新学期が始まり怒濤の一週間でした。
なぜこんなに忙しいのかわからなくなってしまいましたが、、とにかくとにかく週末までやっと漕ぎ着けました!よかった〜❣️
さて、新しいこと、知らなかったことを発見をした時の驚きって信じられないくらい刺激的ですよね。いくつか思い出してみました。
話は高校時代に遡ります。私が初めて外国人と話したのは高校二年生のときでした。キリスト教会の宣教師の人が英会話教室のビラ配りをしていたアメリカ人でした。高校のクラスではみんながめちゃくちゃ盛り上がっていました。
友だち3人と「ガイジン見に行こう!」と誘い合って、お試しのクラスに参加しました。
外人の家に招かれ、ケーキと紅茶をいただきました。
夢のような空間でした。これが、アメリカのホームというものか、、憧れる、、
大学の時、私はグアム島に行きました。
ホームステイしたアメリカ人の家族が
「誰もいないビーチに行ってバーベキューをしよう!」と私を連れてジャングルの中に入って行きました。
小さな崖を下りると、そこに戦車の残骸がありました。
たくさんのヤシガニが戦車のそばにいました。人がそばに行っても逃げたりしませんでした。
戦車は日本軍のものでした。
戦車を通り越して、ジャングルを抜けると、そこには青く澄んだ海がどこまでも広がっていました。
戦争を最初に身近に感じ「見た」日でした。
大学を卒業してアメリカに行きました。
アメリカ人の友だちが空港に車で迎えに来てくれました。ところが走っているうちに車は貧民街に入ってしまったようです。
「ここは見せたくなかった」と友人は言いましたが、私にはその意味がよくわかりませんでした。
実際、私は驚いていました。
貧しい人たちは私の家より大きな家に住み、車を持っていました。
仕事で以前、「神々の嶺 エベレスト」の麓、チベットに行きました。
そこは本当に美しいところです。写真通りです。
感動しました。
仏教を信じているチベット人の目は穏やかで静か、そしてはにかみ屋の人が多かったです。
しかし、30年も前、チベットを歩くと山々は美しすぎるのに街の中は私にとっての異臭でいっぱいでした。
チベットの人たちは一生でお風呂に3回しか入らないのです。
生まれた時、結婚する時、死んだ時です。
チベットの人を差別するわけではありませんが、
彼らの発する臭いには、本当に苦しめられました。
ただ、彼らにとっては、それは文化だと言えるでしょう。そこは日本のスタンダードで比べても意味がないのです。
山々の写真はチベットの臭いまで伝えることができなかったのです。
シルクロードの遺跡は素晴らしいものです。
シルクロードは絹の来た道とも呼ばれてますが、実は「仏の来た道」でもあります。
たくさんの仏教の遺跡が砂漠の中に埋もれています。
19世紀になり、ヨーロッパから探検隊がやってきて、シルクロードの遺跡を自分の国に持ち帰りました。
持ち帰れないものは破壊して帰りました。
なぜなら、持って帰ったものに希少価値が生まれるからです。
ある遺跡の説明には、イギリス、ドイツ、フランス、アメリカ、日本の探検隊がやってきて
遺跡を「略奪」していった、と書いてありました。
しかし、京都の博物館で見たシルクロードの「玉(宝石)」や「壁画」にはシルクロードから◯◯探検隊が「招来」した、と書かれていました。
略奪か招来か、、、
物の見方は色々あります。
いいとか悪いとか、好きとか嫌いとか、二者択一ではとても語れませんよね。
社会は私たちが考えるより、ずっとずっと多面的です。
違うからと言って拒否してしまうのではなく、柔軟な心で、それぞれの違いを楽しんでいきたいものですね。