hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

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楽しさ、感動、知恵が学べる。
(^_^)私はとっても普通の人です。

私の普通は、

2016-07-30 14:07:09 | 基本的な考え方
私の普通は、

普遍の真理通り、で、普通と思ってます。

広くいきわたる真理の通りという意味です。

・人の役に立つ。
・感謝の気持ちを忘れない。
・愛をもって人に接する。

こんな普通が、一番幸せです。

介護の真実

2016-07-30 14:02:51 | お話
💓🌸介護の真実🌸🌸


自分を変容させ、本当の自分を生きることへと舵を切らせる「おさん」。

どんな事件や出来事が「おさん」となるかは、人によってさまざまですが、

どんなことがあっても、本人に
「腹をくくらせる」経験となることはたしかです。

つまり、変容とは、腹をくくって初めて始まるもの。

神様は、「腹をくくる」瞬間を待ち望んでいます。

たとえば、実際のお産もそうですよね。

陣痛がきた当初は
「痛いよ〜怖いよ〜」と痛みと恐怖におののいていたのに、

どんどん陣痛の波が強くなり、間隔が短くなって、

いよいよ生まれるとなると、

女性は、みんな腹をくくった表情になりますよね。

「よし産むんだ」と腹をくくった女性の目は、

それまでとは一変します。

これまで少女気分だった女性が、

母親に変わる瞬間。

「何があってもこの子を守る」という愛が生まれる、

それはそれは美しい瞬間です。

こんなふうに、人生は腹をくくることで、

より本質的な自分を生きられるようになっています。


でも、半分の人が、わかっていても腹をくくれないことがあります。

それは介護。


自分だって仕事があって忙しいのに、
やりたいことがあるのに、
遊びたいのに、…、

そんな気持ちがあると、介護しなければいけないとわかっていても、

なかなか気持ちが追いつかないものです。


僕の会社のスタッフの女性は、実の両親と二世帯住宅に住んでいました。

80歳を過ぎて父親が病気になり、家と病院を行き来することもしばしば。

看病は、健全な母親が主にしていますが、

自由でいたい母親は介護生活に入ることに、ずっと抵抗していました。

ところがある日、寝ていた父親がリビングのソファーから落ちて、しばらく動けなくなってしまいました。

母親はそんな夫の姿を見て、

「来るべき時が来た。ちゃんと介護しよう」

と腹をくくったそうです。

そこで、その日、娘と一緒にホームセンターで介護用ベッドを購入しました。

家に戻り、

「お父さん、介護用ベッドを買ってきたからね。

これからのこと、何も心配しなくていいよ」

というと、父親は、

「いろいろ、ありがとうね」

と優しい笑みを浮かべて感謝の言葉を伝えたそうです。

その後、おかゆを少し口にして、しばらくしてから、また父が倒れ、

そのまま息を引き取りました。


これから本当に介護をして夫に関わろう、

そう妻が腹をくくった日に、夫は亡くなったのです。

これを偶然だと思いますか?

魂は、相手に腹をくくらせることを、お互いの間で、無意識にやっているのです。

実は、自分や相手と向き合うことを避けてきた人ほど、

とことん向き合いなさいと言う意味で、

介護するという出来事が巡ってくるようになっています。


誰かが病気になると、放っておけませんよね。

つまり、病気とは関わるきっかけをつくるもの。

看病したり、お見舞いに行ったりなど、関わらなきゃいけなくなる。

だから、向き合うことを避けてきた人ほど、誰かを世話する必要性が生まれるんです。


さらには、「無条件の愛」を知るために、介護することもあります。

たとえば、認知症などになると、
お風呂に入れてあげても、食事をつくってあげても、

オムツを替えてあげても、

「ありがとう」という言葉が返ってこなくなりますよね。

もう、一方的に世話をし続けるしかない状態です。

そんなとき、介護する側に、

「なんてお礼のひとつもいってくれないのよ」

「なんでおとなしくしてくれないのよ」

と、抵抗する心が生まれるでしょう。

抵抗する心は、それを受け入れるまで続きます。

自分のなかで

「もう、わかったから」

と抵抗がやんだとき、

初めて、葛藤やがっかりする気持ちがなくなり、

ネガティブな感情がなくなります。

その状態で、お世話をしてみると、

当たり前のようにご飯を食べさせたり、
オムツを取り替えたりできるようになる。

それは、

生まれたばかりの赤ちゃんをお世話するのと同じ感覚です。

赤ちゃんがウンチをしたとき、

「なんで、ウンチするのよ!」という人はいないように、

「はい、はい、オムツ替えましょうね」

といえるようになる。

そのとき初めて、

「ああ、自分も無条件にお母さんに育てられて愛されていたんだ」

って、ことに気づくんです。

介護が日常生活のひとつに溶け込むぐらいになってくると、

介護する側は、

「一日でも長く生きてね」

「生きているだけでいいからね」

「面倒みさせてちょうだいね」

という気持ちに変化してきます。


こうして、介護する側の気持ちが変化したとき、

「やっと、"無条件の愛"を手渡すことができた!

もうやり残したことはない」

と、介護されていた人は死んでゆくのです。

つまり、介護される側は、介護する側の気持ちが変わるまで死にません。


ただし、介護する側があまりにも頑固で、「こりゃあ、なかなか変わらないな」と神様が判断したときは、

変化する前に、介護される側が死ぬこともありますよ。

その場合、介護をしていた人は、

そのあとすぐ病気になったりするものです。

抵抗する気持ちを、なかなか捨てられずにいると、

手がかかる介護人を持つという現実がやってくるんです。

でも、これも神様のはからい。

すべては、人に変容もたらすため、

腹をくくらせるために起こっているのです。


(「あなたのなかのやんちゃな感情とつきあう法」金城幸政さんより)