二鶴工芸です。
平成回顧録最終回です。
色々やりすぎてキリが無いので、このあたりで最後にします。
画像は染帯 菱です。
純金箔の濃淡で表現したもの。
京都府が称号を授与している「京もの認定工芸士」を取得した時の作品です。
京都府が初年、記念すべき第1回目の募集の時は落ちました(>_<)
翌年の2回目はどんな作品を制作したらよいか様子を見て。
京都府さんからは受けませんか!!と連絡がありましたが断り、翌年3回目で何とか受かりました。
現在、認定工芸士はなんと151名にもなりました。
また京もの認定工芸士会「響」の立ち上げのメンバーにもなり、人生どう展開するかわからないものです。
そもそも人付き合いが苦手で、そういう意味で職人仕事であれば・・・という安易な感じでこの世界に入ったのですが。
それが現在では人前でトークイベントや実演等もやることに。
全く真逆な展開!!
私は体育会系育ちで、学生の頃はセンスのある天才みたいなやつが努力している姿を見て、並の私が普通の努力をしていては肩も並べられないことを身を持って感じていました。
これはどんな世界でも同じで高校を卒業して工房に入った時も。
先輩さんに付いていくのに必死。
独立した後も難しい仕事を依頼されることが多く。
今思えば背伸びをすることで成長できたかなと思っています。
ちょっとの背伸びが成長につながると実感しました。
そういう感じで過ごした平成時代でした。
ということで最後はかっこよく平成回顧録を締めます!!^_^;
令和という時代は自分にとっては人生の次のステージを迎える時代になりそうです。
色んな意味で今以上にタフにならないとしんどいだろうな・・・。
二鶴工芸です。
平成回顧録8
ガラス皿 月に波です。
2012年に開催された「京もの工芸品 京都オークション」に出品した作品です。
ガラス皿はこの作品の数年前から展開していましたが、出品のために別注で扇型を依頼しました。
この後、扇型はレギュラーになっていきました。
プラチナ箔・純金箔・螺鈿・胡粉で加工。
今思えば著名な工芸作家さんはじめ、そうそうたる顔ぶれで選考がよく通ったなと思っています。
落札はされましたが、金彩工芸がほとんど認知されていないことに落胆。
このイベントをきっかけに、こうなったら遠慮なくやってやろうと思いオリジナル作品の出品の機会を増やしていきました。
もっと金彩を知ってもらわないといけないと思ったわけです。
そんな転機になる作品でした。
二鶴工芸です。
過日に記載しましたヴィンテージの素材を使って加工した生地はガラスプレートとして仕上がってきました。
11cmとそんなに大きいものではありません。
ガラス加工すると全体的に明るく仕上がりました。
でも想定内に仕上がったと思ます。
野毛も角度を変えると見えます。
二鶴工芸です。
現在在庫が1点のみですが、本革製道中財布はこちらよりご購入いただけます。
https://huduru.stores.jp/items/5b31a749ef843f60600003a9
http://huduru.thebase.in/items/11993379
二鶴工芸です。
平成の回顧録7
2006年度京都デザイン優品に認定された「金彩刺繍デニムショルダーバッグ」です。
これを機にバッグ・財布等の事業を「をかし」という商標もとり、数年ですが首都圏に進出しました。
二鶴工芸です。
過日に記載した鎌輪奴(かまわぬ)の柄と同じ次期に展開していた柄です。
漢文です。
15年以上前くらいですか、当時和柄もそうですが漢字もちょっとしたブームで。
文字をプリントした生地もお店で数多く販売していましたね。
これも久しぶりに使ってみようと思います。
当時流行ったFOSSILの漢字の腕時計を持ってたな~
色々シリーズがあったと思います。
私は文字盤の中央に秒数の漢字がデジタルで点滅するものでした。
二鶴工芸です。
平成の回顧録6
独立した当初からデパートの催事出展の方向も決まっていたので、店のシンボル的なマークが必要だと思い自分で考えました。
二鶴(ふづる)、向かい合った二羽の鶴。
両親が京都府南丹市美山町の鶴ヶ丘出身ということで父親が独立した時に屋号を考えました。
二鶴を「ふづる」というむずかしい読み方をなぜしたのかは、父のセンスなので^_^;
おかげでまともに読んでいただいたことはほとんどありません。
でも今となってはそれはそれで良かったと思っています。
画像は出展していた当初のタペストリーです。