「今度の土曜日、山に行かないか」
「ドンブリアン流星群かい」
「まだ寒くないから寝袋だけ持っていこう
ベンチに寝転んで流星はちょうど真上だ」
「久しぶりにシトロエンでドライブだねえ
でもあの2CVで坂道登れるのかい」
コメット倶楽部の楠山は毎年車を買い替える
ミニ、ワーゲン、ルノーサンク、シトロエン
詳しい車種はわからないがまるで車のカタログだ
「シトロエンは登りは遅いけど
下りはスポーツカーなみなんだぜ
魔法瓶にコメット特製コーヒーを入れて持っていくよ」
「じゃあ僕はハッセルブラッドの望遠レンズ
でも持っていくか」
そんなわけで僕らの天体観測は始まった
「ドンブリアン流星群かい」
「まだ寒くないから寝袋だけ持っていこう
ベンチに寝転んで流星はちょうど真上だ」
「久しぶりにシトロエンでドライブだねえ
でもあの2CVで坂道登れるのかい」
コメット倶楽部の楠山は毎年車を買い替える
ミニ、ワーゲン、ルノーサンク、シトロエン
詳しい車種はわからないがまるで車のカタログだ
「シトロエンは登りは遅いけど
下りはスポーツカーなみなんだぜ
魔法瓶にコメット特製コーヒーを入れて持っていくよ」
「じゃあ僕はハッセルブラッドの望遠レンズ
でも持っていくか」
そんなわけで僕らの天体観測は始まった
「としこぉ、わしは、ずんだ餅が食いたいんや
今すぐ買うてこい」
「そやかて、おとうちゃん、ずんだ餅て
どこに売ってんのん」
「お菓子やさんや」
「買うてくるさかい、お金ちょうだい」
「金なんかあるかい、うちは貧乏なんや
とにかく、ずんだ餅や」
今すぐ買うてこい」
「そやかて、おとうちゃん、ずんだ餅て
どこに売ってんのん」
「お菓子やさんや」
「買うてくるさかい、お金ちょうだい」
「金なんかあるかい、うちは貧乏なんや
とにかく、ずんだ餅や」
自分というのは最小ユニットであるが
どこまでが自分の輪郭であるかは定かでない
風呂に12時間くらい入って皮膚がゼラチン化してくると
どこまでが自分でどこからがお湯かわからなくなるし
歯科で麻酔を打たれると
どこまでが自分の顔かわからなくなる
眠りにつくと
どこまでが夢でどこからが外の闇かわからなくなる
というか、そういうことを考えて
どないするねん
そういうことが哲学とか
学問になってるとすればどこか間違っている
そんな暇があるなら
ニンジンを植えたり、サンマを捕ったりするほうが
よっぽど有意義な気がする
といいながら
考え込む台風通過後の秋の夜長である
どこまでが自分の輪郭であるかは定かでない
風呂に12時間くらい入って皮膚がゼラチン化してくると
どこまでが自分でどこからがお湯かわからなくなるし
歯科で麻酔を打たれると
どこまでが自分の顔かわからなくなる
眠りにつくと
どこまでが夢でどこからが外の闇かわからなくなる
というか、そういうことを考えて
どないするねん
そういうことが哲学とか
学問になってるとすればどこか間違っている
そんな暇があるなら
ニンジンを植えたり、サンマを捕ったりするほうが
よっぽど有意義な気がする
といいながら
考え込む台風通過後の秋の夜長である
明石コートダジュールに荷物を運ぶ
さすがに歩いては行けないので電車で行くことにする
輪行袋(自転車を分解して入れる袋)に荷物を詰め込む
外からみると人間が二つ折りにされて入っているように見える
これで夜中持ち運ぶと職務質問されること間違いなし
うーむ
「中身は人間ではありません」
と紙でも貼っておくか
よけいに目立つか
さすがに歩いては行けないので電車で行くことにする
輪行袋(自転車を分解して入れる袋)に荷物を詰め込む
外からみると人間が二つ折りにされて入っているように見える
これで夜中持ち運ぶと職務質問されること間違いなし
うーむ
「中身は人間ではありません」
と紙でも貼っておくか
よけいに目立つか
明石コートダジュール計画 その1
丘の上にある南向きで海と淡路島が見える部屋を借りることにする
窓を開ければ、潮の香りのする風が吹き、海面の乱反射が見える
ラベンダー咲き乱れるバルコニーでクロワッサンとカフェオレで
シルブプレーと言いながら遅めの朝食をとる
という計画である
丘の上にある南向きで海と淡路島が見える部屋を借りることにする
窓を開ければ、潮の香りのする風が吹き、海面の乱反射が見える
ラベンダー咲き乱れるバルコニーでクロワッサンとカフェオレで
シルブプレーと言いながら遅めの朝食をとる
という計画である
哲学とか重要なテーマとかいうより
たぶん生きるための単位をどこで区切ってるかだけの
非常に単純なことだと思う
もし宇宙空間に一人で浮かんでいれば
「全宇宙が自分」
だろうし
村人全員が穴の中で固まって暮らしていれば
「穴全体が自分」
だろうし
生きるために便利な最小ユニットのことを
「自分」
と意識してるのだろう
それがなぜかといわれても
生きるためにそう設計されている
としか言いいようがない
無線LANかなにかで全人類の脳を
共有すれば
たぶん、そのうち自分と他人の区別は
つかなくなるに違いない
たぶん生きるための単位をどこで区切ってるかだけの
非常に単純なことだと思う
もし宇宙空間に一人で浮かんでいれば
「全宇宙が自分」
だろうし
村人全員が穴の中で固まって暮らしていれば
「穴全体が自分」
だろうし
生きるために便利な最小ユニットのことを
「自分」
と意識してるのだろう
それがなぜかといわれても
生きるためにそう設計されている
としか言いいようがない
無線LANかなにかで全人類の脳を
共有すれば
たぶん、そのうち自分と他人の区別は
つかなくなるに違いない