りたいあまん

リタイア後どうしたら充実した人生を送れるか。日々模索しています。

友達との会食

2020年12月28日 | リタイア日記

近所に住む知人からおいしいりんごをいただいた。
寒い冬のりんごはおいしいく、貴重な果物だ。
お返しにというわけでもないが、食事に誘った。
行きつけの和食のお店だが日曜日で客が立て込んでいた。
店長が空いていた座敷の一席に案内してくれる。
ビール好きな友達にはジョッキの生中を頼み自分は車なので
ノンアルコールのビールを注文することにした。
会食の自粛が叫ばれている時節柄だが最低限の人数なので
よしとすべきなどと言いながら二人で乾杯をし、ささやかな
忘年会となった。
飲むほどに話が盛り上がり、それでなくても友達は声がでかく
静かに食事をしている客にはうるさかったかもしれない。
会話が一段落して、ふと横の壁を見ると張り紙がしてあり
「大きな声での会話は謹んでください」とあった。
なんだか自分たちのために用意されていた注意書きみたいだった。
それを見て二人で、頭をかきながらしまったという顔になって
しまったものである。

大掃除

2020年12月24日 | リタイア日記

ウェブから借りた画像だが、サザエさんちの大掃除は夫婦二人で
ガラス拭きをやっていてほほえましい光景である。
サザエさんちは一軒家だが一昔前までは一般的な光景だった。
今は高層住宅に住む人が増えたからこんな事はしないだろう。
我が家では夫婦で分担してやることになっていて、台所の換気扇
の掃除は私の担当である。
一番面倒くさい仕事なのでいつのまにか自分が引き受けるはめに。
強力洗剤を買ってきてカバー等をあらかじめつけておく。
それを汚れてもいいように庭に出して、椅子に座りながらたわしで
ごしごしとやった。
時間はかかったが、しゃがみながらやるより楽ちんだった。
少しはきれいになったが、奥方はそれを見て「おお。きれいになったわ」
とおおげさに言う。
ぶたもほめれば木に登るという。
やれ、やれ。来年もまた自分の担当になりそうだ。

歓喜の歌

2020年12月20日 | リタイア日記


毎年年末になると第九を聴く機会が多くなる。
都会のコンサート・ホールでは大小にかかわらず
色んな会場で演奏されているようだ。
今年はコロナ禍で少し事情が違うかもしれないが。
ベートーベンがこの交響曲第九番を作曲したのは
19世紀という時代である。
合唱付きというのはこの時代にはほとんど無かった
くらい珍しい交響曲であった。
シラーの詩に曲をつけたとされる「歓喜の歌」には
Freude(フロイデ)という言葉が繰り返し出てくる。
意味が知りたかったので学生時代に使ったドイツ語
の辞書を久しぶりに開いてみた。
話はそれるが、この辞書はドイツ語を聴講した時、
教授が辞書をこれから買う人は同学社版の辞書を
買うようにという指示をしていた。
単位を落としたくなかったので、私は教授の言う
ことを素直に聞いてその辞書を買い求めたものである。
久しぶりにその辞書を開くと、かび臭いにおいが漂ってくる。
Frede(フロイデ)とは喜び、うれしさ、歓喜などと
いう意味であった。
喜びや歓喜というものは、そうどこにでもあるもの
ではない。
苦労して頑張ったのちに味わうことができるものなのだ。
今年はコロナ禍で苦しい時を過ごさねばならなかった。
だが、苦しみの後には必ず喜びがやってくるのである。
と、信じたい。ベートーベンの歌にあるように。

クリスマスの思い出

2020年12月14日 | リタイア日記


土曜日は恒例の公民館英語の日だった。
コロナ禍のなか出席者は少ない。
十二月はクリスマスの季節なので例年のように今年も
クリスマスにまつわる話題に話が集中する。
今年は「クリスマスの思い出」というテーマで語って
もらうことにした。
一人一話ずつ、なるべく英語で、無理な人は日本語
まじりでも良いことを条件にした。

病院で働いているNさんは、ご主人を亡くされ、お子さん
は成長して家を離れている。
毎年この時期になると職場からクリスマス・ケーキを
贈られる。家に持って帰るが一人身なので食べきれません
という話であった。

ケーキの話が出たついでにSさんも続ける。
彼女は小学生のお孫さんがいるのだが、今の子らは
学校の給食でケーキとチキンが出されるのだという。
我々の子供の頃はミカンが一個ついたくらいの質素な
ものだった。
時代ですね、とみんななうなずいていた。

最後に自分のことになるが、私は定年退職後に就いた第二の
職場である学習塾に十三年間勤めていた。
塾の社長というか経営者から毎年クリスマスの時期になると
我々講師の一人一人にケーキが送られるというのが恒例に
なっていた。
家に持って帰って開けると中にカードが入っていて「お疲れ
さまです。日頃生徒の指導に~云々」とねぎらいと感謝の言葉が
記されていたものだった。
十二月というのははまさに冬季講習の真っ最中で多忙な日々であった。
あの頃のケーキの味がなつかしいこの頃である。

大切にしたい思い出

2020年12月09日 | リタイア日記


ブロ友さんの投稿に心を動かされた。
それは38年前に我が子を出産したときの思い出である。
今と違って出産は必ずしも家族に(夫に)温かく見守られてするとは
限らなかったようである。
同時代の人生を歩んできた私には良くわかる。たとえ男性でも。
彼女はその時、孤独感と不安に包まれ、しかしながら、助産院のスタッフの
方の温かい言葉に見守られて無事に赤ちゃんを出産されたのである。
飾り気のない言葉でつづられたその当時のそれは思い出というより
真実のみで記された記録である。
かけられた言葉は「可愛い女のお子さんですよ。頭をなでてあげて
くださいね」だった。
たったそれだけの言葉だが孤独と不安でいっぱいだった彼女をどれだけ
勇気づけ元気を与えてくれたことか。想像するに難くない。
時代が変われば人情も変わる。
だがいつまでも変わってほしくないのは人の心の温もり・暖かさであろうか。