何年間も苦行を続けてミイラのようになったブッダ師にミルク粥を差し出すスジャータ嬢。
苦行仲間からは、若い女性からおいしい食べ物をもらうなんてけしからん。と見放されたブッダ師はこの後にブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開くことになります。
つまり「悟りなんてどうでもええねん」と悟った時に悟りの境地が訪れるのではないでしょうか。生きてる事を忘れるほど、我を忘れるほど一生懸命になっている時こそが本当に生きている時間ともいえるので、すべての生命は初めから悟った状態で解放された魂なのです。それに疑問を持ってしまった人間が宗教という精神安定剤を作り出してしまったのかもしれません。
ブッダガヤはガヤガヤした町ですが、橋を渡ってスジャータ村に入ると、のどかな農村風景が広がっていました。
濃霧で飛行機が欠航になり、1日暇になったので、ホテルのオーナーの知り合いのガイドさんがバイクでスジャータ村を案内してくれました。
写真を撮りまくっていると「私の仏教の歴史についての解説をちゃんと聞け」と日本語の上手なガイドさんから説教されました。
仏教とジャイナ教はヒンズー教の後の出来た新しい宗教だそうです。
(インド ブッダガヤ 2020年1月)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます