地味なひと。その名は紫はなな。俗にいう紫大根の花です。
朝のゴミ出しに行った帰りの道端に咲いていました。
なんとけなげ花なんだろう。
桜とくらべるには気の毒ですが、誰に見られるのでもなく
ただただ勝手に咲いているいるという感じ。
風に運ばれてどこかから飛んできた種が着地したところ、
そこに土があったので、まあ、とりあえず咲いてみました
みたいな。
時には子供にちぎられたり、心無い大人に踏みつけられたり
しながらもしっかりと生き残り、次の世代に命をつないで
いこうとしています。
FMラジヲの古楽の楽しみという番組で私の大好きな音楽の
先生、鈴木優人さんが或る日「桜草」という曲名のいわれを
話をしていたことがあります。
そこで先生は桜草の花言葉は「青春の喜びと悲しみ」と
言っておられました。
それを聞いてたしかにそれは桜草にはふさわしいなと思った
ものです。
桜といい、桜草といい、立派な名があり誰からも愛される
花がある。かと思えば、誰にも気づかれずにひっそりと道端
に咲くともなく咲いている花(というか雑草)もある。
桜草が「青春の喜びと悲しみ」なら
紫大根の花は「老人の寂しさと悲しみ」とでも言えそう。
耐えて咲く 紫はなな 吾が友よ
灯ともせば 傾く如し 甕の百合
佐藤紅緑
おはようございます。
もうじき新元号の発表となりますね。
五木さんの本はまだ読んでいませんが
いいことが書いてあるんですね。
「玄冬」という言葉。これは人生を
生きていくうえでの指針となりそうな言葉です。
satochinさんこそこの言葉に相応しいですよ。
白秋、といい、玄冬といい、古代中国の思想を
思い浮かべてしまいます。
今月もこちらこそよろしくです。
いろいろ資料の書換の準備をして、
新元号の発表を待っています。
紫大根の花は・・・
「老人の寂しさと悲しみ」とでも言えそうは、
葉月さんのおっしゃる通り少し可哀そうかも
五木寛之さんの著から・・・
「玄冬の心の広さ豊さ」と言う言葉を、
思い浮かべました。
玄冬・・・
思うままにふるまっても道をはずれないと
言う意味があるようです。
紫大根の花・・・
なんか主張と言うか存在感を感じますね
りたあいまんさんからは・・・
何時も包容力を感じていたので玄冬と言う
言葉を一番に思い浮かべました。
ある種、人生の域かもですね。
satochinは生涯その域にはなれないと思うので、
白秋を目指しています
今月も宜しくお付き合い下さいね(●^o^●)
おはようございます。
そうです。道端から拾うようにして
採ってきました。(笑)
でも奥さんがきれいだというので
空びんに水を入れてもらってさしたのです。
おっしゃる通り「老人の寂しさ~」ではちょっと?
でしたね。
シニア世代だと、かっこつけているようじゃないですか。晩年がいいかも。
色々とお気づかいをありがとうございます。
楽しい日曜日をお過ごしください。
失礼な、言葉を選んでしまいました。
🙇♀️
老人はあんまり、と思い別の言葉を
とよく考えもせず、
馬鹿者!無礼者!と叱ってください。
🙇♀️
「シニア世代の静かな幸福」これが
いいと思います。m(_ _)m
紫はなな、紫大根の花、初めて
見ました。綺麗な紫色なんですね。
見落としてしまいそうな野の花や
野菜な花。よく見ると本当に可愛い
んですよね。
摘んでこられたんでしょうか?
私には立派な生け花に見えます。
りたいあまんさんの優しさが垣間
見られます。
「老人の寂しさと悲しみ」じゃ
なんだか可愛そう。
「晩年の静かな幸福」は如何ですか。
こっちの方がりたいあまんさんに
相応しいと思います。(*'▽'*)