二鶴工芸です。
日曜日に京都経済センターのこけら落とし事業で開催中のThe KIMONO Styled&Restyled ファッションとしてのきもの1300年に行ってきました。
「昭和初期に復元された奈良時代から江戸時代までの染織衣装を中心に、明治から昭和時代の衣装も含めた、約1300年に亘る日本の染織衣装の変遷をスタイリングの観点から概観すると共に、未来のきもののスタイリングについて考える機会を提供する」という特別展覧会です。
私の目当ては復元されたものとは言え、縫箔(ぬいはく)・摺箔(すりはく)の着物です。
撮影可能とわかっていましたが、カメラを持って行くのを忘れてしまいました(>_<)
スマホで撮りましたが、イマイチ(>_<)
絞りや刺繍・摺箔のみで加工された着物です。
この時代(安土・桃山)は友禅はまだ誕生していなかったのです。
金彩は歴史的には友禅よりも古く、このことは意外と知られていないのです。
金彩という名称も昭和になって使われたもので、それまでの業界では印金(いんきん)と呼んでいました。
明治以降、京友禅の工程のひとつになっています。
江戸時代の奢侈禁止令等で廃れていき、明治時代に復活、昭和の時代に劇的に進化します。
この展示されている摺箔の着物(打掛・下着)は上層階級の方が着用されていたものです。
当方の工房でも金彩(後に刺繍をプラス)のみの着物や帯を加工依頼する得意先があります。
私も金彩のみで制作した帯や着物も作品として制作しています。
知らない方から見れば珍しがられますが、歴史的にみれば存在して当然のものです。
ちなみにですが摺箔というのは型紙等を用いて紋様を金箔で施す技術です。
ルーツは中国に修行していた学問僧が持ち帰った金箔が施された袈裟だったようです。
日本ではその技術を印金(いんきん)と称しました。
その後この印金の裂は日本に輸入され、名物裂として茶人にも珍重されました。
印金は織物に金箔を施す技術ですが、染織だけでなく茶道・及び表装関係にも影響を与えました。
染織ではこの印金を元に摺箔として宗教的なパターン紋様から絵紋様へと日本独自に進化していったわけです。
昭和になり接着剤+箔の開発で摺箔以外に様々な加工技術・表現方法が多様になり、印金という定義に納まらなくなりました。
そういう意味では印金という名称を金彩としたのは先達の血のにじむような努力の結果ですm(__)m
まわりくどくなりましたが、そういうルーツを再度確認した展覧会でした。