ともだち〔第2ラウンド 11月〕
娘の数年ぶりの学校生活は大時化、船は揺れに揺れた。それでもいつしか海は静かになった。相変わらず辛いと訴えるけれど、朝の支度をしながら口笛を吹いているのが聞こえてくる。(本人は気がつ......
もちろんこれでおしまいってわけはない。
波は何度でもかぶるだろうし
また転ぶことだってあるだろう。
でも例え学校をやめたとしても。
娘はもう娘の人生を歩いている。
ともだち〔第2ラウンド 11月〕
娘の数年ぶりの学校生活は大時化、船は揺れに揺れた。それでもいつしか海は静かになった。相変わらず辛いと訴えるけれど、朝の支度をしながら口笛を吹いているのが聞こえてくる。(本人は気がつ......
気になるから落ち着かないのではなくて、落ち着かないから気になるって前に書いたけど、だいたいなんでもそんな風になっている。
もちろん目標を持って努力するのはいいことだけれど、そういう条件を達成すればしあわせになるってもんでもない。
それをやりつつ何をしてるかというと、実態はそれぞれが自分のインテグリティに向かっているんだと思う。
インテグリティって誠実とか言行一致とか訳が難しくて一言で表せないけど、自分がぴったり自分と合っていること。
「完全な状態」この訳はいいな。
条件に左右されずに嘘がなく自分でいられる状態。そのように自分を調律する。
そのためにはいろんな天気のいろんな状況での自分をやるしかなくて、それはとても大変なんだけど、多分誰もが望むところはその方向なんじゃないかと思う。
ここは今日はお天気。
ここは今は平安。
夕飯時のリモート会合が始まる直前、カメラがオフでミュートもオフになっていたお宅から「カレーだからスプンも出してね」って声が聞こえてきた。
こどもたちがお膳立てしている。
別のお宅のヴァーチャル背景の後ろで音の出るおもちゃで遊んでいる子は、多分もっと小さい。
私の頭の後方から意識の逆竜巻がくーっとそちらに伸びて、フレームの外側の人の気配にくつろぐ。
「本題」について話しながら、でも、いつも私たちは「本題」の裾野にあるそこに身を寄せていたのだった。
そこに乗って、安心して、「本題」を語っていたのだった。
(身体の側面に感じる人の(安心の)非言語の領域)
(言語非言語の分業で、暮らしの中で丸ごと摂取、吸収するようになっていた「人に必要なもの」)
「日常」−「本題(例 リモート会議)」−「不要なストレス(例 通勤電車)」=「今足りていないなにか」
私たちは何をしていたのか。
私たちには何が必要なのか。
私たちはなんであるのか。