川端康成の学生時代の恋文発見!
「こいぶみ」っていう響きが良いな。
今朝はこのニュースの触発され、さっそく
「非常」はじめ、破局連作を読みながら出勤した。
ぐいぐい引き込まれる面白さだ。
自分の性格の卑屈さを露呈するようだが、
人の失恋の話って、おもしろいのよね。
今年は川端さん生誕115年。(誕生日は6月14日)
90年以上も前の手紙が今見つかったことは
何を意味するのだろう。
川端文学の研究に新しい展開があるのかも。
以下、産経webの記事です。
--------転載ここから-------
ノーベル賞作家の川端康成(1899~1972年)が暮らした神奈川県鎌倉市の自宅から、
初恋の相手とされる伊藤初代(1906~51年)と交わした書簡計11通が見つかったことが8日、分かった。
相手への思いを綿々とつづった文面は若者の純愛を伝え、川端作品の背景を実証する貴重な資料となる。
11通のうち10通は初代から川端宛て。1通は川端が初代宛てに書いた未投函(とうかん)の手紙だった。
初代は東京・本郷のカフェで働いていたが、岐阜県の寺の養女となった。
大正10年、22歳の川端と15歳の初代は婚約。しかし初代は「ある非常」を理由に約束を破棄する。
「何も手につかない」「夜も眠れない」
川端による未投函の手紙は約700字。初代からの返事が遅れていることについて
「恋しくつて恋しくつて、早く会はないと僕は何も手につかない」
「本当に病気ぢやないのかと思ふと夜も眠れない」と切実な思いを記した。
書いた時期は不明だが、文面から10年10月下旬以降とみられる。
一方、初代が手紙を書いたのは同年9月から11月にかけて。
10月下旬までは「私の様な物を愛して下さいますのは私にとってほんとうに幸福なことです」とつづるなど、
信頼と愛情で結ばれた関係を示していた。
だが11月初旬に届いた手紙は、初代が一方的に別れを告げるものだった。
結婚の約束を果たせないのは「ある非常」のためであり、
それを話すくらいなら「死だほうがどんなに幸福でせう」とする激しい内容。
川端は13年に発表した短編「非常」でこの手紙をほぼそのまま再現しており、
体験に基づいて作品を書いたことが裏付けられた。
11月下旬の最後の手紙で初代は川端への不信感と恨みをつづり、別れは決定的となった。
手紙の一部は16日から岡山県立美術館で始まる「巨匠の眼 川端康成と東山魁夷」で展示される。
--------転載ここまで-------
「こいぶみ」っていう響きが良いな。
今朝はこのニュースの触発され、さっそく
「非常」はじめ、破局連作を読みながら出勤した。
ぐいぐい引き込まれる面白さだ。
自分の性格の卑屈さを露呈するようだが、
人の失恋の話って、おもしろいのよね。
今年は川端さん生誕115年。(誕生日は6月14日)
90年以上も前の手紙が今見つかったことは
何を意味するのだろう。
川端文学の研究に新しい展開があるのかも。
以下、産経webの記事です。
--------転載ここから-------
ノーベル賞作家の川端康成(1899~1972年)が暮らした神奈川県鎌倉市の自宅から、
初恋の相手とされる伊藤初代(1906~51年)と交わした書簡計11通が見つかったことが8日、分かった。
相手への思いを綿々とつづった文面は若者の純愛を伝え、川端作品の背景を実証する貴重な資料となる。
11通のうち10通は初代から川端宛て。1通は川端が初代宛てに書いた未投函(とうかん)の手紙だった。
初代は東京・本郷のカフェで働いていたが、岐阜県の寺の養女となった。
大正10年、22歳の川端と15歳の初代は婚約。しかし初代は「ある非常」を理由に約束を破棄する。
「何も手につかない」「夜も眠れない」
川端による未投函の手紙は約700字。初代からの返事が遅れていることについて
「恋しくつて恋しくつて、早く会はないと僕は何も手につかない」
「本当に病気ぢやないのかと思ふと夜も眠れない」と切実な思いを記した。
書いた時期は不明だが、文面から10年10月下旬以降とみられる。
一方、初代が手紙を書いたのは同年9月から11月にかけて。
10月下旬までは「私の様な物を愛して下さいますのは私にとってほんとうに幸福なことです」とつづるなど、
信頼と愛情で結ばれた関係を示していた。
だが11月初旬に届いた手紙は、初代が一方的に別れを告げるものだった。
結婚の約束を果たせないのは「ある非常」のためであり、
それを話すくらいなら「死だほうがどんなに幸福でせう」とする激しい内容。
川端は13年に発表した短編「非常」でこの手紙をほぼそのまま再現しており、
体験に基づいて作品を書いたことが裏付けられた。
11月下旬の最後の手紙で初代は川端への不信感と恨みをつづり、別れは決定的となった。
手紙の一部は16日から岡山県立美術館で始まる「巨匠の眼 川端康成と東山魁夷」で展示される。
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