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ウンコを踏んだのは不幸か?

2016-07-10 15:38:50 | お話
🍀ウンコを踏んだのは不幸か?🍀


生病老死、すべてが思い通りにいかないことばかりで、

それが「苦」だということです。

でも、それを「苦」だととらえているのは誰でしょうか?

そうです。

「苦」の根底には、必ず「わたし」がいるんですよね。

そうとらえる「わたし」がいるんです。

いうなれば、「苦」の正体は「わたし」のとらえ方だとも言えるわけです。


例えば、街を歩いていてウンコを踏んだとしましょうか。

これは誰にとっても問題でしょうか?

誰にとっても不幸でしょうか?

もし、ウンコを踏んだのがフンコロガシだったら、

ウンコを踏んだのはウルトラハッピーです(笑)。

外側が問題ではないということです。


例えば美空ひばりの「川の流れのように」をはじめ多数のヒット曲を作詞している作詞家の秋元康さん。

秋元さんは旅先のロサンゼルスでタクシーから降りて、1歩目でウンコを踏んだことがあったそうです。

普通なら「ツイてない!」って思う場面です。

ウンコは靴にツイていますけどね(笑)。

でも、秋元さんはウンコを踏んだときに、

感動して、その場から1歩も動けなくなったというのです。

ロサンゼルスでタクシーをおりた一歩目にウンコがある確率。

そして、それを見事に踏む確立。

もしロサンゼルスの友達に電話をして迎えにきてもらっていたら、

タクシーに乗る事はなかったのでそのままウンコは風化していたことでしょう。

犬がここを通る前だったら、そもそもウンコはなかった。

すべてが重なったから、たった1通しかない、このウンコを踏める確率にドンピシャで行き当たることができた。

その確率の低さに思いをはせたら、秋元さんは感動で1歩も動けなくなったというのです。

「これを踏めるやつは誰もいない!」と。

「すごいな、おれは」と(笑)。

そうです。

ウンコを踏むことは必ずしも不幸ではないし、

むしろウンコを踏んで感動する人さえいるのです。

不幸の根底には、それを不幸だととらえている「わたし」がいるということです。

不幸は外側(現実)にあるのではなく、内側(心)にある。

「わたし」のものの見方(思い込み)が、不幸の原因となっている。

それに気づくと、なにかあったときに一概に人のせいにしなくなります。

外に敵をつくらなくなってきます。

外に敵がいないとき、そこに待っているのは心の平安です。

思い通りにしたいと思っている「わたし」が、思い通りにいかない現実を「不幸」だととらえているのです。

ならば、思い通りにしたいと思う「わたし」を手放してみたらいい。

吐く息とともに。

僕は赤面症でひとみしりでした。

僕にとっては、赤面症でひとみしりは、思い通りにならない現実でした。

でも、だからこそ、書いて伝えるようになりました。

おかげで作家になれました。

思いどおりにいかないときこそ、思いがけない素晴らしい現実を創造できるんです。

そう。

だから、思いどおりにしたいというその思いこそ余分なのです。

吐く息とともに余分な力を解き放とう。


(「ゆるんだ人からうまく」ひすいこたろう×植原紘治より)