地味なひと。その名は紫はなな。俗にいう紫大根の花です。
朝のゴミ出しに行った帰りの道端に咲いていました。
なんとけなげ花なんだろう。
桜とくらべるには気の毒ですが、誰に見られるのでもなく
ただただ勝手に咲いているいるという感じ。
風に運ばれてどこかから飛んできた種が着地したところ、
そこに土があったので、まあ、とりあえず咲いてみました
みたいな。
時には子供にちぎられたり、心無い大人に踏みつけられたり
しながらもしっかりと生き残り、次の世代に命をつないで
いこうとしています。
FMラジヲの古楽の楽しみという番組で私の大好きな音楽の
先生、鈴木優人さんが或る日「桜草」という曲名のいわれを
話をしていたことがあります。
そこで先生は桜草の花言葉は「青春の喜びと悲しみ」と
言っておられました。
それを聞いてたしかにそれは桜草にはふさわしいなと思った
ものです。
桜といい、桜草といい、立派な名があり誰からも愛される
花がある。かと思えば、誰にも気づかれずにひっそりと道端
に咲くともなく咲いている花(というか雑草)もある。
桜草が「青春の喜びと悲しみ」なら
紫大根の花は「老人の寂しさと悲しみ」とでも言えそう。
耐えて咲く 紫はなな 吾が友よ
灯ともせば 傾く如し 甕の百合
佐藤紅緑