少し前の週刊誌「週刊G」に昭和の怪物研究と題して
古今亭志ん朝が取り上げられていた。
談志ら先輩を36人も抜いて真打に昇進した話を皮切に
芝居や舞台や映画・テレビで大活躍した志ん朝の良く
知られた生涯を中心にグラビア化されている。
最後はガンで63歳の生涯を閉じるが、最後を看取った
のは一番弟子の志ん輔だった。
「師匠は左わき腹を下にしないと苦しくて寝られ
なくなっていました。それで私が夜中じゅう、
背中から抱きかかえていたんです。」
「2番の人が3番になっても目立たないけれど、
1番が2番になると目立ちます。でも師匠、もう
いいんじゃないですか。私がそう囁くと、師匠は
安心したような表情を見せました。
息を引き取ったのは翌朝でした」
と語っている。
私は昔から志ん朝のふぁんだったので、寄席で何度も
お目にかかったが、亡くなる直前の浅草演芸ホールで
名物の住吉踊りと落語を目にすることができたのは
幸いだった。