河童アオミドロの断捨離世界図鑑

ザスドラス博士の弟子の河童アオミドロの格安貧困魂救済ブログ。

ホウネンエビとメダカ

2016年10月30日 | 極楽(地獄)物語
増えすぎた水草を捨てるため用の水槽を見たらホウネンエビとメダカの稚魚だらけになっていたので、室内に移した。
このままいくと来年の春にはまたメダカ池の増設が必要になるが40リットルのプラ舟を2個置いたら100kg近くなるので、ベランダの床が抜けると思う。

かしわ餅はドルイドの供物だた

2016年10月29日 | 極楽(地獄)物語
ドイツの鉄十字の中に描かれているかしわ餅とお寺の記号。

キリスト教及び仏教以前のヨーロッパ民族はそのほとんどがドルイド教徒であった。
彼らはオークの樹を神聖な生命体として崇め、その木に寄生するヤドリギもまた重要な信仰の対象となった。
オークの葉で包んだあんころ餅が供物として最重要であったのは言うまでもない。

ローマ帝国がその勢力を増していく過程において、それまであらゆる分野において影響のあったドルイド教を駆逐する必要があり、
そのための仮想宗教としてのキリスト教が誕生した。象徴としての仮想存在イエスもその時に同時に誕生した。
しかしキリスト教も古代宗教の呪縛から逃れることはできず、その教義の狭間に異教のシンボルを忍ばせたままになった。
その最も代表的な象徴が「ガーゴイル」と「かしわ餅」である。

ナチスドイツにおいても例外ではなく、その結果、十字の紋章にかしわ餅とお寺の記号というハイブリッドなものになったのである。
当時ジャポネスク文化が流行しつつあったヨーロッパで、日本からの希少な輸入品であったかしわ餅とお寺文化は、人々の目に先進的なものに映ったことは間違いない。

こういう文章は慣れてないので書くのが難しい。
なるべく漢字を多くして回りくどく理屈っぽく学術知識最高みたいなウィキペディアのように書けばもっともらしく書けるのであろう。

結局、世界の歴史も自分の人生も、科学理論さえも、すべてはきっと誰かの妄想で描かれたフィクションなのだろう。
フィクションを現実と感じられる能力さえあれば人生は最後まで楽に過ごせるのである。


ハロウィン流行はザビエルの仕組んだ陰謀だった

2016年10月27日 | 極楽(地獄)物語
日本の習慣とは何の関係も無いハロウィンがなぜ流行するのか。
それにはフランシスコ・ザビエル抜きでは語ることができない。

写真左側は長崎キリシタンの墓、右はアイルランドキリシタンの墓である。
両者は似ているのである。それは、長崎は仏教徒をよそおった隠れキリシタンであり、
アイルランドはキリスト教徒をよそおった隠れドルイド教なのである。

アイルランドのドルイド信者であるケルト民族のルーツはスペイン等の大陸のバスク民族に遡る。
日本に布教に来たザビエルはなんとバスク民族であったのである。つまり、隠れドルイド教徒として、
カトリック信者のふりをして日本に来たのである。
隠れキリシタンとは隠れドルイド信者のキリスト教徒の仏教徒なのである。なので、魔界転生など、
隠れキリシタンとドルイド教徒の共通点は非常に多い。

ザビエルはカッパの格好を真似て日本人の深層心理にドルイド思想を植え付けた。
それはキリスト教の世界観とは全く異質なものであり、妖怪や魔物を肯定するものであったのだ。
アイルランドやイギリス北部から日本への直接的なハロウィンの習慣の伝播は無かったが、
ここへきて米国東海岸のアイルランド、スコットランド系勢力の側から日本に一気にハロウィンが伝わったのである。
それにはザビエルが仕組んでおいた深層意識へのドルイド教の下地が大きな力を与えたのである。

なお、ザビエルはポルトガルから来て日本でカッパになったという説は間違いで、
日本に生息していたカッパがポルトガルに行ってザビエルと名乗ったというのが正しい歴史だという解釈があるらしい。



サライの像(右側)

2016年10月27日 | 極楽(地獄)物語
写真を撮った時には気づかなかったが、右側の像がダビンチの弟子サライの像らしい。
確かにプレートには「Andrea Salaino」と書かれている。
中央にダビンチの像があり周囲に4人居るので、有名な弟子が4人居たということか。

死ぬ前の最後に「最後の晩餐」を見て晩御飯を食べて死んでおこうと思っていたが、死ぬ前の貧乏ヨレヨレ状態では旅行に行けないし、
しかしちょっと早く見すぎたので老後の楽しみが無くなったかもしれない。
絵がどうこうというより、その場所に行くことに意味があるのかもしれん。

次は死ぬ前にガンジス川を見ておくべきだろうか。
ただの汚い川のような予感もするが・・・

洗礼者ヨハネ(模写) 闇の左手

2016年10月26日 | 極楽(地獄)物語
ダビンチの「洗礼者ヨハネ」のモデルとなったのは、
弟子であった「サライ」と呼ばれる、ジャン・ジャコモ・カプロッティであったといわれる。
ダビンチには美少年好きの怪しいおっさんの側面もあったようで、天才の闇の部分として好感?が持てる。
普通以上の能力を発揮する人は普通では無い感性を持っているのかもしれず、それが創造の原動力になってるのかもしれない。
スローライフと言いながらスローでは無い人生になってる元女優さんとか、そういうのもしんどいし、
波風立たせずに普通に生きるほうが、自分も周囲も無難で楽なのかもしれん。
普通とはどんなんやと言われるとうまく定義できないが・・・

最後の晩餐(復元図?)

2016年10月26日 | 極楽(地獄)物語
個人的にダビンチブームなので、ダビンチ関係の写真をアップ。
というか、引きこもりでブログのネタが無くなった。
私はダビンチの転生なので、冥土の土産に「最後の晩餐」を見ておこうと、以前、無謀にもミラノに行ってしまった。
本物の最後の晩餐の絵は撮影禁止なので復元図らしきものを撮影しておいた。

追記
この「最後の晩餐」は1628年に描かれたジョバンニ・マウロ・デラ・ロベレという人の作品らしい。

ソーメンの秘密

2016年10月24日 | 極楽(地獄)物語
先日、フリーソーメンに入団したら、ソーメンが送られてきた。
ハロウィンの日にはストーン・ヘンジで、流しソーメンの儀式が開かれる。
なぜ、こんなに無意味に細い麺を作ったのであろうか。
それは、3世紀頃、エジプトよりフリーメーソンが渡来した時に遡る。
当時の同時通訳者が「フリーメーソン」を「流しそうめん」と誤訳したのだ。
それ以来、メーソンの団員達は、全国に離散し、各地で秘密裏にソーメンが作られることとなった。
「こんなに無駄に細い麺が作れます」というのが石工としての優秀なメーソンである証だったのだ。
ソーメンの名産地を調べてみるとわかるが、そこには古代ドルイド教の流れが地下水脈のように流れているのだ。
その流れを現したものが、すなわち「流しそうめん」なのである。