「動機を持たず
感覚器官で何もつかまないようにしていると
感覚器官から力が抜けて
世界が自分の方にやってくるままになる」
現成公案
「現在が現在になる当たり前の深さ」
娘が教えてくれる話を少しだけぼんやりと聞くのが好きだ。
これは娘が遊んでいたゲームの中の話。
今のゲームは世界中の人が遊ぶことができるから、時には自動翻訳を使いながら外国の人と仲良くなることがある。
ある中国の人がとても優しい人でみんなにとても慕われていた。
今夜はすごく調子が悪いんだといえば、何も話さなくていいです、眠れるまでずっとピアノを弾いていてあげる、というような人だったから。
短い言葉をやりとりするだけでも、その人の誠実で深い人柄は多くの人の心に触れたんだという。
ところがある時、私はもうここにいられない、と言い残してその人が消えた。
私の口から出る言葉はもう私ではない、というようなことを言って。
みんなとても寂しんだけれど、どこの誰だかわかるすべもない。
いつかここに戻ってきたあの人にまた会えるだろうかと話す以外何もできない。
だから時折満月の夜には、集まった人たちでピアノを弾くんだという。
静かに、その人を想って。
夜空の下で。
私はここで安心安全である、と
頭ではなく身体で納得したところから生きる時間はスタートする
回復や成長や喜びはそこからしか始まらない
(そこまではサバイバル)
私たちはものすごく頭でっかちだから
自分を見るのに自分の頭が邪魔でしょうがない
身体で納得しているかどうかもわからない
一歩離れて自分の動きを見るしかない
できてなくていいんだよ
そこがヒントだもん