横浜から北海道の山村に移り住んだ、我が家のつぶやき

北海道追分に移り住み5年。今度は追分から恵庭へ。毎日が新鮮で愉しい事だらけ。そんな生活を気まぐれにおしゃべりしています。

銭湯で思うこと

2013年09月10日 13時56分41秒 | 

風呂がない我が家は車で7分程の温泉施設を利用しているが、ここでもまた愉しく面白い出来事が満載なんだ。

上から脱ぐ人、下から脱ぐ人、

脱いだものをさっささっさロッカーに入れる人、たたんで入れる人、

前を隠す人、隠さない人

洗い場で桶や椅子を洗ってから使う人、洗わずに使う人、

そのまま湯船に入る人、洗ってから入る人、

シャワーを勢いよく出し四方八方飛ばす人、気を遣って出す人、

出る時、

桶と椅子を洗い定位置に置く人、桶や椅子があちっこっちに置かれそのまま出る人

湯上がり、裸のまま鏡の前でお顔の手入れ、髪の手入れをする人、バスタオルをまとう人、下着の人、洋服を着てからの人。

ほんと様々だな~

はっ!と目をひくスタイル抜群の女性には滅多に出会わず、

ウエストはどこに?って方には常に出会い、

重力の恐ろしさに改めて気がつかされる。

下に~~~下に~~~~

年を重ねる度に、落ちていくもんなんだ。

「人の振り見て我が振り直せ」

「人こそ人の鏡」

我がウエストは・・・・

まだあった・・・・・

時々出会う人なんだけど、

その人はお湯から上がると真っ裸のまま鏡の前に立ち、まずお顔の手入れをして、終わるとそのまま椅子に座りドライヤーで髪を乾かし、終わると再び鏡に前に立ちしばらくジッと鏡に映る自分を眺めているんだよね。

拒食症かのような骨ばかりのガリガリの身体で初めて見たときは正直ビックリした。

洋服を着て化粧をして出ていく姿は明るく、30代後半~40代初めって感じなんだ。

中には椅子ひとつでは足りないような方もいるし、

洋服を脱ぐと色々見えてくる。

ちなみに私はさっささっさと脱ぎ、

桶と椅子を石鹸で洗い、

簡単に洗ったら一度湯船に浸かり、

すべて終わったら再び桶と椅子を洗って定位置に置き、出る。

体重を測り、

OK!と、ひとり頷き、

さっささっさと洋服を着て、ドライヤーを掛け、さようならだ。

ここモール湯に入るともう自宅にお風呂はいらないや。

 

 

 

 


中国人

2013年04月06日 23時52分02秒 | 

中国人との交流があるのですね。
正直、私の中国人に対するイメージは悪いです。一面しか知らずマスコミの影響で決め付けてはいけないとは思いながらも道徳的に私の感覚とは違うような気がします。私がどれほどの人間かと思わないわけではありません。
でも理解できない反日行動がとても不快です。私の考え方おかしいでしょうか?
真知子さんに教えていただきたいです。

こんなコメントをいただいた。

留学生と接するようになり、私なりに中国を勉強してきた。

日本の26倍の領土、人口は日本の10倍以上の13億人。

広大の土地には多種多様の民族文化があり、食事、言葉、習慣が全く異なる地域から成り立っている。

農村部と都市部では生まれたときから歴然としたギャップがあり貧富の差が大きい。

日本に留学してきた学生は皆都市部出身でその中でも恵まれている家庭がほとんどだ。親は医者、公務員、自営業、ひとりっ子政策を打ち出しているにも関わらず、兄弟姉妹のいる留学生も沢山いる。罰金を払える環境な訳だ。

反日行動に関しても、学生たちは、“デモに参加してしているのはほとんどが教育を受けていない農村部のひとたちです。とっても恥ずかしいことです。今、ネットを通じて止める様呼びかけています。”と答えている。

自国に都合の悪い情報はカットされ正しい情報を知らされない。(これは大なり小なりどこの国でもあるんじゃないかな)

満足な教育を受けられない、満足な指導がされない農民工は昔ながらの手法で農作物を作り、食を脅かす。親から子供へ貧困の連鎖作用。

留学生と積極的に会話をし、本当の中国を少しでも理解したいと思っている。

て言うか、中国人だからと言うのが私の中にほとんどないんだ。

電車で異国の人に出会えば“こんにわ!”と挨拶し、町の中でも出会えば言葉を交わし、路上ライブでもあろうものならのりのりで異国の人とダンスも踊る。

異国の人じゃなくとも、ブルーシートで生活している方とも一緒に飲んだり、その瞬間を感じるままに行動しちゃんだな~

好きで農民工の子供になった訳じゃない。

好きで貧乏人の子供になった訳じゃない。

好きで路上暮らしをしたんじゃない。

それぞれ、人生の訳があるんだもん。

だからって、暴徒になっていい訳はないけどね。

報道すべてがその人じゃないから。

日常生活の中でえっ!って思ったときはすぐ言っているけど、日本人の中にもひどい人はいるよね。

ゴミを平気でポイポイ投げ捨て、不法投棄は後を絶たず。

雪解けの北海道、雪で隠されたゴミが次から次へ姿を現す。

見てなければポイ。

わからなければポイ。

家族までポイと捨てる。

困ったもんだ。

知人の留学生は私を家族だと言う。

家族意識、家族愛が強い。

“まちこはもう60になったんだから働かないでゆっくりしてもいいんじゃないですか?”

高い教育知識を母国の発展に貢献してほしいと願う。

私はその人なりを見たいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


中国留学生来日

2013年04月03日 06時38分47秒 | 

“マチコ、オネガイガアリマス。”

知人の中国留学生から電話が入った。

“明日、中国から後輩の留学生が夜9時半に千歳に着くんですが、そのお世話係りになって、布団を自分が預かっています。それを車で運んでほしいのですが。”

と言う内容だった。

中国留学生が店にやってきたのは去年の今頃だった。

次から次へ留学生が訪れ、その中の数人の留学生と交流を持つようになった。

初めて見る桜におおはしょぎし、食事をしたり、旅行に行ったり、スポーツをしたり、家族のような付き合いになった。

ほとんどが訪日が初めての留学生達。流暢な日本語とまではいかないが、日常会話ならOKだ。(全部が全部ではないけどね)

口々に“日本は物価は高すぎです。マチコの店に出会って本当に良かった。僕達は助かりますが、何でこんなに安くするんですか?おかしいです。これじゃ儲かりません。”

う~~~もっとも。

それから一年、先輩として後輩の面倒をみるようになった。

今回は9人、3箇所のアパートに分散。

いい部屋もあれば、えっ!ここに住むの?ていう部屋もある。

自国ではそれなりの生活をしていただろう、まだまだ寒い北海道の何もないガランとしたアパートに昨晩は布団にくるまって寝たんだね。

これから始まる日本での生活。

中国の大学を卒業してきたり、一年の交換留学生だったり、中国の大学を留年して来日したり、大学を卒業して社会人となりお金を貯めて来日したりと環境は違うが、

“中国では大学を卒業しただけではいい仕事につけません。それ以上の学歴が必要なのです。”

皆が通う恵庭の大学。

交流を持つ留学生の一人はレベルが低すぎます。と退学し、退学と同時に就学ビザが切れるため今は帰国し、10月に再度来日、北大大学院に入学が決まっている。

どの留学生もよく勉強をしている。

日本文学、ことわざ、四文字熟語、百人一首を そらんじる学生。

日本語で冗談を言う学生。

どの学生もバイトをしながら頑張っている。

短い日本での学生生活、出来る事は応援したいと思っているんだ。

留学生同志で固まらず、積極的に日本人に関わって欲しい。

来月は北海道の桜が花開く。

ジンギスカンを食べながらお花見をしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 


恵庭松恵小学校

2013年01月02日 15時02分46秒 | 

班の集まりが元旦、行われた。

14世帯、半分は農家、半分は我が家のように古い農家に住む方だという。

初めての顔合わせ。

近くの松恵小学校教頭、校長の宿舎があるので同じ班とのことで今回は色々話を聞くことが出来た。

松恵小学校は我が家から徒歩10分足らず、昭和46年開校、現在児童総数88名、その内、特認児童72名という小規模特別認定入学指定校。

「心身の健康増進を図り、体力づくりを目指すとともに、自然にふれる中で、豊かな人間性を培い、明るく伸び伸びとした特色ある教育を希望する保護者がいる場合、一定の条件を付してこれを認め、保護者が真に小規模校の有する特色ある活動の中で児童に教育を受けさせたいという場合に限定されるものであり、保護者の希望によって就学すべき学校の変更を認めるものではない。」それが小規模特別認定入学指定校だ。(恵庭市全域)

各学年定数18名。

私の時は各クラス40名以上で、各学年が12クラスのマンモス校だった記憶がある。

中学校もそうだし、それが当たり前だと思っていた。

クラス定員が18名、なんて贅沢なんだろう。

児童は幸せだなあ~

学校全体が家族だね。

教諭の平均年齢40代、教育レベルは高いと言う。

敷地内に600坪の畑を持ち、野菜作り、花作りなどの体験活動を実践している。

18名が学ぶ教室、どんな感じなんだろう。

“どうぞいつでも案内しますよ。”

校長からの言葉。

嬉しいなあ~

是非、見学したい。

入学する子供がいるわけではないけど、なんか面白そう。

ここで学ぶ子供達の飛びっきりの笑顔を見たいな。

ちなみに、

校長は背が高く、なかなかおしゃれな57歳。

教頭はちらっとだけど、これまたいい男ぶり。

評価A。

 

松恵小学校

 

 

 



 

 

 


仲間

2012年04月02日 01時30分27秒 | 

仲間から、こんな素敵なコメントをもらっちゃった。

読みながら泣きそうになった。

H13年桜咲く頃横浜ほうゆう病院に転勤
産声上げたばかりの病院の中で
輝いてた・真知子さん・
そ知らぬふりして・絶大な努力を・
そ知らぬふりして・あふれる愛を・
へいっちゃらで ・プレゼントしまくり・
爽やかな風、活気がみなぎってました。
赤ちゃん病院の中で大活躍した真知子さん
楽しかった!有難う!(全職員代表清田) 

患者さんの笑顔が見たくて、スタッフの笑顔が見たくて、私の頭の中はいつも動いていた。

楽しい事、嬉しい事を企画するのが好きだった。

許可が出なければ自分のお金を使って。

この仲間はいつも見ていてくれた。

率直なアドバイス、優しい気遣い、思いやり、沢山沢山助けられた。

泣きたいとき、さしげなく側にいてくれた。

遊びたい時はいつも付き合ってくれた。

物知りで、おしゃれで、都会の匂いがプンプンする素敵な女性。

ふつつかな私によくお付き合いしていただき、心から感謝です。

横浜に行った際は是非またお付き合い下さい。

身体をいたわって、今を愉しんでね。

 

 

 


今の自分に感謝

2012年02月19日 08時29分38秒 | 

お店をやって思う事は、沢山の人が色々な思いを抱えて生きているってこと。

癌を抱えて、

特定疾患の難病を抱えて、

多重人格の娘さんを抱えて、

もう直らない疾患を抱えて、

会いたくても会えない子供さんとの想いを抱えて、

奥様と別れ幼い子供を育て上げたおとうさんの切実な想い、

老年になって死に別れた切ない思いを抱えて、

お話を伺っていると涙が落ちそうになる。

私の抱える想いなんてなんてちっぽけなんだろう。

五体満足で今生きていること。

健康で生きているって事。

これって最高なんだよ。

感謝しなくちゃいけないな。

ちょっとお金が足りない。

ちょっと旦那が気にくわない。

ちょっと女房が気にくわない。

どうしても気にくわなかったら、どうしても無理だと思ったら別れればいい。

それも早い内にね。

自分が自分の事を一番知っているはずだ。

今これをしたければするがいい。

あんまり色々、ない頭で考えてもだめだよ。

自分ではわかっているんだよ。

今、自分がどうしようかと。

私はわかっているよ。

今の仕事。

時に逃げ出したくなる。

好きな本を読めない。

好きな映画も観れない。

料理もゆっくり出来ない、

部屋も散らかっている。

う~~~~~ってしてる。

だけど・・・

素敵な方たちと出会っている。

それってすごい事だよね。

自分にとって何が大事で、何を優先するか。

気づいたらすぐに動いた方がいいよ。

なんだかチンプンカンプンになっちゃった。

ちょっと飲んでいるせいかな。

今晩は、ひとり店泊まり。

静かだよ。

こんな時間っていいかも。

いつもひとりじゃきついけど、

たまにはひとりがいいよ。

ちょっと飲み足りなくて外に出たけど、

ネオンはない。

寝るしかないな~

おやすみなさい。

健康で生きてる自分に感謝です。

 

 

 

 

 


笑顔の裏には・・・・

2012年02月14日 02時11分10秒 | 

恵庭で出会った素敵な女性。

お酒の話になったら、“大~好き!”  “私も大~好き!”

ご招待をうけ、彼女の家におじゃまする。

玄関外には大きなつぼに赤い実をつけた曲線の枝が活けられ、広い玄関ロビーには柔らかい光と可愛い手作りの雛人形が出迎えてくれる。

廊下を抜け、暖かい大きな部屋と大きなテーブル。

チーズホォンテの用意と手毬寿し、わらびのおひたしなどなどとワイングラス、ビールグラスが置かれ、準備をする彼女は着物姿。

う~~素敵!

彼女はいつも素敵な笑顔と穏やかなゆったりとした空気が漂っている方だった。

きっと素敵なご主人と豊かな暮らしをされているんだろうな~って思っていた。

違っていた。

ご主人は7年前、55歳で胃癌で亡くなわれていたのだった。

そしてまた彼女も悲しみが癒えないままに4年前に悪性リンパ腫を発症。

抗癌剤治療で髪の毛は抜け落ち、大変な時期を過ごしてきた。

同席していたもう一人の方も3年前に奥様を同様に癌で亡されている。

定期的に検査をしながら経過をみている彼女。

どうぞ、再発がおきないことを心から願うばかり。

いかに生きるか、

いかに愉しく生きるか、

みな同じ想いで話が弾む。

“アトリエを見て” 通された場所は別棟の囲炉裏のある素敵な部屋だった。

そこにはご主人が焼かれた陶器の数々が置かれ、ここはご主人と彼女が一番好きな場所だった。

ここで人を迎え、焼き物を作り、お茶を点て、愉しいおしゃべりに興じる。

涙がこぼれる。

彼女のお宅は見事なまでに、隅々までバランスのとれた部屋作りをされている。

心地よい時間が流れていく。

時間はあっという間に過ぎ、お別れの時間。

またいつかおしゃべりできる日を楽しみに。

どうぞ彼女をお守り下さい。

 

 

 

 

 


感謝

2011年11月03日 00時26分59秒 | 

  

知人、友人が開店に花を添えてくださった。

心から感謝です。

開店前日、自分の仕事を終えてから駆けつけ、11時近くまで手伝ってくれたり、、

“どう? 大丈夫?”と電話をくれ、

“だめ、まだまだ”と返答すると、すぐに駆けつけて同じく11時まで手伝ってくれたり、

どんなに心強かったことか。

ほんとにほんとにありがとう!

その気持ちに応えるよ。

今、頑張っているからね。


人それぞれ

2011年07月29日 23時44分38秒 | 

種のブリーダーをやっている知人が遊びに来た。

50代独身、80歳代の両親と同居。

お母さんは要介護なのだが他人からの世話を嫌い、食事、洗濯、炊事、すべて彼氏がやっている。

最近痩せが目立ち病院を受診したところ、総蛋白値が低下しているが他の検査項目は異常がなかったと。

総蛋白低下か~~

栄養不足。

ろくろく食べていなかったんだね。

“最近は薬だと思って食事を飲み込んでいる”だって。

仕事をしながら両親の介護、家事全般。

頭が下がる。

でも自分の健康が害されてはなんにもならない。

ホーム入所や入院はお金が掛かるし、満足いく介護を受けられないと以前入所したホームへの不信感を持っている。

メロンの出来を見てもらった後、畑で収穫箱に座りしばしおしゃべり。

お茶菓子は畑のすいかとメロン。

そして爽やかな風と真っ青な空。

3時間はおしゃべりしていたかな~

彼氏が来ると、その日の予定はすべてキャンセル。

“そろそろ失礼します”っと言うまでお付き合い。

家の事、仕事の事、身体の事、様々の思いを抱えている。

種の育成に関してはプロ。

今日も沢山勉強させてもらった。

それにしても暑かった・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


戦場カメラマン渡部陽一さん、追分に来る。

2011年07月27日 14時28分39秒 | 

「戦場に見る命と愛と絆」と称した、渡部陽一さんの講演会が近くの公民館で開催された。

満席になるかと思っていたが意外と空席が目立つ。

満場の拍手で迎えられ、渡部陽一さん登場。

テレビ画面そのまま、自己紹介が始まると笑いがおきる。

手振り身振り、右や左、下や上、ステージ上をところ狭しと動き回わり、汗を掛き掛き、水を飲み飲み、写真を説明しながら90分熱演。

笑顔で来られ、笑顔で帰えられた。

感想は?

う~~~~~ん、

途中眠気が襲ってきた。

講演を聞くというより、何かひとり芝居の演劇を観てるかのようだった。

ひとりでしゃべってひとりで終わって。

飽きさせないようにとの演出だったかもしれないが、

聞く側の視点をもう少し大事にして欲しかったなあ~って思った。

ちなみに、

英語が苦手だった渡部さん、

ゴースト・トップガン・フラッシュダンスのスクリーンプレーでマスターしたとの事。

戦場での子供達の負傷した写真には涙が落ちた。

世界各国で止まぬ紛争。

犠牲になる子供達。

子供たちの笑顔がなによりだ。

 

 

 


じ~ちゃんがいない?

2011年06月24日 22時05分58秒 | 

夕方、険しい顔をしたば~ちゃんがやってきた。

「まちこさんいる?」

「どうしたの?」

「困った。じ~ちゃんがいないんだよ。」

「じ~ちゃん、4年前に死んだでしょう。」

「私が代わってあげればよかった。じ~ちゃん可哀相に。」

 

こういう時は、黙って聞いているのが一番。

しばらくして、じゃ帰るわ。」

おにぎりを持って帰っていった。

夜8時半、またまた険しい顔でやってきた。

「まちこさんいる? どうしよう。」

「まあ~上がれば」

何かぶつぶつ言っているけど知らん顔。

お茶と白玉入りのお汁粉を出したら、ニコニコ顔に変わっている。

「昔銀座で働いていた時、近所にお汁粉屋さんがあって、そこと同じ味だわ。美味しい~!」

昔話を始めたら、何しに我が家に来たか忘れてる。

「朝早いの?」

「百姓だもん、4時半起きだよ。」

「早いね~」

「そうだよ、もう寝る時間なんだから、ばば、帰ってよ。」

「そうだね。何時だかわかんなくて」

「太陽が昇れば起きればいい、太陽が高くなったら昼寝して、太陽が沈んだら寝ればいい。」

「そうだ、じゃ帰るわ。ありがとうね。」

近いとは言え、真っ暗な夜道。

車で送っていく。

「じゃ~ね。お休み」

手を振って見送るば~ば。

一件落着。

明日用に、お汁粉用意しておこ~っと。

 

 

 

 

 


子育てと仕事

2011年02月02日 22時47分55秒 | 

前の職場で一緒だった知人から電話があった。

なかなか子供が出来ず、今のうちにしっかり稼いでと頑張って仕事を始めた矢先、半ばあきらめていた子供が出来、皆から祝福をうけるが、つわりや体調不良で仕事が休みがちになっていた。それでもなんとか仕事を続け出産。仕事を続けるために入園の申請もして、産休明けには仕事復帰を思っていたのだが、“リストラ”を宣告。

失業保険申請。今月から支給される予定。

家賃59000円、夫の給料は少ないときは20万以下、多いときは26万とばらつきがある。

“お金が無くなってきてとっても不安、仕事を探しているだけど、なかなか思うような仕事がなくて・・・”

彼女は看護師としてのキャリアが薄いので、ついつい選択肢を狭くしまっている。

“咲はね~”っと自分の名前を言いながら話す彼女。

それはないよ。小学生じゃないんだから。

それはおかしいよと言った事があるけど、直らない。

社会人としての自覚不足だよ。

穏やかでおっとりした性格はとっても魅力なんだけど、大きな病院でバリバリ働くタイプじゃないな。

でも、もうちょっとキャリアを磨いて欲しいと思う。

咲ちゃん、積極的に学ぶ事は面白いよ。

仕事を覚えていくと、自信にもつながるし、仕事の選択肢も広がる。

1歳って一番可愛い頃だよね。

家庭と仕事を上手に両立していければいいのだが、そこが難しいんだよね。

咲ちゃんにとって、何を優先させるべきかよく考え、仕事を選びなね。

フレーフレー咲ちゃん!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 


かくれんぼ

2011年01月29日 22時46分27秒 | 

600m程のところに住む、認知症のば~ちゃん。

毎日食事を作って持って行くのだが、このところ食べた後の容器がない。

あっちこっち探すが見当たらない。

〝ば~ちゃん、どこにしまった?〟

〝どこもやんないはずだけど、ねずみが持ってたかな~〟

見っけ!

ストーブを置いている台の下で発見。

〝ば~ちゃんあったよ〟

〝どこにあった?〟

〝なんでこんな所に置いたんだろうね。あら、まだ入っている。別の入れ物に移そうか?〟

〝いつのだかわかんないから、捨てよう〟

〝そうかい、もったいない事をしたね。〟

レンジがあっても使わないので、ストーブの側で冷めないようにしていたんだね。

〝いつもありとうね〟と車が発進するまで見送ってくれるば~ちゃん、

今度はすぐ見つけられるよ。

 

 

 

 

 

 


漁師 かめちゃん

2011年01月21日 21時29分46秒 | 

「たまに顔を出して。」と何度か電話を頂いていた苫小牧の漁師のかめちゃん。

久しぶりにお邪魔する。

12月から3月までは北寄貝漁で、朝2時から船に乗り込み、冷たい海で3時間程漁をするという。

おん年75歳、下ネタ好きの面白かめちゃん。

日曜日は漁が休みなので、毎週土曜日は飲みに出かけることをもう何年も続けている。

「私も連れてって!」

「お~いいぞ、その時は旦那おいて来いよ。飲まない旦那が側にいたら面白くないもんな」

行く行くって言っていながら、なかなか実現しない。

今年こそは絶対、かめちゃんと飲みに出かけるぞ~!

かめちゃんのこだわりビールはスーパードライ。

「やっぱ、スーパードライだよね」

「あ~最高だ!」

「何本でも飲んで行け~」

 

雪の少ない苫小牧。

楽しかった。

行くからね~!