藤森神社を出て、伏見街道を北にむかいます
伏見街道は、秀吉によって開かれた街道で、京と伏見を結びます
深草あたりは直違橋街道とも呼ばれます
直違橋・・・読めますか
すじかいばしです
私は読めなかった

きょろきょろしながら歩いてると、第四橋という小さな橋がありました

橋というと、おとーさんは仕事柄、写真を撮らずにはいられないの
そしたら、なんとなんと・・・・

これは珍しい橋です
まんまるです
こういうのってほんま見たことないって
1873年(明治6年)竣工、長い間、交通量の多い道を、しっかり支えてきたんですね
ついでに、第三橋は東福寺の通天橋の下流、第一橋と第二橋は親柱しか残っていません
街道沿いには、古くからの町家が残っています
ここが街道として栄えたことがわかります


もう少し北に歩くと、聖母女学院

この建物は、もともと日本陸軍の第16師団司令部庁舎でした
竣工は明治40年、京都の近代洋風建築のひとつです
このあたりの京都教育大、国立京都病院、青少年科学センターなど、みんな軍の施設の跡地に建ってます
さて、ここから、伏見街道を右(東)に曲がって進みます

伏見街道は、秀吉によって開かれた街道で、京と伏見を結びます
深草あたりは直違橋街道とも呼ばれます
直違橋・・・読めますか

すじかいばしです
私は読めなかった


きょろきょろしながら歩いてると、第四橋という小さな橋がありました

橋というと、おとーさんは仕事柄、写真を撮らずにはいられないの

そしたら、なんとなんと・・・・

これは珍しい橋です

まんまるです

こういうのってほんま見たことないって

1873年(明治6年)竣工、長い間、交通量の多い道を、しっかり支えてきたんですね
ついでに、第三橋は東福寺の通天橋の下流、第一橋と第二橋は親柱しか残っていません
街道沿いには、古くからの町家が残っています
ここが街道として栄えたことがわかります


もう少し北に歩くと、聖母女学院

この建物は、もともと日本陸軍の第16師団司令部庁舎でした
竣工は明治40年、京都の近代洋風建築のひとつです
このあたりの京都教育大、国立京都病院、青少年科学センターなど、みんな軍の施設の跡地に建ってます
さて、ここから、伏見街道を右(東)に曲がって進みます

