横浜から北海道の山村に移り住んだ、我が家のつぶやき

北海道追分に移り住み5年。今度は追分から恵庭へ。毎日が新鮮で愉しい事だらけ。そんな生活を気まぐれにおしゃべりしています。

生きるとは

2019年02月06日 15時00分24秒 | 仕事

施設入所が決まるまでお泊りをすることになったYさん。

パーキンソンを発症しており、小刻み歩行で尿失禁、介護度が高い。

食事は全介助と申し送りがあった。

手は麻痺している訳ではないし、衣服の着脱時はご自分でやろうとしている。

充分手は動く。

なのに全介助?

もったいないな~

これだけ動くんだから。

おにぎりを作ってみた。

お皿にのったおにぎりを見て、“かわいいな。”とにっこり。

手を出し、口元に運んでいる。

小さなおにぎり2個はYさんのお腹にパクリと消えた。

じゃおかずもと、お皿のお肉もパクリとお腹に。

やった~!

翌朝の申し送り、

“家族から介助をしてほしいと言われています。”

“おにぎりはともかく、おかずを手づかみさせるのはダメだと思います。”

“前のところではスプーンを使っていました。”

う~~~~~

ちょっと意義を申し立てたが、彼女とは平行線だと話を打ち切り、

夜勤明けの真知子はカラオケで思いを発散。

次の夜勤。

今度はスプーンにおかずをのせてみると、やや難ありも口元に持ってゆきお腹にパクリ。

では今度は箸。

なんの問題もなく食べている。

なんで全介助だったの?

彼女にメールを送った。

パーキンソンで固縮しておくのを見ているのは忍びない。

少しでも残っている機能をと考えてしまう。

介護の人間として残存機能を活かす方法を目標として提供すべきでは。

出来ることをやらなければどんどん機能は低下していく。

私はこれからも、

人が楽しく、人らしく生きて事にこだわって仕事をしていきたいと思っています。

彼女の返事は、

「参考にさせてもらいます。」

車椅子のYさん、座布団もなくそのまま座っている。

薄っぺらい車椅子のシートに長時間座ることの辛さ。

椅子に座ってもらった。

椅子に座り、箸を使って自分で食事をするYさんがいる。

さ~て次は夜の失禁。

臥床時、尿意があるとオムツを下ろし、ジャ~。

掛物も着衣も・・・・・。

まあ~ずっとそうしてきた訳だし、気持ちはわかるんだけど・・・

今日の夜勤。

どうしてみよう。

 

 

 

 


モコとの別れ。

2019年02月06日 14時41分21秒 | 家族

モコが食べなくなり動けなくなってからは、家事を早々に済ませずっと抱っこをしていた。

夜はいつものように横で寝て、

ひとりにさせたくなかった。

夜勤明け、迎えの夫に“モコ逝ったでしょ?”

“うん”

車中、涙がとまらない。

なんでこんなこぼれるんだろう。

最後のお別れは出来なかった。

 

抱っこをしていると、

温かい?

私の手だった。

ふ~ふ~息をしている?

私の息づかいだった。

やっぱり逝ったんだ。

 

火葬が8日まで空いてないと言う。

帯地で骨入れを作った。

モコの母親さくらが逝ってから3年。

今度はさくらとゆっくりしてね。

 

 


モコ逝く

2019年02月06日 14時22分53秒 | 家族

立春の雨降る朝、モコ逝く。

3月31日、20歳の誕生日を待たず享年19歳、天寿を全う。

 

食べなくなり、水も容易に飲めなくなった。

全く動かない状態の中で、夜中、ウォ~ン、ウォ~ンと声を出すモコ。

よしよしお母さんはここにいるよ。

モコの頭を撫でながら朝を迎え、翌日はその声さえも聞かれず、意識がなく、静かに呼吸をしているだけのモコ。

3日目の朝7時、静かに逝った。

奇しくも立春。

良き日なり。