横浜から北海道に移り住んだ最初の場所は札幌。
横浜となんら変わりがない。
ちょっと歩けば、コンビニあり、カラオケあり、居酒屋あり、ちょっとバスに乗れば図書館に行けて、札幌駅までもすぐ。
生活するには便利な住宅街だった。
夫と夫の子供、大学4年生と29歳の息子同居。
次に安平町追分。
町の中心は、ぐるって見渡せばすべて見えそうな小さな町。
その小さな町の中心から少々離れた農村地域。
開拓時代に建てたブロックつくりの屋根裏住まい。
屋根裏といっても、一応三畳ほどの部屋になっており、ここで子供時代、夫は兄妹と過ごしたそうだ。
認知症の義母と義父と同居。
次に同じ敷地の倉庫屋根裏。
ここで初めて夫婦水入らずの生活が始まった。
ここはほんとの屋根裏。
ちょっと背を伸ばすとゴン。
テレビもない、水道もない、トイレもない。ないないずくし。
小さな窓からの光が時間を教えてくれる。
外に穴を掘って、用を足す。
水はもらい水。
次にそこからちょっと離れた、離農家の空き家。
幽霊屋敷みたいだったけれど、水道がある、お風呂がついている、トイレもある。
ここからが北海道暮らしの本格的始まりだ。
当たり前だと思っていた横浜の暮らし、札幌の暮らし。
なんにもないって、
特に困らなかったかな。
楽しくて、面白くて。
水がなければ貰いに行って、お風呂は車で走れば銭湯があるし、
洗濯は洗濯機を借り、
情報はラジオで聞き、
料理はごくごく簡単に。
でも、やっぱり、
自分たちの家が欲しかった。
幽霊屋敷は少しづつ生気が吹き込まれ、横浜で飼っていたワンコも飛行機に乗ってやってきた。
畑のメロンをむしゃむしゃ食べるアライグマの捕獲ゲージに入ってしまった猫さんも、いつの間にか同居。
その子供4匹も同居。
家族が増えていく。
認知症の義母は、「真知子さん居るかい?」と、雪が降っても、暑い日も歩いてやってくる。
最高な暮らしに変わっていった。
今暮らす恵庭。
ここも離農家の空き家だったところだが、追分とは雲泥の差がある都会的(?)な空き家。
普通の家。ちょっと掃除をすればすぐに暮らせた。
あまりに普通ではない家に長く暮らしてしまうと、普通の家がもの足りなくなってくる。
まあ、いろいろあったけれど、
居心地がいい住まいって、気兼ねのない、風通しのいい、相性がいい住まいだよね。
ここ恵庭が終の住処になるのかな。
※書いてから気づいた。
作り上げていくのが楽しかったんだ。面白かったんだ。