こだわりの一品です。
銀座7丁目の「ちゃぼうず」のコース料理の中のエビの鉄板焼きです。
板長さんの自信のお皿だと思います。
エビは「活きエビ」でした。
話は変わりますが、
今日はプライドについて、考えてみたいと思います。
私にも「プライド」があります。
何のプライドかな、、、?
多分、「一生懸命仕事をしてきた」ということでしょうか。
プライドは「自尊心」に似ているところがあります。
自尊心=確たる自分を持ち、自分自身を大切に出来る心のこと、だと言われています。
「プライドが高い」時期もありました。
やっぱり「高い」とか「〜過ぎる」って考えものですね。
仕事に自信がついてきた30代〜40代の事です。
「自分はできる」なんて誤解してしまいました。
当時、下っ端の管理職でしたが、
「思いっきり痛い目」に遭いました。
そこで学んだのは
人は職場では「地位」や「職位」についてくる、ということです。
決して私の「個」についてきてくれたのではないのです。
人間性のある上司なら、その人と一緒に働くのが嬉しくなり、生産性も上がるでしょう。
管理職になると誤解しがちです。
私も人間性に相当欠けていました。
ある先生が言いました。
「吉本さん、なんでそんなに突っ張っているのよ。
相手がそうやりたいって言っているんだから、やらせてあげたらいいじゃないの。
そこまでこだわる必要がある?」
再就職後、うまく職場になじめず10ヶ月で職場を去った人がいました。
辞める時、誰も止めませんでした。
とても「プライドの高い人」でした。
プライドは必要です。
でも「高い」必要はないのだと思いました。
愉快で物事にこだわらず
なんとなくヘラへらしているようにさえ見えた長年のママ友が
実は息子の大学の先生だったと聞いたときは驚きました
専門の話になった時の冴えは
ちょっと近寄りがたく、そのときにバレてしまったのですが。
私はあなた方と同じレベルで付き合うような人間ではないのよ
という非言語メッセージが常に出いるお母様もおられました
皆で何者?と言っていたものですが
その職業を聞いたとき
とても尊い職業だったのに
皆であー、なるほどね。
と苦笑いになったことをがありました。
どんな立場の人も
社会参加するにおいて
プライドは持つ責任もある気がします。
必要な局面でのみ発揮されるべきでもあり
難しいです。
( ̄ー ̄)