🌸④途上国のビジネス🌸
🔹水野 いまの小田さんのお話で私が感動したのは
「絶対に負けられない」
という思いを常に抱き続けられたことです。
それも自分のためではなく、自分を支えてくれている人たちのために負けられないという思い。
これは素晴らしいことだと思います。
🔸小田 まぁ、振り返れば全てドラマでしたね。
私は自分のやってる仕事は登山家と同じだと思っています。
大学の登山部でも最初は先輩から叱られて「もういい加減やめよう」と思う。
しかし、あるレベルまで行ったならば、自分から率先して登りたくなるだろうし、
一つ頂上を極めたら、また新しい山に挑戦したくなる。
登山という醍醐味を覚えてしまったら、もう止められない。
これはビジネスでも一緒なんです。
「世界中の人々が安心して生水を飲めるようにする」
という私たちの理念は若い新入社員が考えたものですが、
そういう山の頂にこれからも続けていこうと思っています。
やることがたくさんあって、とても挫けちゃっいられません。
そして、私はいつも思うのは国連が示している世界的な様々な課題。
これを解決できるのは日本人だけではないかと…。
🔹水野 私もそう思います。
発展途上国のビジネスは競争原理ではなく、いかに格差を少なくしていくかという視点が求められますから、
お互いに思いを分かち合わなくてはいけません。
そこで求められるのが日本人的な相矛盾するものをどう両立させるか、和の発想と視点なんです。
🔸小田 アフリカに行っても、どこに行っても旧植民地の人々は自分たちは欧米人より下の生活を知っていて当たり前だと普通に思っています。
そういう意識を刷り込まれてしまっている。
だから、我われ日本人が対等に接していくと、ほんとに不思議な顔をします。
🔹水野 それは蚊帳工場でもよく感じました。
インド人の技術者がアフリカ人に怒りながら教えるのに対して、日本人は誠意を持って冷静にを教える。
で、どちらがよく理解できるかと聞くと、アフリカ人は皆日本人だと言うんですね。
自分たちが大事に扱われていることが伝わるのでしょう。
🔸小田 私は特別に愛国者ではありませんでしたが、
海外に行くと日本という国がどれだけ高く評価されているかがよくわかるんです。
それを思うと、一部の新聞のように自虐的なことばかり報じるのは明らかにおかしいし、日本の悪口ばかり言い続ける日本人の姿もどうかと思います。
少なくとも私は日本のパスポートの信用のおかげで堂々とビジネスができます。
これがどこか別の国のパスポートなら誰からも相手にされないでしょう。
🔹水野 私がアフリカに最初に行った時、トヨタの車がとても多いことに驚きました。
日本の価値をすでに認められていて、私たちが行く前から「日本人が持ってくる技術は一流だ」と信頼されている。
🔸小田 そのありがたさが分からないといけないね。
🔹水野 実は私たちがアフリカでビジネスに成功できた要因の1つはそこにありました。
合弁会社のパートナーはインド系のタンザニア人でしたが、
前CEOである父親は日露戦争で日本が大国ロシアに勝利したことや、日本は戦後、奇跡的な復興を遂げたことをとても高く評価していました。
ですからパートナーもその考えをしっかり受け継いでいました。
工場長もまた負けず嫌いの性格で、それが日本人技術者の我慢強い技術移転の努力や誠実さとで相俟って現地のスタッフに少しずつ浸透していったんです。
🔸小田 失礼ですが、水野さんは今おいくつですか。
🔹水野 61歳です。
🔸小田 そうですか、私からすれば、あなたはまだまだこれからだ。
私が本気になりだしたのは、ちょうどその頃ですよ。
🔹水野 私は住友化学を退職し、2012年から今のNPOに勤務していますが、マラリヤ撲滅に向けた活動行っているという点では全く変わりません。
2030年、私が生きている間にアジアからマラリアを制圧し、アフリカでは2000年と比べて90%を減らすのが目標です。
そのためには日本の企業が持っている技術やイノベーションを現地のニーズに適応できるよう改良し、現地での事業を成功させることが求められます。
冒頭に小田さんがおっしゃってくださったように、マラリアによる死者はこの10年間で半減しました。
これは防虫蚊帳の普及や診断方法の改善、抗マラリア薬の改良などが相乗効果をもたらしているためですが、
これらの活動をより充実させたいと思っているんです。
個人的な話になりますが、今私はNPOに所属しながら長崎大学熱帯学研究所で学生をやっています。
NPOも軌道に乗って、改めて医療関係の勉強したいと思ったためですが、
熱帯の知識を深めることで考え方がまた変わる気がしています。
また、それが自分でも楽しみですね。
🔸小田 いま水野さんは日本の強みとして技術とイノベーションを挙げられました。
私はそれにおもてなしとサービスを加えたいと思う。
これは日本人特有の心がそのまま形になったもので、どの国も真似できないでしょうね。
私は後世の人たちに受け継いでもらいたいと思うのは、まさにそのおもてなし、サービスの精神ですね。
それともう一つ挙げるとしたら、人が笑おうがどうしようが、でっかい夢を持つことかな。
🔹水野 全く同感ですね。最近強く感じることですが、人間、野心がないといけないと思います。
我々が関わるアフリカの事業でも、社会的課題を解決しようとするなら、自分(たち)の力で何とかしてやろうという野心に近いものが必要ではないでしょうか。
🔸小田 何かをやり遂げるには、上に立つ人間の意識次第だということですね。
🔹水野 はい。野心というと欲深くて嫌われそうですか、
「ただ社会を良くしたい」と漠然と思うのではなく、
「いつまでに、何をこうしたい」という具体的で明確で肯定的な目標が必要です。
それをやり遂げるのは、ある意味でやんちゃさ、なのかもしれません。
🔸小田 わたしももっと早く「世界の人が生水を飲めるようにしたい」という思いを持って頑張っていたら、
さらに広い地域に水が供給できたかもしれない。
そう思うとこの十年が惜しいですね。
🔹水野 今グローバル社会といわれて皆が海外に憧れていますが、
私は皆が皆世界を見たほうがいいと思わないんです。
ただし、若い人にはどんな立場であれ10年、20年先を予測しながら行動してほしいと願っています。
いま小田さんもおっしゃったように、少し大きめの風呂敷を広げながら、いろいろな経験を積んで階段を上がっていけばいい。
🔸小田 私の経験から言うと、人生って八方塞がりはないんですよ。
どこかに突破口がある。
🔹水野 ええ、必ず助けてくれる人が現れます。
でも、常に考え、求める心がないとそういう人は現れないでしょうね。
🔸小田 だから自分で勝手に限界を決めたり、いつまでも塞ぎ込んだりしないことです。
私も信頼してる人に裏切られてひどい目にあったりもしましたが、
それがあったから今があると心からそう思います。
順調に行っていたら、小規模ながら株式でも上場して贅沢できたかもわかりませんが、
今のこの喜びを絶対に味わえなかったと思っています。
🔹水野 小田さんが厳しい試練を乗り越えられたのは、人生に対する目標が明確だったからではないでしょうか。
サラリーマン、特に大企業ではある地位に就いた途端、自分や組織の目標を見失ってしまう人が少なくありませんが、
それでは何もならない。
大切なのは上に立った時こうしたい、ああしてやろうという野心、パッションで、逆境を乗り越る力もそこから生まれます。
そのことも若い世代に伝えていきたいですね。
(おわり)
🔹水野 いまの小田さんのお話で私が感動したのは
「絶対に負けられない」
という思いを常に抱き続けられたことです。
それも自分のためではなく、自分を支えてくれている人たちのために負けられないという思い。
これは素晴らしいことだと思います。
🔸小田 まぁ、振り返れば全てドラマでしたね。
私は自分のやってる仕事は登山家と同じだと思っています。
大学の登山部でも最初は先輩から叱られて「もういい加減やめよう」と思う。
しかし、あるレベルまで行ったならば、自分から率先して登りたくなるだろうし、
一つ頂上を極めたら、また新しい山に挑戦したくなる。
登山という醍醐味を覚えてしまったら、もう止められない。
これはビジネスでも一緒なんです。
「世界中の人々が安心して生水を飲めるようにする」
という私たちの理念は若い新入社員が考えたものですが、
そういう山の頂にこれからも続けていこうと思っています。
やることがたくさんあって、とても挫けちゃっいられません。
そして、私はいつも思うのは国連が示している世界的な様々な課題。
これを解決できるのは日本人だけではないかと…。
🔹水野 私もそう思います。
発展途上国のビジネスは競争原理ではなく、いかに格差を少なくしていくかという視点が求められますから、
お互いに思いを分かち合わなくてはいけません。
そこで求められるのが日本人的な相矛盾するものをどう両立させるか、和の発想と視点なんです。
🔸小田 アフリカに行っても、どこに行っても旧植民地の人々は自分たちは欧米人より下の生活を知っていて当たり前だと普通に思っています。
そういう意識を刷り込まれてしまっている。
だから、我われ日本人が対等に接していくと、ほんとに不思議な顔をします。
🔹水野 それは蚊帳工場でもよく感じました。
インド人の技術者がアフリカ人に怒りながら教えるのに対して、日本人は誠意を持って冷静にを教える。
で、どちらがよく理解できるかと聞くと、アフリカ人は皆日本人だと言うんですね。
自分たちが大事に扱われていることが伝わるのでしょう。
🔸小田 私は特別に愛国者ではありませんでしたが、
海外に行くと日本という国がどれだけ高く評価されているかがよくわかるんです。
それを思うと、一部の新聞のように自虐的なことばかり報じるのは明らかにおかしいし、日本の悪口ばかり言い続ける日本人の姿もどうかと思います。
少なくとも私は日本のパスポートの信用のおかげで堂々とビジネスができます。
これがどこか別の国のパスポートなら誰からも相手にされないでしょう。
🔹水野 私がアフリカに最初に行った時、トヨタの車がとても多いことに驚きました。
日本の価値をすでに認められていて、私たちが行く前から「日本人が持ってくる技術は一流だ」と信頼されている。
🔸小田 そのありがたさが分からないといけないね。
🔹水野 実は私たちがアフリカでビジネスに成功できた要因の1つはそこにありました。
合弁会社のパートナーはインド系のタンザニア人でしたが、
前CEOである父親は日露戦争で日本が大国ロシアに勝利したことや、日本は戦後、奇跡的な復興を遂げたことをとても高く評価していました。
ですからパートナーもその考えをしっかり受け継いでいました。
工場長もまた負けず嫌いの性格で、それが日本人技術者の我慢強い技術移転の努力や誠実さとで相俟って現地のスタッフに少しずつ浸透していったんです。
🔸小田 失礼ですが、水野さんは今おいくつですか。
🔹水野 61歳です。
🔸小田 そうですか、私からすれば、あなたはまだまだこれからだ。
私が本気になりだしたのは、ちょうどその頃ですよ。
🔹水野 私は住友化学を退職し、2012年から今のNPOに勤務していますが、マラリヤ撲滅に向けた活動行っているという点では全く変わりません。
2030年、私が生きている間にアジアからマラリアを制圧し、アフリカでは2000年と比べて90%を減らすのが目標です。
そのためには日本の企業が持っている技術やイノベーションを現地のニーズに適応できるよう改良し、現地での事業を成功させることが求められます。
冒頭に小田さんがおっしゃってくださったように、マラリアによる死者はこの10年間で半減しました。
これは防虫蚊帳の普及や診断方法の改善、抗マラリア薬の改良などが相乗効果をもたらしているためですが、
これらの活動をより充実させたいと思っているんです。
個人的な話になりますが、今私はNPOに所属しながら長崎大学熱帯学研究所で学生をやっています。
NPOも軌道に乗って、改めて医療関係の勉強したいと思ったためですが、
熱帯の知識を深めることで考え方がまた変わる気がしています。
また、それが自分でも楽しみですね。
🔸小田 いま水野さんは日本の強みとして技術とイノベーションを挙げられました。
私はそれにおもてなしとサービスを加えたいと思う。
これは日本人特有の心がそのまま形になったもので、どの国も真似できないでしょうね。
私は後世の人たちに受け継いでもらいたいと思うのは、まさにそのおもてなし、サービスの精神ですね。
それともう一つ挙げるとしたら、人が笑おうがどうしようが、でっかい夢を持つことかな。
🔹水野 全く同感ですね。最近強く感じることですが、人間、野心がないといけないと思います。
我々が関わるアフリカの事業でも、社会的課題を解決しようとするなら、自分(たち)の力で何とかしてやろうという野心に近いものが必要ではないでしょうか。
🔸小田 何かをやり遂げるには、上に立つ人間の意識次第だということですね。
🔹水野 はい。野心というと欲深くて嫌われそうですか、
「ただ社会を良くしたい」と漠然と思うのではなく、
「いつまでに、何をこうしたい」という具体的で明確で肯定的な目標が必要です。
それをやり遂げるのは、ある意味でやんちゃさ、なのかもしれません。
🔸小田 わたしももっと早く「世界の人が生水を飲めるようにしたい」という思いを持って頑張っていたら、
さらに広い地域に水が供給できたかもしれない。
そう思うとこの十年が惜しいですね。
🔹水野 今グローバル社会といわれて皆が海外に憧れていますが、
私は皆が皆世界を見たほうがいいと思わないんです。
ただし、若い人にはどんな立場であれ10年、20年先を予測しながら行動してほしいと願っています。
いま小田さんもおっしゃったように、少し大きめの風呂敷を広げながら、いろいろな経験を積んで階段を上がっていけばいい。
🔸小田 私の経験から言うと、人生って八方塞がりはないんですよ。
どこかに突破口がある。
🔹水野 ええ、必ず助けてくれる人が現れます。
でも、常に考え、求める心がないとそういう人は現れないでしょうね。
🔸小田 だから自分で勝手に限界を決めたり、いつまでも塞ぎ込んだりしないことです。
私も信頼してる人に裏切られてひどい目にあったりもしましたが、
それがあったから今があると心からそう思います。
順調に行っていたら、小規模ながら株式でも上場して贅沢できたかもわかりませんが、
今のこの喜びを絶対に味わえなかったと思っています。
🔹水野 小田さんが厳しい試練を乗り越えられたのは、人生に対する目標が明確だったからではないでしょうか。
サラリーマン、特に大企業ではある地位に就いた途端、自分や組織の目標を見失ってしまう人が少なくありませんが、
それでは何もならない。
大切なのは上に立った時こうしたい、ああしてやろうという野心、パッションで、逆境を乗り越る力もそこから生まれます。
そのことも若い世代に伝えていきたいですね。
(おわり)