空調の効きすぎた会議室で、ふくよかなその人の首には汗が乗っている。
形式に逃げず大きくも見せず、その人自身のわかりやすいことばで説明は進む。
アジアと西洋が出会うところの、いいとこどりの柔らかな物腰と知性。
隣の席の人と話していた部下に、静かにして欲しいと感情を絡めず伝えるsorry の一言もスマートだった。
世の中の一端を回しているひとり。
会議の後にみんなと握手した。
マイプレジャー、お会いできてうれしいと。
ザプレジャーイズマイン。それはこちらこそ。
空調の効きすぎた会議室で、ふくよかなその人の首には汗が乗っている。
形式に逃げず大きくも見せず、その人自身のわかりやすいことばで説明は進む。
アジアと西洋が出会うところの、いいとこどりの柔らかな物腰と知性。
隣の席の人と話していた部下に、静かにして欲しいと感情を絡めず伝えるsorry の一言もスマートだった。
世の中の一端を回しているひとり。
会議の後にみんなと握手した。
マイプレジャー、お会いできてうれしいと。
ザプレジャーイズマイン。それはこちらこそ。
どこにいるの?
ハンズにいるよ
あ、見えた
あ、どうも、と手を上げる彼は上着も鞄も何も持ってない。
たまに会う学生時代の友だちはあらためて見るとどこから見ても大学の化学の先生で笑った。
横断歩道じゃないところを渡ろうとするからちょっと危ないよって声かけた。
全体的には40年前から何も変わらないようにも見える。
ボストンとか成田とか歩いたのがこの間みたいに感じるけど私たちすっかり大人になったんだねえ。
見事に何にも意味のないことだけ話して笑って食べて、じゃあまたねと遠い街で別れた。
和葉さんが「宇宙の」と言った音を聞きに行ってきた。
(彼女が話した、宇宙を星が行く時の圧倒的な静寂の中に聞こえないはずなのに聞こえる轟音を私も聞いたことがある)
石笛。
静かな山あいにどこまでも甘く許してゆく夕日に浸りながらその音を体験した。
石に自然に開いた穴つまり貫通していない穴に息を吹き込んで音を出す。
一番近いのは指笛かもしれないけれど、それを一千倍強くしたような聞いたことのない音(音なのか?)
通常、音は音源から最短距離を通り私に届く。
だけどその音は暴れ回る野生の生き物(白馬か龍?なぜか色は発光する白に決まってる)のよう。
あるいはランダムに回転しつつ飛び回る複数の円盤(これもどうしてだか直径はこだまスイカ、プリンスメロンくらい)
または降り注ぐ柱状の白昼のオーロラのよう。
音ではないように独自に空間に存在し動き回った。
不思議だなあ。
宇宙の音かって言われたらわからないけれど、確かに横笛を吹く時には地上に戻ってきたように感じたから、そういう意味では宇宙の音かも。
合間に唸る様に響かせた声もよかった。
ユダヤ人とカラオケに行ったことはありますか。
まあ、あんまり、ないかな。
おそらく5年は行ってないんだけど、コロナ以降初めて行ったのがユダヤの人たちとだった。
みんなが大熱唱したカントリーロード。
はっとしてからじわじわと胸に迫る。
彼らの故郷はマウンテンママのあるウエストバージニア、ではない。
焦がれるほど大切なその地とは。
4メートルくらいの距離から怒涛のように途切れなくくるしみの声が押し寄せてきた。
ここ数ヶ月平和に眠る間も無く責め立てられ突き上げられる場にいるひとの溺れるような心地が伝わってきた。
(もちろんそれだけの理由はある、にせよ)
あふれ出る苦しみと憤慨と自己正当化と憎しみと苦しみと憤慨と自己正当化と苦しみと。
その波を浴びるように聞いていた。