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カズハさんが「それはヘルシーアグレッション」と書いててなるほどと思った。
日本人の他者や自分に向ける陰湿なアグレッションの一因は、健全な怒りの表し方を持たないせいかもしれない。
どんなに嫌な感情もどんなに醜い自分も、反射的に否定しないでしばらく一緒に座って時間を過ごす。
そうすればするすると自分の中でほどけて溶けていくものもたくさんある。
怒りの根っこには悲しみがある。
全部抱きしめたら。
https://ameblo.jp/kazuhaogasawara/entry-12185156713.html
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なんかそういうの言われてるでしょう
もちろんそこから考えるといいスタートにはなると思うけど
きちんと「いる」人は「いる」だけでなく
「いる」だけの時もそうでない時も
そうでない人よりも多く「して」いるよね
ほとんどの場合、よりうまく
だって
ちゃんといないとちゃんとできない
することばかりに気を取られない方がいいんじゃない?くらいの
そんなに枝を伸ばす前にもう少し根を張った方がいいんじゃない?くらいのことで
どちらか二択ということではない
本当はbeing/doingもつながっている
方便だもの
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「神はそんなこと望んでいない」
主語はある特定の神ということではなく、もしかしたらそれは私またはあなたかもしれないので、適当にふんわりと解釈してほしい。
何を望んでいないかというと自分が何も成していない、こんなに (short )足りない、と責めること否定すること、を望んでいない。
なぜわたしたちは何かをしないといけないと思い込んで大切なもの(あなた/わたし)を傷つけるのか。
風に吹かれている木のように、流されていく雲や鳥のように、なぜただ受け取って「いる」ことができないのか。
吹く風の中で自分の外と中をみつめている。
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