統合医療日記

ここでの統合医療とは単に西洋医学と東洋医学の統合ではなく、病気を肉体と精神と社会及び自然環境の4視点から見ていきます。

間寛平がやって来た!!最終章(1949年7月20日 生まれ、血液型AB)

2012-07-20 12:21:36 | 日記



間寛平御一行様、最初の日本でのゴールの温泉に到着



寛平様早速こちらが用意した足湯につかり「アマメ!アマメ!」の連発で上機嫌

2011年1月4日寛平、アマメ、アマメの連発早いもので1月4日に博多上陸後、寛平が5日の最初のゴール点である我が温泉に来て足湯をしてから1年半がたってしまった。しかし同年の東日本の大震災と原発事故で寛平の世界一周マラソンと「トイレの神様」の歌の話題はすっかりかき消されてしまった。私も最終章も書けずに今日を迎えましたが、今日は彼と私の誕生日7月20日と言う特別な日でもありこの章を終わらせたいと思います。

飲む温泉水はありますか?クリニックの外で足湯を終えた後、彼は私の家内に「ところでこの温泉水は飲む分はありますか?」と聞いた。私は仕事で現場にいませんでしたが、私はこのことを予想して温泉水をペットボトルに入れておくように話していました。この5号泉は前立腺がんの人が結構飲みに来ているので、彼に飲ませられたらと思いつつ家内に用意させておいたのです。





予定外の事ではあったが、取材の関係でクリニックの第2待合室を都合することになりました。早速サインやゴールを手伝った子供たちと記念撮影



かなり長時間取材や何かと色々あり寛平ちゃんは羊羹食べたりコーヒーを飲んだりしました。そして帰る時まで、あんのん芋が大好きらし周りのスタッフにも「この芋は美味しいんだぞ!みんな貰いなさいと言いながら、自分もポケットの中に芋を入れました。そしてかねて私が用意した温泉水の5号泉を左手に持ち、スタッフに「早く!」とせかされながらクリニックを後にしました。



足湯の作成やお茶菓子等々でお金もかかりましたが、後日番組のメンタイワイドからお礼に家内がもらったエプロンです。

有森裕子との対談?駐車場で足湯のみと番組から聞いていたので、彼がクリニックに入り込み結構長くいることになったのは意外でした。私はいませんでしたが、関係者を含めスタッフもみんな楽しく過ごしたようです。私が家内に指示した飲用の元気の出る温泉水も無事持って帰ったようで、日本での最初のゴールのすべての行事がおわりました。本当かどうかわかりませんが後日談ですが、温泉のお客がやってきてこう言いました。テレビで間寛平と有森裕子の対談があって、有森裕子が「毎日フルマラソン以上に走って疲れるでしょうという」と言うと寛平ちゃんが「それは疲れますよ!でも、日本に帰り温泉で足湯した次の日は何故か少しも疲れませんでした」と言ったそうです。私はこの話を聞いて十分満足しました。5号線を飲んだからと私は思ったのです。



寛平劇のあった第二待合室

同じ誕生日、同じ年、同じ血液型私が昼弁当をいつも食べている席で1949年7月20日生まれで血液型ABで、私とすべてが全く同じ人間が座ったという寄寓も因縁を感じます。縁があったら今度は会えるかもしれません。私も彼も今日で63になりましたが、地球一周を走るということが還暦を過ぎてできるということはみんなに勇気と力を与えるものです。これでこのシリーズはやっと終わりです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする