「何をしなくてはいけないか、ではなくて

何をしたいか、だ」
朝眠りから覚める間の意識に強く繰り返し響いたことば。

どんな字なのかちょっとわからないんだけど、だんだん仕組みがわかってきた。
意識はそもそもvoidを嫌う。
それについて考えることすら嫌うくらいに。
意識の持つ大きな働きは「現実作成機能」だけれど、それが流れflowを留めたり助けたりする。
サイは局面。(漢字は際かな)
その中で生命が存分に踊ったり遊んだりできるようならいいんだけど。
そこじゃないだろう、もっと先じゃない?または、手前じゃない?と場所の設定が違うとうまくない。
リュウは手がかり、ボルダリングのでっぱりみたいな。(漢字は留かな)
流れflowをうまく展開させる。
固体化するという機能は同じ。
注目する点は、使えるかどうか、機能してるかどうか、苦しくないかどうか。
あー、ちょっと失敗したかな、と追っかけでもう一本メールを入れた。
遠い国との接続が悪くて今日の仕事終わりは日付も変わりそう。
真夜中すぎに仕事仲間から丁寧なお返事が届いて、いい匂いの花束のような気配に胸がふるふるふるえている。
この香気はどこからくるのだろう。
何年も前のこと。
暴風雨でもみくちゃになりながら、こう思ったのを覚えてる。
「とてもとてもつらくてどうしたらいいかわからないから、せめてむだにならない、やらなくちゃいけないことをやっておこう」
やらなくちゃならないこと、につながった紐を離さないようにとぎゅっと手を握りしめた。
今ならわかるけれど、「〜なくちゃ」は赤信号、要注意のキーワード。
遡ってそこを解除するタイミングがやってきた。
「〜なくちゃ」解除。解放完了。
用済みの空っぽの破れた紙袋みたい、ほら風をみつけて飛んでいく。