何年前に観てとっても印象的だった映画だ。
改めて筋書きを読んでみると、映画のひとコマひとコマが鮮明によみがえってくる。
精神科に勤務経験があるので、あの映画がチョッピリ当時の職場とだぶって観ていて記憶がある。
重たい映画だった。
人が人らしく生きる。
たとえ心に病を負っても、全人格は否定されるものではない。
笑いを忘れてしまった患者にとびっきりの笑顔を思い出させるが、最後は自分も笑うこともしゃべることも出来ない廃人同様な姿に。
チーフが重たい水飲み台を持ち上げ、窓を破り、去って行くラストシーン。
そして何事もなかったように、また笑いのない、秩序正しい入院生活を送る患者たち。
主人公のマクマーフィーは刑務所から逃れるために精神病院に(詐病によって)入院してきた。向精神薬を飲んだふりをしてごまかし、婦長の定めた病棟のルールに片っ端から反抗していく。グループセラピーなどやめてテレビでワールドシリーズを観たいと主張し、他の患者たちに多数決を取ったりなどする。最初は患者たちは決められた生活を望むが、マクマーフィーと共に生活をするうちに彼に賛同するようになる。
また他の患者と無断で外出し船に乗せて、マクマーフィーの女友達と共に海へ釣りへ行く。こうした反抗的な行動が管理主義的な婦長の逆鱗に触れ、彼女はマクマーフィーが病院から出ることができないようにしてしまう。
ある日患者が騒動を起こした際、止めようとしたマクマーフィーも一緒に、お仕置きである電気けいれん療法を受けさせられてしまう。マクマーフィーは、しゃべることの出来ないネイティブアメリカンであるチーフと共に順番を待っていたが、実際は彼がしゃべれないフリをしていることに気づき、一緒に病院から脱出しようと約束する。しかしチーフは、自分は小さな人間だとその誘いを断る。
クリスマスの夜、マクマーフィーは病棟に女友達を連れ込み、酒を持ち込んでどんちゃん騒ぎをやる。一騒ぎ終わった後別れようとするときになって、ビリーが女友達の一人を好いていることに気づく。ビリーはマクマーフィーに可愛がられていた。マクマーフィーは女友達に、ビリーとセックスをするよう頼み込み、二人は個室に入っていく。二人の行為が終わるのを待っている間、酒も廻り、ついに寝過ごしてしまう。翌朝、乱痴気騒ぎが発覚し、そのことを婦長からビリーは激しく糾弾され、そのショックでビリーは自殺してしまう。マクマーフィーは激昂し、彼女を絞殺しようとする。婦長を絞殺しようとしたマクマーフィーは他の入院患者と隔離される。
チーフはついに逃げ出す覚悟をしマクマーフィーを待っていたが、戻ってきたマクマーフィーは病院が行った治療(ロボトミー)によって、もはや言葉もしゃべれず、正常な思考もできない廃人のような姿になっていた。
チーフはマクマーフィーを窒息死させ、「持ち上げた者には奇跡が起きる」とマクマーフィーが言った水飲み台を持ち上げて窓を破り、精神病院を脱走していくところで映画は終わる。
なぜこの映画が「カッコウの巣の上で」なのか?
自分の巣を持たない「カッコウ」、
仮の巣で育つ「カッコウ」
病院は自分の巣ではない。
仮の巣だった病院のはず。
その巣を飛び立つ事はなく、飛び立ったのはチーフ。
死んだマクマーフィーの魂とともに・・・・