hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

日々の楽しい話、成長の糧などを綴ります。
楽しさ、感動、知恵が学べる。
(^_^)私はとっても普通の人です。

薬師如来

2017-10-29 18:02:35 | 日本の仏さま
☀☀薬師如来☀☀

手にのせた薬壺(やっこ)がトレードマーク。🌟

現世利益🌟で人気💕


薬師如来☀は、修行⚡時代に
「十二の大願🌸」を立て、仏☀となって衆生を救う✊ことを誓いました。

その大願🌸とは、

病気を治して健康🍀にする、

おいしい食事💕を食べさせる、

素晴らしい衣服👗✨を与えるなど、

民衆🌸が現実🍀に叶えてほしい😍と願っていることが中心💓です。

死んだあと😇に救済🌸するのではなく、

この世🍀で利益💓を授ける如来☀として人気💕を集め、

飛鳥時代には信仰☀が広がりました。☁☁


仏☀の姿は基本的に通仏相で、左手に薬壺💊を持っています。

ただし、古い像になると薬壺がなく、

施無畏印🌸・与願印🌸を組んでいるため、

一見、釈迦如来☀と区別がつきません。

薬壺をのせた像は、平安時代☀以降に作られるようになりました。😊🎵

毎月8日は「お薬師さま」の縁日🌸です。


(「日本の仏さま」より)


何だろうと、思ったら、図書カードでした。
そう言えば、アンケートに答えたのを忘れてました。
ついてる。


🌸ビューティ可理子プロデュース🌸11

2017-10-28 17:04:50 | ダイエット
🌸ビューティ可理子プロデュース🌸11


人生🍀は超えられるものしか、来ない。😊🎵

神様☀️は優しい🌸ですから、
ものごと、自分の超えられもの✊⤴️しか、きません。

ですから、何がきても

大丈夫🍀なんです。

何があっても、それを超えられる。😊🎵

方法🌸はいろいろあります。

あの手✋この手👋。

いろいろあります。🎵

前向き✊に、対処🌟して行きましょう。

必ず突破口💢があります。

突破口💢がわかれば、あとは簡単🍀。

それを広げて行けばいい。😊☀️

やがて、大きな流れ☁️になり、
ビックリ😍する変化🌈が起こる。

そんなもんです。😊🎵

人生🍀って。

で、
人は、考え方🌀から劣化💀が始まります。

ですから、まずは、

立ち向かう✊だけでいい。

それだけで、いいんです。☀️

進まなくても、

立ち向かう✊だけの勇気🍀が大切🌸。

その心💓が大切🌸なんです。

それだけで、心は劣化しません。😊🎵

それから、様子🌸をみて、対応🌟を考える。

そして、

本当の自分🌸を大切🍀にし、
ちょっと前へ👟進む。

ちょっと前へ👟進む。

それが、未来✨をつくり、

進化🌠してゆくことになるんです。

一歩👟一歩👟、進んでいしましょう。😊🎵


あと、

人は寿命💓まで死なないの。😊

病気🏥になろうが、事故🚨に遭おうが、

どんなに困難😵が来ても、人は寿命💓まで死なないの。😊🎵

だから、死😇を恐れる😱ことはない。

ちゃんと、寿命💓があれば生き残る🍀。

死ぬ時😇は、寿命💕です。

それが分かって🌟いれば、何でも楽しく💕できる。

なんでも楽しく💕味わえる。

寿命💓までは、楽しく💕過ごしていきましょう。😊☀️


カレイの塩焼き、モヤシとエリンギ炒め、干し甘エビとカブの煮物、カブのぬか漬け、味噌汁、ご飯。😊💓


あきらめない夢

2017-10-28 08:37:08 | お話
🌸🌸あきらめない夢🌸🌸


皆さんは子どもの時に持っていたい夢を今どれだけ持っていますか?

またはその夢をどれくらい実現していますか?

人間の夢は時の流れと共に変わっていきます。

でも、死んでもあきらめられない、捨てられない夢を1つだけでも持ってほしいですね。

プロにならなくてもアマチュアでよいのです。

我々は常にプロを目指す傾向にあります。

まるでアマチュアを認めないかのように。

でもそのアマチュアからプロが生まれるのです。


皆さんは「ギリシャ考古学の父」と呼ばれているドイツ人、ハインリッヒ・シュリーマンを知っていますか?

彼は子ともの時に読んだホメロスの長編叙事詩『イーリアス』を信じ、夢を持つようになりました。

その夢とは、大人になってから考古学者隣 となり、伝説都市「トロイア」とミケーネ文明を自ら発掘することだったそうです。

しかし彼は40歳になるまで考古学とは無縁の「商人」として、貿易などでお金を稼ぎました。

その結果、巨富を築いたのです。

これは貿易のために必死に語学の勉強に励みました。

独学で20カ国語を学び、すべて堪能だったそうです。

1876年、48歳になった彼は、幼い頃の夢の実現のために、全財産を投資して発掘調査を開始しました。

その精力的な活動の結果、1873年に伝説といわれていた「プリアモスの財宝」をご発見し、

「トロイア」の存在を証明したのです。

この発見により、古代ギリシャの先史時代の研究は大いに進みました。

それ以前は「トロイア戦争はホメロスの創作」といわれ、トロイアの実在も疑問視されていました。

しかしシュリーマンはトロイアの存在を確信していたのでしょう。

だからこそ遺跡発掘にすべてを投資できたのです。


彼は発掘の専門家ではありません。

つまりアマチュアでした。

当時は現代のように考古学が整備されておらず、

発掘技術にも限界があったため、

彼への否定的な意見も少なくありませんでした。

しかし、彼の

「死んでもあきらめられない夢」

があったからこそ、

我々現代人は「トロイアの文明」という価値のある歴史をプレゼントしてもらえたのです。

もしかしたら、皆さんが今夢見ていることが人類史を変えるかもしれません。

一冊の文献が1人の人生だけでなく、人類史までも変えました。

あなたは、そんな文献にもう出逢えましたか?

本は人間を成長させてくれる最高の宝物だと思います。


(「みやざき中央新聞」カウンセラー金 泰勲さんより)


カボチャだけじゃない。
ジャガイモも顔晴る。😁🎵

人生の三つの転機

2017-10-27 15:24:10 | お話
🍀🍀人生の三つの転機🍀🍀


私の人生には3つの転機があり、それぞれに「絶望」がありました。

でも振り返ると「あの絶望は終わりではなく、始まりだった」と思えます。

転機の1つ目、それは息子の出産です。

出産2日後に私はお医者さんから

「息子さんはダウン症です。

一生歩けず、一生話せず、ずっと介護の生活かもしれません。

諦めてください」

と言われました。

私は

「あきらめなければいけないって何?

誰からも喜ばれない命って何?」

と、ずっと自分を責め、後悔しました。

でも息子はゆっくりですが成長し、3歳を過ぎると歩けるようになりました。

今は就労支援を受けながら1人でバスに乗り、作業所に通い、

楽しそうに仕事をしています。

自分でできることも増えてきました。

私はそんな息子みてい思いました。

「他人と違うことに落ち込む必要は無い。

違いがあるからこそ、他人と違う視点を持っているんだから」

と。

2つ目の転機は、夫の突然の死でした。

今から12年前、急性の心筋梗塞でした。

当時、中学2年生の娘は反抗期の真っ只中で、些細なことで父親とケンカしていました。

娘はいつも最後に

「パパなんか大嫌い。死んじゃえばいいのに」

と言っていました。

夫が亡くなった日も、そうでした。

そんな私たちに大きな後悔が残りました。

それは、夫が生きている間に

「ごめんなさい」



「 ありがとう」

を言えなかったことです。

夫の死後、私たちはルールを決めました。

「『ありがとう』と『ごめんなさい』は、必ず24時間以内に言う」

です。

難しいのは「ごめんなさい」です。

この一言は、悔しいというか照れくさいというか、

なかなか言えません。

でも夫に誓って決めたルールですから、何としても伝えるようにしています。

命は永遠ではありません。

今日と同じ明日がくるとは限らないのです。

だからこそ大切な人に、後悔のないメッセージを伝えなきゃいけないのです。

夫は40歳の誕生日の数日前に亡くなりました。

「だから私たちはパパの意思を継ぎ、パパの分まで生きていこう」

と決め、私たちは、またスタートを切りました。


三つ目の転機はその3年後にやってきました。

突然私は「大動脈解離」という病気が襲ったのです。

救急搬送された病院で、先生が高校2年生の娘に告げました。

「お母さんが助かる確率は2割。

意識が戻る確率は、それ以下です」

と。

娘は先生に

「母の命を助けて下さい」

と泣いてすがりつきました。


10時間の手術後、幸運にも私は意識を取り戻しました。

でも病気の後遺症が残りました。

胸から下が麻痺し、寝返りも食事もトイレも、

何一つひとりではできない体になったのです。

閉ざされた病室の中で私は毎日

「死にたい」と考えるようになりました。

でも子供たちの前では必死でウソの笑顔を浮かべました。

ある時、病院の先生から

「そろそろ岸田さんも外に出る練習をしてくださいね」

と言われました。

娘は喜び

「ママと一緒にお洋服を見にいきたいし、カフェにも行きたい。

明日、予約しておくね」

と楽しそうな予定をたくさん立ててくれました。

私もワクワクした気持ちで出掛けました。

でも街に出ると坂道や段差や狭い道ばかりで、

「すみません」

「通してもらえますか」

とずっと謝らなければなりませんでした。

後ろで車いすを押す娘もずっと謝っていました。

「やっぱり私は、死んだほうがましだ」

と思いました。


夕食を食べるために入った店で私は娘に打ち明けました。

「ママはね、手術から今までずっと死ぬことばかり考えてきた。

これ以上生きているのはつらい。

もう死なせて」

「なんてこと言ってしまったんだ」

と後悔しましたが、

娘の気持ちまで考える余裕はありませんでした。

「娘に自分の本当の気持ちを打ち明けてから死のう」

と思っていたのです。

「『ママ、死なないで!』と娘はきっと泣きすがるに違いない」

と思っていました。

でも娘は、まるで私の言葉が聞こえていないかのように、まったく無反応でパスタを食べ続けました。

そして、娘は予想もしなかった一言を言いました。

「わかってる。ママが死にたいなら、死んでもいいよ」

私は驚きました。

「ちょっと待って。ここは『ママ、死なないで』の場面でしょ。

なぜ止めないの?」

でも、その後に気づきました。

「私の『死にたい』は、実は『生きたい』の気持ちの裏返しだったんだ」

と。

娘は続けました。

「ママはもう十分頑張ってる。

死にたいなら死んでもいいよ。

でもちょっとだけ待って。

今ママに死なれたら私は頑張れない。

もうちょっとだけ私を考えて。

そしたら今度は、私がママを大丈夫にしてあげる」

それは娘からの精一杯の励ましでした。

たとえ歩けなくても寝たきりでも娘にとっては私は母親なのです。

「歩けなるくてもできることがある」

と教えられました。


あの日、私は人生の再スタートを切りました。

それ以降は今の自分を受け入れ、

「できることを見つけて生きていこう」

と思えるようになりました。

そして今、私は「講師」という仕事を始めました。

車いすに乗った私の目線の高さは110センチです。

その高さからしか見えないもの、

車椅子である私にしか届けられないもの、

をこれから皆さんにお話ししていきたいと思います。


(「みやざき中央新聞」岸田ひろ美さんより)


アトリオ辻口さんの店の天然酵母のパン、ココナツオイルで焼いた玉子焼き、能登産ベビーリーフ、のサンドイッチ。味付けは塩だけ。
美味しい💕


文殊菩薩

2017-10-26 18:27:31 | 日本の仏さま
🌸🌸文殊菩薩🌸🌸


仏☀️随一👑の智慧✨の高さを誇り、菩薩🌸に説法🎵をする

実在の人物という説🍀もある文殊菩薩🌸はバラモン家🏡の生まれです。

出家し、釈迦☀️の弟子🌸となりました。

釈迦の入滅後😇は、ヒマラヤ🗻にて500人の仙人🌟の前で教えを説いたといわれています。😊

今も娑婆世界の東北にある清陵山🗻で、
1万人の菩薩🌸を相手に説法🎵を続けているそうです。😊✨

「三人よれば文殊の知恵🍀」

ということわざ🎵があるように、智慧✨をつかさどる菩薩🌸です。

その知恵🌸を象徴する逸話が、

経典📚『維摩(ゆいま)経』に残されています。😊

聡明✨で、大乗仏教🌸の奥義に精通⚡️していた維摩居士には、

釈迦の弟子🌸でも議論で敵う者はおらず、
弟子たちはいつも論破💥されていました。

あるとき釈迦☀️が、病気になった維摩居士のお見舞い💓に文殊菩薩🌸を遣わしたところ、

両者は対等にわたりあった😊、とのことです。☀️


🍀真言の字数により髻(もとどり)と利益が変わる文殊も🍀

すがたは基本的な菩薩形🌸で、主に右手に剣🔪、左手に経巻を持っています。

経巻📚は智慧🌸を、剣🔪はその智慧がとぎすまされている✨ことの象徴です。

またがっている獅子🐯は、智慧の勢い🌊の盛んさ🌀を表しています。

ただし、古くは蓮台🌸に結跏趺坐をしており、獅子に乗るのは平安時代以降です。😊

髪は宝髻(ほうけい)で、密教では、真言🍀の文字数と髻の数を一致させた文殊菩薩🌸がいます。

たとえば、1文字の真言🍀に対応する文字は、
「一字文殊(一髻文殊)」です。

髻の数だけでなく、持物も異なり、利益も変化します。😊🎵

眷属は、
獅子の手綱を引く優填王(うでんおう)、

合唱🙏している善財童子(ぜんざいどうじ)🌸、

僧侶の仏陀波利三蔵(ぶっだはりさんぞう)☀️、

杖を持った最勝老人(さいしょうろうじん)👴です。

この四尊👑と文殊菩薩🌸が海🌊を渡る様子を描いたものを

「渡海文殊」も呼びます。🎵

ただし、曼荼羅🌀では、八大童子(不動明とは異なる)を眷属🎵としています。😊☀️


(「日本の仏さま」より)


茹でたジャガイモを切って、アルミホイルを敷いたオーブントースターの皿に並べて、焼く。

あったまったら、ココナツオイルかけて、もう少しあっため、
塩、青のり、かつお節、クリームチーズを乗せ、アツアツをいただく。
大人のオヤツ。
アイ・ラブ・ユー😍、ピュッ💕🎵