どんな様子でも
あるいは崩れていく予報でも
それがその時の空模様であれば
そういう空模様なんだなと
生きられたらいいと思う
表面はぼんやりしてる。
それは否めない。
みんななんて立派に大人の人間なんだろうと思いつつ、表面はぼんやり、芯はこどものまま。
でも表面下に流れる流れにはいつも浸っているから、なにかあればすぐにわかる。
結果としてよく見てる、理解してると同じ言動になる。
それにそこから話しかけるとみんな同じところが揺れてちゃんと返してくれる。
見えてる人は光として感じてくれる。
ま、いんじゃないかな。
自分と思ってたものは実は自分ではなくて
ほんとは私は大きな本体(身体を含む)の肩に乗るこびとみたいな一部分なんだな
こびとは細い糸で本体につながっていて
おしゃべりは上手だけど
思ってたほど重要じゃない
本体が私にはわからない役割を果たしその仕事ができるよう
雑務をこなすのが私の仕事みたいだ
管理人とか
神殿に仕える祭司みたいなもんか
まあどちらも自分なんだけど
汽車道を(なにしろ汽車道だから)まっすぐ歩きながら
今まで歩いてきた足跡を遥かにたどりながら
強い風やマフラーをいいことにめそめそしてもいいことにして
仕事に向かうその途中で
グレイの雲越しの鈍くひかる太陽が
Child
と話しかけた気がした
嘆くことは何もないと
間違いはありえないと
不思議なことにそれにも全く同感だった
私はここに歩いているけれど
あの雲の後ろで光ってもいるから
大型バスは赤坂の窪みを抜けて首都高のトンネルを進み新宿を目指している。
黄色いライトに照らされたダンジョンみたいな四角いトンネルの少し先に右手に折れる分岐があって、心の中から「あ、右に行きたい」という気持ちがふくらんだ。
なんでかわからないけどちょっと先が見えないカーブの感じがよかったからか。
だからバスが右の道を進み望みのアールを描いた時に、心の中の小さな子が手を叩いて喜ぶのを感じた。
うれしい、ありがとう
バスが曲がりきって本線に合流した後、まっすぐ前を向いてた小さな頭がふいに振り返って私に言った、気がした。
あのね
わたしたくさんいろんなことできて
ほんとにたのしかった
あなたはたいへんだったかもしれないけど
生きるのができてほんとよかった
ありがとう
不意をつかれてそう言われたので動揺して胸がいっぱいになった。
そのトンネルを抜けたところで。