その人は古今亭志ん生です。
志ん生の落語をCDで聴いていると、それは確かに面白い。
けど、ときどき、何を言っているのか、何をしゃべって
いるのかが聴き取れないことがあります。
古い録音電源だから仕方がないと思いますが、
江戸っ子の話し方を現代人が果たしてどれくらい理解
できるのかという疑問が残ります。いわゆる「べらんめえ」
調というやつですな。
たとえば、「猫の皿」という演題の噺があります。
これが録音されたのは昭和35年12月とされている。
客席に向かって語りかけるようにしゃべりますがマクラ
といわれる前振りがじつに長い。全体の半分がそうです。
話してる本人は気が付いてないのかも知れないが、途中で
眠くなったしまっているように思われる語調の話しぶりです。
いろんなエピソードが数えきれないくらいたくさんあり
ますが、私が一番好きなのは志ん生が酒飲みだったこと。
評論家の矢野誠一氏によるとこうです。
「時間になっても姿を見せず、やっと登場したかと思うと
どうもひどく酔っている。お辞儀をしかける体がぐらりと
揺れ、「えー、ちょいっと事故がありましてナ」という
第一声に客席は笑いの渦になった」という。
また、ときには高座に酔って上がり、ひとことも発する
ことなく寝込んでしまったこともあるという。
それが志ん生なら許された。
時代も今と違っておおらかな時代だったんですね。
テレビ時代になったらもうそんなことは許されませんね。
日本中の人が見ているのですから。(笑)
志ん生の落語をCDで聴いていると、それは確かに面白い。
けど、ときどき、何を言っているのか、何をしゃべって
いるのかが聴き取れないことがあります。
古い録音電源だから仕方がないと思いますが、
江戸っ子の話し方を現代人が果たしてどれくらい理解
できるのかという疑問が残ります。いわゆる「べらんめえ」
調というやつですな。
たとえば、「猫の皿」という演題の噺があります。
これが録音されたのは昭和35年12月とされている。
客席に向かって語りかけるようにしゃべりますがマクラ
といわれる前振りがじつに長い。全体の半分がそうです。
話してる本人は気が付いてないのかも知れないが、途中で
眠くなったしまっているように思われる語調の話しぶりです。
いろんなエピソードが数えきれないくらいたくさんあり
ますが、私が一番好きなのは志ん生が酒飲みだったこと。
評論家の矢野誠一氏によるとこうです。
「時間になっても姿を見せず、やっと登場したかと思うと
どうもひどく酔っている。お辞儀をしかける体がぐらりと
揺れ、「えー、ちょいっと事故がありましてナ」という
第一声に客席は笑いの渦になった」という。
また、ときには高座に酔って上がり、ひとことも発する
ことなく寝込んでしまったこともあるという。
それが志ん生なら許された。
時代も今と違っておおらかな時代だったんですね。
テレビ時代になったらもうそんなことは許されませんね。
日本中の人が見ているのですから。(笑)