行ってみました。

向こうから歩いてきて、宿場の真ん中あたりに来ました。右奥にちらっと見えるのが恵那山です。この建物は、本陣。りっぱな正門です。加賀前田家から贈られたものだそうですよ。

江戸末期の記録によると、宿内の長さは約300メートル、家数75、本陣1、脇本陣1、旅籠14。小さい宿場でした。

 

本陣から先に進むと、お寺から形のいい老松が道の真ん中までかかっていました。ほら、

説明書きによるとこの松、「門冠の松」といわれ、もともとお寺の山門にかかっていたそうです。ということは、中山道は半分以上広げられたんですね。ところで中山道、この松の下で左に直角に曲がって、中津川宿に伸びていました。つまりここに枡形があったようです。

 

さて、この老松のところで後ろを振り向くと、

おっ! 恵那山だ。絵になるなぁ

 

中津川宿から中山道をやった来た旅人は、左からやって来て横断歩道のところで直角に向こうに曲がって落合宿に入って行きました。その際、まず目にした光景が、これでした。

                                        


ヤシの実が流れ着くそうです

2022年03月08日 | 遠出

菜の花を見に渥美半島に行った日、太平洋岸を半島先っぽの伊良湖まで行き、三河湾沿いを戻ってくることになりました。

 

菜の花畑から、ちょっと先に進むと、国道沿いに駐車場があって、車が何台か止まっていました。その駐車場から人が道を渡って、海の方に下りていました。後をついていくと、

 

ヤシの木の下に椰子の実の歌碑がありました。

 読むと、島崎藤村の「椰子の実」でした。柳田國男から、伊良湖にヤシの実が流れ着いたと聞いた藤村が書いたという、あの詩です。

 

歌碑の向かいを見ると、太平洋を背にした椰子の実の記念碑がありました。こっちには、音符と歌詞が刻まれていました。

  ♬ なもしらぬ とおきしまより ながれよる やしのみひとつ

    ふるさとのきしを はれて なれはそも なみにいくつき

他に人がいましたが、つい、小声で歌ってしまいました。

 

歌碑があったところから、少し下りると岩場がありました。

そこから、西の方角を見ると、

向かいに薄っすらと見えるのは、三重県の鳥羽志摩です。伊良湖から、フェリーが出ています。

 

南を見ると、岩の向こうに太平洋です。

 

東を見ると、遠くまで砂浜が伸びていました。NHKの朝ドラ『エール』のオープニングの場面の撮影が行われたのは、このずっと先です。

 

その砂浜で、ヤシの実ではなく、きれいな花を見つけました。

冬に咲いている、何だろう?

                                       


渥美半島 ウクライナ一色でした

2022年03月06日 | 

高速道を乗り継いで、愛知県渥美半島にやって来ました。

この時期、ここは菜の花で賑わっています。

豊川インターで下道におりて、半島の先っぽ伊良湖までは片道、40㎞以上あります。

遠いなぁ

 

渥美半島に入ると、道のあちこちに菜の花畑がありました。しかし最大の菜の花畑は、半島の先に近い堀切地区にあります。地図に42と書いてあるあたりです。

 

やっと着きました。無料駐車場に止めて、菜の花畑の入口に来ました。

ゲートの左側が入口です。協力金100円を缶に入れて入場しました。

 

中に入ると、

   への次郎 「スカイブルーに、イエローだ!

   奥さん  「この色合い、ウクライナ国旗と同じじゃない

   への次郎 「ほんとだ!  天もウクライナに味方したぞ

 

左奥に高台が見えました。菜の花畑の小径を歩いて、高台に向かうことにしました。

 

すると、小径の入口にこんなものが??

八丁味噌を造る木桶に屋根を載せたような

 

下の方に目をやると、

おひたしにしたら、美味しそう!

 

ヤシの木の前に、カップル用のブランコがありました。

気になったけど、スルー。

 

高台にやって来ました。この高台、なっちの丘といいます。上に登って、来たルートを確認しました。

おっ、皆さん向こうから、来てる来てる

 

そのあと、反対方向を見ると、

うん!?  小径の先の河津桜、もう終わってるような

 

高台を下りて、小径を先に進みました。

のあたりの菜の花、背が高い!

 

これは豪華な自撮り花ベンチです。

ちょっと撮ってみたい気もありましたが

 

見上げると、菜の花の向こうに、青い空と白い雲。

絵になるなぁ

 

奥まで行って、引き返してきました。

 

高台の近くまで戻ると、ちびっこの歓声が。見ると、ファミリーソリに乗って芝すべり台から、続々、滑り降りていました。

   奥さん  「穏やかだね」  

   への次郎 「ウクライナも早く、こうならにゃいかん

 

畑内では時々、ウグイスが鳴いていましたよ。

                                       


寅さんと蒸気機関車(第3作)

2022年03月04日 | 寅さん

 

映画『男はつらいよ』には、鉄道に関するシーンが多いです。もともと寅さんはフーテンだから、一か所に長く腰を落ち着けることはなく、商売のために西に東に移動します。長い距離を移動する庶民の足といえば、昭和のあの頃は、鉄道でしょう。フーテンが主役の映画、鉄道はアイテムとして欠かせませんでした。

 

初期の作品には、姿を消しつつあった蒸気機関車もよく出てきます。蒸気機関車が出てくる作品といえば、なんといっても『第5作望郷篇(1970年8月公開)』です。ただその2作前の『第3作フーテンの寅(1970年1月公開)』でも、蒸気機関車の迫力あるシーンがあります。今回は、寅福さんたち先達のロケ情報を参考に、第3作に登場する中央西線に行って来ました。

 

映画が始まると、木曽節の歌が流れるなか、蒸気機関車が力強く走るシーンが映し出されます。この姿、蒸気機関車は間違いなくD51型です。

ヘッドライトのすぐ後ろの煙突部分に、トンネルを走る際に煙が運転席にこないように誘導する集煙装置が少し見えます。この集煙装置、先が角っぽいので、長野式集煙装置です。中央西線のD51には、この独特の形をした長野式集煙装置がつけられていました。

 

つづいて落合川に架かった落合川橋梁をD51が渡る映像が流れます。背後の山は、日本百名山の恵那山です。このD51、炭水車に増炭板がついています。当時、中央西線を走ったD51には増炭板が取り付けられていて、石炭を山もりにもって走っていました。

この映像、先達によると落合川駅近くの村瀬橋あたりで撮影されたそうです。よく見ると鉄橋の向こうで何か工事が行われています。当時、中津川・落合川間では、複線化が進められていたから、それ関連の工事でしょう。

 

現在

恵那山の前に高圧電線の鉄塔が立ち、鉄橋の上には架線が引っ張ってあります。やたら電線が目立つ光景になっています。右側に見える建物は、当時もあった生コン工場の塔です。

 

つぎは、場面が中央西線の奈良井駅付近にかわります。寅さんが宿泊した奈良井宿の旅館ゑちご屋の脇を、蒸気機関車が客車を引っ張って通り過ぎます。

蒸気機関車は映っていませんが、これはD51です。当時、中央西線に投入された蒸気機関車はD51とC12でしたが、このあたりの本線を走っていたのはD51のみだったからです。

 

つづいて映像にタイトルが映し出されたあと、上り坂をD51が力強く白煙をはきながら迫ってきます。

ヘッドライトの後ろに、集煙装置が見えます。集煙装置の真ん中、その上、左上、右上に白いものが見えます。長野式集煙装置は前面が開口部になっていて、そこから後方がちらちら見えたようです。白く見えるのは、煙突から出た煙でしょう。撮影場所はわかりませんが、中央西線には急こう配が多く、こういう光景はよく撮影できました。

 

つぎは雪の中を疾走するD51です。ヘッドライトの後方に集煙装置が見えます。

しかしこの集煙装置、前方が角型ではなく、丸みを帯びています。さらに前面がふさがれていて、開口部がありません。これは長野式集煙装置ではありません。ロケが行われた頃、中央西線のD51には、長野式集煙装置がつけられていました。なのでこの場面、中央西線以外で撮影されたものと思われます(ごく短期間、ここに在籍したD51-707は非長野式集煙装置を取り付けていましたが、このD51は707号機ではありません)。

 

川の左岸を蒸気機関車が貨物列車をけん引し、向こうに走って行きます。

この線路が中央西線なのか、蒸気機関車がD51なのか、この映像からはわかりません。

 

川の右岸の少し上を蒸気機関車がこちらに向かって走ってきます。先達によると、この場面は、さきほど出てきた村瀬橋の付近で撮影されたそうです。

映像をよく見ると、蒸気機関車は後方から貨物列車を押しています。調べてみると、撮影当時、中津川以北はまだ非電化区間で、貨物は蒸気機関車がけん引していました。中津川駅と落合川駅間には落合峠があって、これを越えるために貨物列車の後ろを蒸気機関車が押していました。下り貨物はC12が押すこともありましたが、上りはD51のみだったようです。ですからここに映っているのは、D51ですね。

この映像のど真ん中、よく見ると吊り橋が映っています。調べたら、弁天橋といいます。この橋はその後架け替えられて、現在の橋となりました。『第44作寅次郎の告白(1991年12月公開)』では、冒頭部分が落合川駅で撮影されましたが、そこに映っていたのは現在の弁天橋でした。

 

現在

左は木曽川。近くに落合川ダムがあり、このあたりの木曽川はダム湖になっています。この道を少し先に進むと、落合川駅があります。左後方の雪を頂く山は中央アルプス、真ん中やや右の高い山は南木曽岳です。

 

第3作では、中津川にある村瀬橋付近の2か所で撮影が行われました。この2か所、非常に近いんですよ。地図を見てください。

水色は木曽川にできたダム湖。オレンジ色の線は村瀬橋、ブルーの線は中央西線の落合川橋梁です。その右側の鉄橋は、当時はありませんでした。赤い点は、貨物列車を後ろから押すD51を撮影した場所です。

 

では、写真で確認しましょう。

ほら、こんなに近い。吊り橋が村瀬橋。右向こうに落合川橋梁、右奥に恵那山があります。左端の赤い点は、貨物列車を後ろから押すD51を撮影した場所です

 

この場所から、上流方向にカメラを振ってみましょう。

木曽川です。ダム湖になっています。左奥に現在の弁天橋が架かっています。落合川駅は、その右。竹やぶの下に、少しだけ駅舎が見えます。中央西線は右方向、すなわち中津川駅に向かって伸びています。