スコタイ:パパイヤ
南国の果物は実際、どのように実っているのか良く知らないが、
これはパパイヤらしく、幹から直接、実が付いている。
青いパパイヤはソムタムというサラダ?に入っていて野菜のようでおいしい。
1個盗んで帰ろうと思ったが、民家の庭先なのでやめておいた。
南国の果物は実際、どのように実っているのか良く知らないが、
これはパパイヤらしく、幹から直接、実が付いている。
青いパパイヤはソムタムというサラダ?に入っていて野菜のようでおいしい。
1個盗んで帰ろうと思ったが、民家の庭先なのでやめておいた。
帰って来たヨッパライ
自分の音楽的ルーツはここにあるのかと思う(歳がバレるがな)
音楽的ルーツちゅうか基本的に音楽にはあまり興味無かったかも。
音楽そのものより、やってることが「B級で新しい」事に反応してしまうようだ。
このグループの音楽的中心となっていたのが加藤和彦で、後にサディスティックミカバンドを結成するが、名曲「タイムマシンにお願い」は今でも新鮮だ。
帰って来たヨッパライはテクノポップの元祖かもしれない
テープの早回しがおもしろいのは誰でも感じていたが、それでオリジナル曲を作ってしまうところがすごい。今ならデジタルで簡単に音程も変えられるけれど、当時はテープの回転数を変えるしかなかったのだ。
歌詞的には「よっぱらい運転」の部分とか今の時代では放送禁止かもしれない。
自分の音楽的ルーツはここにあるのかと思う(歳がバレるがな)
音楽的ルーツちゅうか基本的に音楽にはあまり興味無かったかも。
音楽そのものより、やってることが「B級で新しい」事に反応してしまうようだ。
このグループの音楽的中心となっていたのが加藤和彦で、後にサディスティックミカバンドを結成するが、名曲「タイムマシンにお願い」は今でも新鮮だ。
帰って来たヨッパライはテクノポップの元祖かもしれない
テープの早回しがおもしろいのは誰でも感じていたが、それでオリジナル曲を作ってしまうところがすごい。今ならデジタルで簡単に音程も変えられるけれど、当時はテープの回転数を変えるしかなかったのだ。
歌詞的には「よっぱらい運転」の部分とか今の時代では放送禁止かもしれない。
もし私が戻れないとしても、あの、鉄郎と過ごした日々は確かに自分の中にあるんだ。
戻れないということは、私がそれだけ未来に向かって進んでいる証拠。
もし私にあの頃と変わらない、しなやかな心が残っていれば大丈夫だろう。
いつか晴れた日にあの河内長野の丘から未来を見てみよう。
鉄郎を乗せた銀河鉄道が今どこを走っているのかが見えるかもしれない。
人は誰でも、時間が経つと、自分がどこに向かっていたのか忘れるけれど、銀河鉄道の見えない軌道はいつも自分の前に続いている。
戻れないということは、私がそれだけ未来に向かって進んでいる証拠。
もし私にあの頃と変わらない、しなやかな心が残っていれば大丈夫だろう。
いつか晴れた日にあの河内長野の丘から未来を見てみよう。
鉄郎を乗せた銀河鉄道が今どこを走っているのかが見えるかもしれない。
人は誰でも、時間が経つと、自分がどこに向かっていたのか忘れるけれど、銀河鉄道の見えない軌道はいつも自分の前に続いている。
YMOの名曲「君に胸キュン」を土岐麻子さんが何種類?か歌ってるが、中田ヤスタカRIMIXって、これはPERFUMEのプロデューサーか?
見だすと止まらなくなるので、見るのを避けていたが
しかし、ユーチューブって何でもそろってるんですね
一日24時間、映像を見る時間は限りがあるので、将来は従来型のテレビを見る人はどんどん減ってくるのだろうか。(番組内容によるが)
土岐麻子さんの生活感の無い歌い方がステキです。
バート・バカラック
バート・バカラックの曲も古さを感じさせない。新しさ、古さ、とは何かというと難しいが、時間が経ってからそれを見たり聞いたりして恥ずかしさに「赤面」しないかどうかかもしれない。
その時の流行だけを見て作った作品はあっというまに古臭くなってしまうような気がする。その作者が強く思っている想いは、おそらく時代や人を超えて共通性を持っているので、いつでも新鮮なのだろう。
ムーグ・シンセサイザー
テクノ初期の頃よく使われていたムーグシンセサイザー。
1970年頃登場したようだ、その後はパソコンの高性能化とともに変化し、この画像のシンセサイザー以上の性能のものは今のパソコンに1チップで入ってるわけで、おそろしいことである。
テクノ初期の頃よく使われていたムーグシンセサイザー。
1970年頃登場したようだ、その後はパソコンの高性能化とともに変化し、この画像のシンセサイザー以上の性能のものは今のパソコンに1チップで入ってるわけで、おそろしいことである。
テクノといえばクラフトワークであるが、ドイツというお国がら、カタすぎというか、曲がヒットするには面白みが無さすぎた。
その後のYMOは最初の発想は同じでも、ヒットする要素十分で、同じ才能・アイデアでもマーケティングや販売戦略で売れ行きが全く違うということだろう。
売れ行きだけ気にして物作りするのもさびしいが、作ったものが全くヒットせずに貧乏なのはもっとさびしい。
その後のYMOは最初の発想は同じでも、ヒットする要素十分で、同じ才能・アイデアでもマーケティングや販売戦略で売れ行きが全く違うということだろう。
売れ行きだけ気にして物作りするのもさびしいが、作ったものが全くヒットせずに貧乏なのはもっとさびしい。