横浜から北海道の山村に移り住んだ、我が家のつぶやき

北海道追分に移り住み5年。今度は追分から恵庭へ。毎日が新鮮で愉しい事だらけ。そんな生活を気まぐれにおしゃべりしています。

じじの介護。

2012年07月13日 00時41分06秒 | 家族

荷物の整理をしていたら、2007年に亡くなった義父の介護日記が出てきた。

「上顎洞黒肉腫」

癌センターに一度は手術予定で入院するが、3日目朝早く、医者から、退院するからと言って、何度説得しても聞き入られず、ご家族の方から説得してくださいと電話がある。

急いで来院し説得するが、無理だった。

て言うか、説得は止めた。私が家で看ると決めた。

家に連れて帰り、毎日点滴をするがすぐ洩れてしまい、メロン作りに専念出来ない。

地元の病院だったら入院してもいいと言うので気が変わらぬ内に即、受診、入院。

それから10日後、また医者から“当院での治療困難”と強制退院を申し受け、自宅介護が始まった。

入院8日目の日記、

午後より家に帰るときかず、廊下に出て、出入り口を探し歩き廻る。廊下に置いてある他患者さんのサークルを蹴っとばしたり、医療機器の上に乗り動こうとせず、Dr、Nsとともに車椅子にのせ、ソセゴン1AIM、病室に戻る。5分位でウツラウツラ始め、興奮は収まり眠る。

9日目、

夜間電話なく、ホッとしていたが、早めに来院するとシーツ汚染ひどく、包交ガーゼは取れ、夜間大変だった様子が伺える。昨日までなかった徘徊アラームマットが置かれており、夜勤Nsより昨夜はベットから降り、おぼつかない足取りで廊下を歩いていたと聞かされる。

10日目、

“夜間ベットより転落、廊下徘徊による転倒の危険性大きく、病院での治療困難”と入院を断られる。

早速、行政に連絡、介護保険の区分変更申請を依頼。介護ベットの搬入後、17時、我が家に連れて帰る。

アルツハイマーのば~ちゃんも一緒だ。

19時、ピストンにて眠剤PO、OK!

夜間2度覚醒、痰がらみ↑、scしたいが・・・・

自宅介護2日目、

10時覚醒、排泄介助、Hr(+)。清拭、口腔ケアー施行。出血(-)、臭気↑

P82、BP132/78、温度18度、湿度60%

自宅介護3日目、

昼、うどん一口、粥2口、車椅子に座り食卓について自己摂取。驚き!

夕、ほうれんそうのお浸し、粥、たまごとじ、オレンジジュース、お茶、すべてを少量ながら自己摂取。嬉しいよ~

(病院から連れて来た時、口腔内は乾燥、痰が多量に付着し、汚染が著明だった)

ババ入浴、眠剤1TP・O、20時就寝。(ばばのお相手も疲れるんだな~)

6日目、ばばは家が心配だからと自宅に戻る。

一週間目、じじはさかんに“帰りたい”と言うようになる。“どこに?”と問うと、“内地に帰るのでお金を貸して欲しい”と言う。

故郷への念が強し。30代前半、埼玉から開拓民として北海道に来てから今まで、内地に帰ることはなく、望郷への思いがつのるのであろう。

自宅介護10日目、

義姉が内地に帰りたいと言うじじに、“明日帰ろう”とその場しのぎの返答をしっかり覚えていたじじは落ち着かなくなった。

ばばがいなくなったじじは一層帰宅への思い強く、春日(じじの自宅)に帰ることになった。

それからはまた、病院から点滴をもらい私が自宅で施行する生活が始まるが、12月19日、大きくなった肉腫が咽頭を塞ぎ、呼吸停止となり、救急車で搬送.そのまま帰らぬ人となった。

自宅に戻ったじじは、ババと久しぶりに2人だけの時間を過ごし、穏やかな表情をしていた。

開拓民として悲惨な生活を越え、夫婦ふたりだけで土地を開墾していったじじとばば。

今はババひとり、一週間に6日、ディーサービスに通っている。目立ったアルツハイマーの症状はなく、穏やかな毎日を過ごしている。

じじにはいい体験をさせてもらった。

ありがとう!