日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

洋梨

2025年02月13日 | 自分の中へ
魔法が解けて一年も経って、ようやくいろんなことがわかったりもする


どんなに自分が自分に無理をさせてたかとか


まあ子どものためならね

(親のためなら)

(家族のためなら)

多くの人はそんなことするよ


あんまりに自分を後回しにするのが自動モードになってて自分優先に抵抗するのが難しい


何を食べようか、と思うだけのことが

食べたいものにたどりつかない


あの高い梨はフジワラさんちに持っていくケーキを焼こうと思って買ったんだもの

(だけどフジワラさんちは行かないことになった)


こんなに高価なものを自分だけで食べるなんて

(どうせこどもたちは食べない)


とても若く青く硬いからまだ食べられない

(それでも無駄にしたとしても今食べたい)


「いま、あの洋梨を食べたい」


そして切って食べたら


青くて硬くて絶対にまだだと思ったのに


すごく瑞々しく甘く香り高くまさに食べごろの素晴らしさ







コメント

混線

2025年02月11日 | 自分の中へ
友だちと話してて「そういう人って」のところでいささか話が混線した。


私は元夫のこと、友だちは別の人のことを話してたから話が食い違うのは当然だ。


私は「そういう人」は本人も苦痛を感じていると話していて、友だちは感じてないと思うと言った。


違うのは別にいいとして、そこで気がついた。


なんであれ私が彼を恨んでいないのは、私がしていたことが「愛」をする、ことだったからなんだな。


彼がどうあれ私自身が人を愛する、をできうる限りやろうとした。


まあ見事に破綻したわけですが。


それでもね。


なんの後悔もありません。


もちろん心残りも。









コメント

きらい

2024年10月31日 | 自分の中へ

私が嫌だなと思って反応する部分は

自分にも心当たりがあるから毛を逆立てているんだ


ひとつひとつ


自分のくだらなさを棚卸しする


しばらく見てなかった毛玉だらけのセーターみたいに


ぱたぱたと埃を祓い日の光をあてる


私は大人になっているので


自分のくだらなさや幼稚さもそっと扱うことができるようになっている


大きくなく小さくなく速すぎず遅すぎず

それをそうと認めたら


ただの古いセーターになり


チカラを失い


私の一部になって消えていく








コメント

空模様

2024年06月21日 | 自分の中へ

どんな様子でも


あるいは崩れていく予報でも


それがその時の空模様であれば


そういう空模様なんだなと


生きられたらいいと思う














コメント

表面はぼんやりしてる

2024年05月22日 | 自分の中へ

表面はぼんやりしてる。

それは否めない。

みんななんて立派に大人の人間なんだろうと思いつつ、表面はぼんやり、芯はこどものまま。


でも表面下に流れる流れにはいつも浸っているから、なにかあればすぐにわかる。

結果としてよく見てる、理解してると同じ言動になる。


それにそこから話しかけるとみんな同じところが揺れてちゃんと返してくれる。

見えてる人は光として感じてくれる。


ま、いんじゃないかな。






コメント