日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

学習会

2016年11月08日 | ホームスクール・ホームエデュケーション・不登校
まにまにですよ。

ちょっと前になりますが学習会に行ってきました。

私はちっとも知らなかったんですが、学習会とか研究会とかワークショップとかいうと、「怪しい」と思う人がいるらしいですね。というか「怪しい」やつがあるんですね。
波動とか出てくると怪しいでしょうか。
前世とか。

ご安心ください。
今回のは私立中学校で校長先生が保護者のために開いている、大変に怪しくない学習会です。
いつでも何かに気づかされる、貴重な学びの場です。

終わるとアンケートを記入するのですが、いつも私は「ありがとうございました」くらいしか書きません。そんな直後では自分の反応はまだまとまった形を成していないし、無理にまとめたくもないからです。
帰宅していろんなことをしているうちにだんだん自分にとって大切なものが見えてきます。
撹拌された情報が頭の中で徐々に沈殿して意味が姿を表してくる。

校長先生のお話の中で私にとってとくに印象的だったのは、「ノウハウを追いかけてはいけない」ということでした。

この学校が大切にしているのは「子どもに寄り添う」こと。
この学校は限りなくひたすらに、その子を見るのです。

ここからは私の理解ですが、寄り添うとは、どこまでも独自な子どもの全体を見て、内側から発する声なき声を聞き、本人の成長を(指導や誘導するのではなく)サポートすることを言うのだと思います。

ちょうど別の研究会でも「寄り添う」の話が出たんですが、私がそうだよなと思った意見は「その人がその人らしさを表現する時間とスペースを守ること」というものでした。

そこにはどのような場合でも人が人と関わる時にあってほしい、他者への敬意と愛があります。

一方「ノウハウ」は何か達成したい目標あるいは解決したい課題があって、それをコントロールしようとする人が使う手段のことですから出発地点が違う。
そもそも人に対するノウハウって冷静に考えると違和感がありますね。
ノウハウなのか寄り添うのか、自分の都合か相手を尊重するのか、どちらがメインかで話はがらっと変わります。

だから校長先生は「ノウハウを追いかけてはいけない」と言ったんじゃないかな。
いや、じつは学習会のテーマは全然違うものだったんですが、私が今回感じたのはそこでした。

もしかしたら「愛と敬意」も誤解の元になるでしょうか…
なんか綺麗ごとな感じの精神論になるのもいやですよね。
なかなか言葉とは難しいものです。
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